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第8話 ここじゃ嫌なの、あなたの家がいい

 快楽の引きと共にすうっと感情が落ち、士匄(しかい)は冷えた心地でゆっくりと起き上がる。めくり上がった衣そのままに、萎みはじめた陰茎が股の間で揺れた。趙武(ちょうぶ)がそっと士匄から降り、わきに座ってじっと見てきている。その目は木の洞のように黒々としていた。士匄は、その、得体の知れぬ面持ちに怖じて、顔を引きつらせたあと、憤懣が底からわきあがった。思わず趙武の肩を強く掴む。反動で、細い体がゆれた。 「お前、趙孟(ちょうもう)! なんのつもりだ。わたしをこんな、宮中で、みなが学ぶ場所で辱めて何が楽しい。これがお前の駆け引きか」  苦々しい顔を隠さず怒鳴りつければ、趙武(ちょうぶ)が嘲り哀れんだ笑みを向けてくる。 「だから、駆け引きとか、そういったのはあなたの妄想、捏造、思い込みです。私はそんなことしたくない。ただあなたの淫欲を満足させるために私のちんこを尻の穴につっこむ関係なんて、虚しいし嫌だから、きちんと(ちぎ)って義兄弟になりましょう、と申し上げたんです。あなたは私で快楽を堪能したい、私はあなたが乱れる姿が好ましくなってきた。ゆえに、関係を続けるのは互いのため。それならば、理にかなった『カタチ』になるべきなんです。義兄弟は体の関係はまあ主題じゃないですけど、互いを支え合って教導しあい、高め合う約定を交わすもの。范叔(はんしゅく)はなぜ、駆け引きとかそういった話になるのです。でも、それで半月もお待たせして申し訳ございませんでした。同じ事を申し上げますが、私はあなたが感じ入っている姿が、顔が好ましくなってきたんです。だから、私も無駄に半月、待つはめになりましたので、見せて貰いました。あなたも我慢がきかない、すがって腰を振って、ださせて、だしたい、て。何が辱めですか、あなただって盛り上がった、ねえ、まだ疼いているし我慢できないんでしょう」  士匄の掴んだ手をむりやり外し、趙武がずいっと身を乗り出してくる。反射で上半身をねじり退こうとした士匄に、抱きついてきた。薄い体であり、男にしては細すぎる腕であったが、先ほどまで士匄を組み倒していた体でもある。士匄はこの狼藉者を殴りつけ蹴り飛ばすべきであったが、腕も指一本も動かず、困惑を隠さない顔のまま、受け入れた。趙武が腰をすりよせてきて、そこに興奮の象徴があり、士匄は途方にくれた。常に己を優先し、自分なりのルールではあるが理路整然と考え、自己肯定力の塊であり、我欲のためなら他者を蹴り飛ばすこの男は、生まれて初めて途方にくれた。  まず。この関係の発端は、己がこの後輩を煽ったのが最初である。まさか、強姦してくるとは思うまい。  次に。快感を事故と塗り替えようとしたが失敗した。まあこれはいい。  そして。アナルセックスがとにかく気持ち良く、関係を迫ったらこいつは了承した。  そこから、いきなりけじめやら抱いてる姿が良いなど、変な口説きかたをしてきたため、それに乗っかった。だけのはずが、この後輩はどこか気に入らず、今、静かに切れ散らかし、あろうことか政治の中枢、宮中で士匄に手淫し辱めた。  士匄は、趙武が何故か怒り変な切れかたをして静かに我を忘れていることはわかったが、いったい何を怒っているのかわからない。また、義兄弟に拘る理由もわからなかった。言わば、面倒をみてやる間柄、年功上位のものが下位のものをオフィシャルでもプライベートでも世話してやる、格差ある友情に近い。本人同士の合意もあれば、親が用意する場合もある。その絆を深めるために肉体関係が生じることも多いし、義兄弟を言い訳にした男色もなくはない。が、趙武は、正式の義兄弟に拘りすぎている。公式な関係、形式がともなった関係に固執しているようであった。  好きなら好きと言え、と叫びたかったが、趙武にその意味の色味は感じ無かった。好意は感じるが、恋情かといえば、いまいちわからない。愛欲とも思えたが、何やらちぐはぐである。士匄は意外に察しが良く、惚れてきそうな女を見繕ってわざと秋波を送り、恋情をかき乱して遊ぶのが好きなのであるが、趙武はどうもそれではない、と直感で思った。  途方にくれながら己の思考に飛び込み――もはや現実逃避である――反応が鈍い士匄に業をにやし、趙武が口づけをしてきた。切れた唇がかさついており、士匄の唇に擦れた。舌が割り入れられ、中で絡んでくる。趙武が舌を吸いだし、じゅ、じゅ、と陰茎にするように愛撫する。それに嫌悪を感じない己が恐ろしく、士匄は慌てて腕で払いのけようとした。その腕に刃向かうように趙武が身を押してきて、結局再び押し倒される。  今度は、勢いなくとさりと倒れた。趙武が、やはり体をねじ込み、再び股ぐらをかきわけ、膝を差し入れてくる。士匄は思わず横を向いた。趙武の唇は追いかけて来なかった。 「范叔。足を開いて。中をいじれない」 「ここは、公事の場だ。お前の邸に行ってやる、そこで股ひらいてやるし、好きに触らせてやる。ここはダメだ」 「何が『させてやる』ですか。あのね。お願いしているんじゃあなくて、開け、て言っているんです。そうですね、ここでいやらしいことをするなんて、よくない。だから、きっと、あなたは気持ち良くなりますよ」  泣いて嫌だっていいながら、体の奥で達しつづけちゃいますよ、先ほど思いきり精を放って気持ち良かったでしょう――。そう、趙武が小首をかしげてささやきながら、膝で股の間をぐいぐいと押してくる。陰茎を容易く取り出したことでおわかりであろうが、当時、下着はない。陰茎を越え会陰を押し擦られ、士匄は息を飲んだ。つん、と悦が一瞬だけ登る。それが過ぎ去っていくころに、また刺激され、目をつむってため息をついた。 「足を開いてください。膝を立てて、肛門が開いちゃうくらい。ひっくり返ったガマガエルみたいに足を開いて」  ねっとりとしているくせに妙にはしゃいだ声音で趙武が畳みかけてきた。常なら、アホかと鼻をならし、趙武の腕をねじり上げて床に押しつけるであろう。常の、士匄ならそうする。が、すっかり趙武の雰囲気に飲まれ、怖じ、支配され、屈服し――足をおずおずと開いた。  趙武は 「かわいい、范叔、かわいい」  と、少々熱に浮かされたように言って、花がほころぶように笑った。

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