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第1話 盾になる

  かつて、青藍の瞳を持つ紺髪の少年がいた。  穏やかな心を持つ彼は、人間たちに捕らえられ、禁術によって「青龍」へと変えられてしまう。  その身は重い鎖と封印術で縛られ、誰も近づかぬ深き洞窟へ閉じ込められた。  ──長い、長い時が流れる。  外の世界の光も音も届かぬ洞窟の奥で、青龍はずっと待っていた。  誰かが自分を倒し、武具としてこの洞窟から連れ出してくれる日を。  やがて、一人の男が洞窟へ足を踏み入れた。  漆黒の髪、紅の瞳を持つその冒険者は、あらゆる力を極めた者。  青龍はその気配に驚き、警戒するも、すぐに頭を垂れた。 「殺してください。そして、貴方の武具にしてください」  声は届かなかった。  冒険者には龍の言葉は理解できなかったのだ。  敵意のない龍の姿を前にして、冒険者は剣を振るうことをためらい、立ち去ろうと背を向けた。  強き者の大きな背中が、遠のいていく。  ──この機を逃せば、もう……  龍は必死に叫んだ。届かぬ声と知りながら。懇願するように。  洞窟に、龍の叫び声が響く。 「どうか……お願いです」  耳をつんざくように響く龍の声。  冒険者が振り向くと、低く低く頭を下げた龍の姿があった。  その姿に、冒険者はなぜか「倒すべきだ」と感じた。  ──敵ではない。だが、この龍を倒す必要がある。  冒険者は剣を振るい、青龍を倒した。  すると、眩い光とともに、青龍は一つの指輪へと姿を変えた。  澄んだ蒼い宝石があしらわれた美しい指輪だった。冒険者はそっと拾い上げ、指にはめた。  これが青龍の新たな人生の始まりだった。  指輪となった青龍は、冒険者の指に身を預け、初めて見る世界に心を躍らせていた。  市場の賑わい、鳥のさえずり、焚き火の音が響いてくる。夜の街のあたたかな光に、朝日に照らされた海の香り。  閉ざされた洞窟では決して感じることのなかった、生きた世界の音と光、匂いがある。  (……とても綺麗)  ある日、冒険者が街角の屋台で焼きたてのパイを買って、嬉しそうにかぶりついた。  香ばしい匂いに包まれながら、思わず頬を緩める主の顔を指輪はじっと見つめていた。  (……なんて、美味しそうに……)  その表情に、青龍は胸の奥が温かくなるのを感じていた。 「共に生きている」と思えた瞬間だった。  それからというもの、冒険の合間に見せる主のささやかな笑顔や、ちょっとした失敗に誤魔化しながら笑う姿も、どれひとつと見逃さなかった。  主の全てが、笑顔が、青龍にとっては宝物のような光景だった。  (……あなたが笑うと、私も楽しい)  かつて人であった龍は、今や武具として、冒険者のすぐそばにいる。  楽しい毎日を過ごし、青龍はとても幸せだった。  しかし。  冒険者は日々、戦う。  幾度もの戦いを共にくぐり抜けた。  そこで指輪は数え切れぬほどの主の傷を目にした。  けれど自分は、ただの指輪。  この姿では、彼を守ることができないのだ。  主が深手を負うたびに、龍の心は震えた。  もっと貴方の力になりたい──そう願った。  ある日。  敵が異常なほどに強すぎた。  冒険者は深手の傷を負い、戦場に倒れてしまう。  ──このままでは、危ない。  (守りたい……もっと、傍で支えたい)  龍は、深く強く、そう願った。  その祈りに呼応するように、青龍の魂が震え、熱を帯びていく。  長い時の中で蓄えてきた力が、溢れ出した。  (守りたい……もっと、傍で支えたい)  青龍は、深く、強く、祈るように願った。  (どうか……!)    蒼い光が辺り一帯を照らす。龍が気づいた時、既に姿を変えていた。  指輪に宿った龍の心が形を成し、美しい一枚の盾となったのだ  輝く龍の鱗の中に、小さな蒼い宝石がひとつ。それらは上品に煌めいている。  盾にしてはあまりにも繊細な装飾だった。  「あなたの特別な盾でありたい」という青龍の思いが、無意識に現れてしまったのかもしれない。  ──これで、主を守ることができる。  冒険者は盾を見て目を見開いていた。  青龍──盾は主に見つめられ、中心が熱くなるのを感じた。  だが、見つめ合っている場合ではない。  敵はまだ倒していないのだ。  冒険者は盾を手にすると、立ち上がった。  そう、共に、敵を倒すのだ。  この盾は冒険者の手に不思議なほどに自然に馴染んだ。  まるで初めから、こうなることが決まっていたかのようで、戦いの最中にも主の驚きが盾に伝わる。  盾は、思わず笑みを漏らした。  (ふふ……私は……貴方の盾ですから……)  斬撃が飛び交う戦場。  金属音が耳を打つ。  敵の攻撃は容赦がなかった。  盾を叩き、突いてくる。  その度に、盾は傷ついた。  擦れて、打たれて、削られて。  だが、それでも構わなかった。  (私が貴方を守りたいのだから……)  敵の攻撃は鋭く激しかったが、盾にとっては、どれもかすり傷程度に小さなもの。  (この程度、痛くも、苦しくもない)  痛みを感じないほどに、盾の心は高ぶっていた。  そして見事、冒険者は勝利を収める。  (お役に立てた……)  青龍はこの日、盾となり、これが初めての戦いとなった。指輪だった頃よりも、はるかに幸せを感じていた。  戦いを終えて。  森を抜け、風通しの良い野原にいる。  木漏れ日の気持ちいいこの場所で、少しばかり休んでいた。  木の幹に背を預けて座る冒険者の傍らに、盾は静かに置かれている。  あたたかく柔らかな風を感じながら、盾は主を見つめていた。  ふと、手が伸びてくる。  そっと抱きかかえられ、膝の上に置かれた。 「……美しいな」  優しい響きが降ってきた。  青龍の心が、ぶわりと浮き立つ。  冷たい金属の中にいるはずなのに、とても熱く感じてしまう。  蒼い石がきらりと光った。  この気持ちを、どう処理してよいのか分からない。  (……あの……えっと) 「傷が付いてしまった……」  冒険者の手が、そっと表面に触れる。  (……っ……!)  思わず、震えた。  (……こんなにも……私は……)  主の手が、盾を優しく撫で始める。  (ぇ……ぁ、まだ、心の準備が……)  これは、ただの手入れである。  しかし、青龍にはあまりにも心地の良いもの。  まるで肌に直接触れられているような、そんな感覚だ。  くすぐったさと嬉しさが混ざり合い、どうしようもなく戸惑う。  ここで、盾を磨くための布がどこからともなく現れ、それはゆっくりと縁を滑り始める。  時折、きゅっ、きゅう……と音を立てながら。 (あ……って、そんなところまで……) 「んっ……」  声など出ないはずなのに。  “音にならない声”が、いや、“声にならない音”がこぼれてしまう。  恥ずかしさに、盾は震えた──小さな微振動。  主の手が、鱗のひとつひとつを丁寧に撫でる。  ぞくりと背筋に刺激が走った。 「っ……ん、……待っ……て……ぁっ」  冒険者の手のひらが、指が。  布越しでも熱が伝わってくる。  何度も何度も、優しく、軽やかに触れてくる。  盾は堪えきれずに身を捩った。いや、実際には身を捩ることはできなくて。  盾の内側で、なんとなくそんな気持ちになっていた。  手入れの最後に、また優しい響きが降ってくる。 「これからも、共に戦ってくれるか」  この上ない幸せだ。もちろんです、と盾は心を込めて答えていた。  青い宝石がきらりと光る。  盾はこの優しい主とともに、新しい冒険の旅に出る──。  まだ見ぬ世界に心躍らせながら。  

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