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第12話 もっと、知りたい

 恋をする。  士匄(しかい)の一方的な言葉に趙武(ちょうぶ)は頭を抱えた。恋愛感情などみじんもない士匄が秋波を送ってくるなど、それはごっこ遊びであり互いに嘘をついて心を弄ぶ所業ではないか。趙武としてはそう叫びたいが  今から恋心を抱くよう互いに努めればよい  と言い切られ、押し切られて、もはや逆らうこともできなかった。 「少々変則的ですけど、義兄弟で何が悪いんです」  邸に戻り、一人自室で呟く。非常識すぎる淫事を行ったことに今さら自責と恥ずかしさで悶えつつ、口を尖らせる。  双方の親、趙武の場合は親がいないため後見人だが、それぞれに義兄弟になる許しを得て、みなにも知らせて、どこに出ても恥ずかしくない関係になる。士匄の言葉に趙武は学ぶし――いやそうなると趙武が弟になって受け身になる、いやそれはともかく、誰にも文句言われぬ、邪魔されない関係になる。  ふくれっ面で、極めて子供じみた夢を堂々巡りに考え始めたが、士匄に却下されたことである。意味がない。 「恋なんてよくわかりません。私はそれなりにあなたを好ましいと思ってます、頭もいいし、かっこいいし。あのときはかわいいし。とても、かわいい」  趙武はしおしおと体を崩し、手で顔を覆った。  今日の士匄もかわいかった。最後は体も言葉も、頭の中身もユルユルになって、こんなかわいい士匄は己しか知らないのだと、趙武は多幸感に溢れていた。誰にも見せたくはない。士匄のああいった部分を他者に知られて、  なになに、じゃあ味見  とされたらどうしようかと今から不安と噴飯で頭が痛くなりそうである。 「范叔(はんしゅく)があんなにかわいくてエロくてかわいいだなんて、人に知られたら取られるじゃないですか、私は未熟だから奪われます! 恋とかしてる場合じゃないのに」  趙武は完全に脳がぶっこわれた妄言を吐き捨てた。他者はもちろん、士匄にさえ白眼視されそうな発言であるが、誰もおらぬ部屋での独り言なため、だいじはない。  半月の放置プレイの結果、趙武は少しずつ士匄へ心を寄せ始めている。が、士匄をその意味で特別視し、手元に置いておきたい、独り占めしたいという己を自覚していない。それどころか、蓋をしようと必死である。未熟なため、蓋もできていないのが現状であったが。  ただ、己が妙な執着をしていることは自覚している。これは良くない。きっと良くない。そう必死に断じた。趙武が目の当たりにした恋は、婚家を滅ぼした母の不倫である。恋は醜悪という思いがあり、ゆえに、士匄の言葉には頷きたくない。頷きたくないが、それ以上は引かぬという態度を見せられ、しぶしぶ頷くはめになっている。 「どうして、こんなことに」  趙武は士匄を想い、ため息をついた。それはどう見ても、恋しい人へのせつなさがこぼれる顔であった。  翌日、前日の宣言などなかったかのように、士匄はいつもどおりであった。先達として後輩を見る目は常であり、政治を学ぶものとして堂々と議論する姿勢も変わらない。もし違いを指摘するなら、かざり襟が首筋をいつもより覆っている程度であった。士匄は己の首が長く見えるような衣を好んでいる。そのほうが見栄えが良いからである。が、首筋を隠した姿も悪くない、と趙武は思った。派手で男ぶり高い顔が引き立つというものであり、体の厚みもよりいっそう目立った。  本日は実務を手伝うということであった。実務といっても、細々とした事務仕事はしない。それは貴族の仕事ではなく、奴隷の仕事である。大臣になるべく研鑽しているわけだから、大臣の横で見ておけ、ということであった。 「趙孟(ちょうもう)。お前は今、(けい)の親族がおらん。わたしと共に四席……上軍の佐である我が父に学べ。我が父は今、外交の主軸だ、お前の身になる」  他の者が声をかける前に士匄が趙武の腕を引いた。 「私の身になる、ですか」 「人は人と対するとき、まず顔を見る。お前のご面相は受けが良かろう、良い武器だ。しかしそれだけでは外交は成り立たん、学べ」  言うこと最もである。また、趙武の成人の挨拶まわりで、士匄の父は含蓄深い訓戒をしてきており、心的にも身近ではある。趙武は大人しく従った。  共に歩くうちになんとなく胸がモヤモヤしていることに趙武は気づいた。士匄が趙武を褒めるのは外面のみである。さすがに、見た目が良いのを否定するほど趙武は無神経でも卑屈でもない。父祖の祝福のようなものであるが、趙武の努力とも研鑽とも関係ない代物でもある。  何やら、己が非才無能未熟と思え、情けなくなった。こんな状態で士匄を口説くなど、できようか。また、この多才な先達がこちらにどう恋情を抱くのだろうか。  趙武は虚しい気持ちになりながら士匄を見上げた。常は見えているたくましい首を、今日はガッチリと覆っており、趙武が密かに好きな喉仏も隠れていた。 「……本日は襟の中の布飾りが目立ちますね。范叔の首がかなりお隠れになられて、えっと、あの、熱くないですか。今日は寒いわけでもないですし」  この国の冬は厳しいが、まだ冬前の、心地よい陽気である。士匄が苦い目もと口もとを隠さず、趙武を見下ろすと、屈み、そのままうろたえる趙武の耳もとでささやく。 「お前が! むしゃぶりついて何度も噛み付いたから、鬱血と噛み跡を隠してるんだ、察しろ」  そういえば、調子に乗った己は士匄の首に何度もすいつき、噛み付いた、覚えはある。趙武は、紅潮することなく、ポカンとした顔のまま、士匄の首筋に手を伸ばした。屈んだ士匄といえば不審な顔を向ける。どうせ顔を真っ赤にして童貞くさい叫びをあげる、と思っていたのだ。が、趙武はそんな様子もなく、静かに士匄の隠れた首筋を撫でた。 「ここ。ここは今、私のものですね。范叔のこの部分は私の。はい、じゃあ絶対に誰にも見せないでください、大切にしてください」  ふわりと、牡丹が花開くような笑みを浮かべ、趙武は嬉しさを隠さず言った。先ほどまでのモヤモヤは萎み、ときめきと喜びが湧いて出る。士匄をおのがものとした痕跡が目の前にあり、それは誰もわからぬよう覆い隠されている。心わきたつとはこのことであった。  じゃあ行きましょう、と再度歩きだす趙武に、士匄が引きつった顔をした。全く自覚なく、お前は俺のものだ、と宣言していくのだから、あの後輩はオクテを通り越してオボコである。こうなれば、きちんと言わねばならぬ、たぶん気づいておらぬ、と士匄は追いかけながらため息をついた。 「……あのな。我が父を学べというのは口実だ。わたしはお前をもっと知りたい、お前もわたしを口説くチャンスというものだ」  士匄の言葉に趙武は目を丸くした。 「えっと。何か知りたいのであればお答えいたしますが」  趙武は至極まじめに言った。士匄が自分のことで知りたいことがあるなら、答える限りは答えよう、とも本気で思った。この青年は士匄の言わんとすることがさっぱりわかっていない。士匄も察しており、手で制す。 「わたしがおのずから知りたいのであって教えてほしいわけじゃない。お前、こっち方面の鈍さが異常だな、引くわ。知りたいって言ったら、好きになりたいって意味だ、このマヌケ」  士匄の言葉に、趙武は顔を赤らめたが、同時に眉をしかめた。胸がときめいた反面、苦しさを覚えたのである。 「……そんな必死にならないと好きになれないならいいです」  ボソリとつぶやいた声に、士匄の顔がひくひくと痙攣した。彼は、ギリギリで殴らなかった。ここは宮中である、ということを思い出したのである。 「ち。お前は顔と陽物以外、いいとこがないな」  士匄が吐き捨てた言葉は、趙武をいたく傷つけた。観賞と棒以外の存在価値が無い、と言われたのである。喉奥で辛さと情けなさ、涙をぐっと飲み込み、息を吐く。 「范叔は多才で姿も(かたち)も良く、儀には礼あり、言葉には力あり、武もお強い。しかし自信がありすぎて墓穴を掘り、欲が深くて徳に遠い。そういった、残念なところもあって私は尊敬しませんけど、かわいいと思います」  趙武は一気に言葉を紡いだ。どこかまくしたてるような早口は、動揺のあらわれであったろうが、醜態ひとつさらさなかった。  士匄のこの言葉は舌禍(ぜっか)であるが、もちろん狙って言っている。この男は、調子に乗ったポカミスが多いが、言葉をもって傷つけるときは意図して存分に殴る。そういう、青年である。 「お前のそういう根性は良い」  士匄が闊達に言った。趙武はしらけた顔を向けた。 「お前のそれは好ましい。良い卿になるだろう」 「……こんなに嬉しくない言祝(ことほ)ぎ初めてです、ええはい。ありがとうございます」  趙武は、屈辱的な不快も、その前のトキメキも冷め、こんな男と恋愛などできるものか、と心が暗くなった。今も、好ましいと言いながら、そこには先達が若輩を褒める以上のものが見受けられない。  もっと、こう、何か。士匄だからこそ見えた趙武を言祝げ、とそういった思いが浮かぶ。  それこそ、趙武が士匄の秋波を求めているのだが、趙武本人は気づいていなかった。

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