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第41話

 追悼公演が行われる当日、ぼくは雪弥さんの病室に来ていた。明さんは今日は夜勤明けで、仕事が片付いたらここに来る予定だ。  雪弥さんは以前よりも症状が落ち着いたのか、酸素マスクではなくチューブに戻っていた。冷蔵庫からプリンを取り出して、おいしそうに食べている。 「麻野はスルーしましたが、聞いてもいいですか?」  予て気になっていたことを敢えて尋ねようとすると、雪弥さんはそれに気付いたようで、プリンをサイドテーブルに置いた。 「佐和が聞かなかったのは、たぶんおれが誤魔化すって解っていたからだと思うよ」 「でもぼくは確かめたいです。どうしていままで手術をしなかったんですか? 雪弥さんが佐田先生に一番はじめに診察してもらったのは、こちらに越してきてからですよね? 麻野の公演が見れないからっていうのは、詭弁を弄したにしても無理があるかと思うんですが」  佐田先生の診察を受けたのが3年前だということは、麻野が教えてくれたことだ。麻野も少なからず違和感を懐いていたのだろうが、そこを突っ込まなかったのは雪弥さんが言ったとおりだ。  雪弥さんはどこか意味ありげに笑って、ぼくを見た。 「面倒だったから。本当にそれだけだよ。それに症状がなければ手術はどちらでもいいという見解だった。まあ、今回みたいなことになるまでに手を打ったほうがいいという意味だったんだろうね」 「じゃあ、公演が終わったら手術を受けるんですね?」  雪弥さんはなにも言わない。ただ微笑んでいるだけだ。やがて少し肩を竦めたあと、またプリンを頬張った。 「麻野、そう思ってますよ」 「誤解って言うんだよね、そういうの」 「雪弥さんが思わせぶりなことをするからです」 「思わせぶり?」 「手術をするつもりがないのに手術をするかのような態度を示すのはどうかと思います」  雪弥さんは麻野の問いに対して一度も頷いていない。手術をするのか? の問いに、微笑んだだけだ。麻野がそこに気付いているのか否かはわからないが、それは了承していないと言っても嘘を吐いたことにはならない。否定も肯定もしていないのだから、雪弥さんが微笑んだことを手術をするという意向だと受け取るのは、相手側の勝手な解釈だと、いくらでも詭弁を弄することができる。  そんな考えをするのはぼくの性格が悪いからじゃないかとも思うが、雪弥さんは意外に食えない人だ。そのくらいの知恵は回るだろう。リーガル系のドラマが好きなのであればなおさらだ。  雪弥さんはわからないというような顔をしているが、それは演技なのだと思う。確かに天然でつかみどころのない人ではあるが、かなり頭が切れる。肯定さえしなければどうにでもなると考えているに違いない。ぼくは雪弥さんがなにも話すつもりがないのだと判断し、それ以上は言わなかった。 「雪弥さんがそういう態度ばかりとるから、忘れるところでした」  きょとんとしている雪弥さんに、少し厚手の紙袋を手渡す。雪弥さんは不思議そうな顔をしてそれを開いた後、驚いたように顔を上げた。 「これ」 「誕生日にパンプキンパイをっていう約束ですから。麻野と誕生日が一緒とか、アルバムを見なければ気付きませんでしたよ」  「おめでとうございます」と言うと、雪弥さんはどこかほっとしたように笑って、手招きでぼくを呼んだ。  ぼくが近付くと、雪弥さんはぼくの頬に軽くキスをして、抱きついてきた。 「ありがとう、集くん」  手術しないとおいしいものが食べられませんよ‥‥なんていう軽口を叩く気にはなれなかった。なにかしら理由があるのかもしれない。それに、手術をしないとも言っていない。雪弥さんがなにを考えているのか測りかねるが、それはきっとぼくや麻野には解決できないことなのではないかと考えていると、病室のドアがノックされると同時に明さんの声がした。 * * * * *  追悼公演は大歓声の中幕を閉じた。麻野の本当の両親は、劇団の人たちからも、そしてファンの方たちからもいまだに愛されているのだなと解るほどの大盛況だった。雪弥さんへの配慮か、関係者席から閲覧することができた。あまりの迫力に、公演が終わって随分経ついまも興奮が冷め遣らない。真澄くんが何故麻野をライバル視するのかが良くわかった。  ぼくは麻野にうちに来るよう勧められたが、家族水入らずで楽しめと断った。本音を言うと、雪弥さんが麻野を裏切るのが怖かったのだ。そのセリフに傷つく麻野を見たくなかった。あの様子では素直に手術を受けそうにもなかったし、ぼくは麻野の恋人とはいえ部外者だ。  本当は麻野にきちんと話したかったが、いまは麻野の顔を見るといろいろと揺らぎそうだから、丁度いいかもしれない。そう思うのはぼくの悪い癖なのだろう。ごそごそと頭まで布団を被ったとき、部屋のドアがノックされた。時計を見ると深夜二時を過ぎている。一体誰だと思いながらドアスコープを覗くと、麻野がいた。  出ようかどうか、正直迷った。けれどぼくは鍵を開け、ドアを開いた。  麻野はなにも言わずに入ってきた。少し機嫌が悪そうだ。ぼくを抱きしめたまま、なにも言わない。ぼくが麻野を呼ぶと、少しして体が離れていった。 「あの野郎、マジでムカつく」  ぼそりと麻野が言う。 「雪弥さん?」 「手術受けないってごねてやがる。明がくっそキレて、明日から呼吸器専門の病院に入院だとさ」 「理由、聞いた?」 「いや。いま親父が説得してる。薄々そんな予感はしていたけど、本当にそうされるとへこむわ」  ぼくは麻野の背中をぽんと叩いた。麻野は雪弥さんのために必死だった。その気持ちはわかる。だけど雪弥さんの気持ちを知るのは誰もいないのだとふと気付いた。 「手術をしないって言っている理由は、誰か知っているのか?」 「いや、聞いても言わない。たぶん、親父だけなら解ると思う」 「お父さん?」 「雪弥と実際に血が繋がっているのは、親父だけだからな。血の繋がりなんて関係ないとか言いつつも、雪弥は気にしている。自分を大事にしてくれる唯一の肉親だから、親父の気を引いてみたいのかななんて思ってみたんだけど、たぶん違う。親父が明を宥めていたときの口ぶりから察するに、なにかあるな」 「明さん、そんなに怒っていたのか?」 「そりゃ怒るだろ。明は看護師だから、生きたくても生きれなかった人をたくさん見ているし、自分は子供が出来ないから、雪弥と俺を本当の子供みたいに大事にしてくれているからな」  麻野が言うには、明さんは麻野を引き取る前後に何度も流産しているらしい。だから余計に麻野と雪弥さんを大事に思っているのだろう。 「病気のことをずっと隠していたし、そりゃ明も怒るわ。なに考えてるのか知らないけど、無責任だよ、雪弥は」  麻野の声に元気がない。本当にショックだったみたいだ。ぼくは麻野にキスをして、寄り添った。

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