19 / 48
第19話 麻薬のようだ
そういったわけで、士匄 はつれなく趙武を払いのけ、だるさを隠さずに仰向けに寝転がりながら、力の抜けた手でなんとか衿を戻す。趙武 がつまらなさそうな顔をして、衣に収まってしまった胸を見たあと、そっと横に寝転びくっついてくる。腕が絡み、互いに汗ばんだ肌がべたつき、士匄は眉をしかめた。
「……私はなんだろ、たくさん范叔 に伝えたつもりです。でも、お心をいただいた気にはなれません。最中はその、とてもおかわいいんですが、私を感じてくださいましたか?」
横から覗きこむように趙武があどけなく聞く。士匄は苦い顔を向けた。
「お前の目は節穴か。わたしは、そりゃあもう、外した、外しまくっていたではないか。人生初の潮までふいたのだぞ。これ以上なくお前を感じていた。お前もわたしをかわいいと言っていたであろう。男が抱いた相手をかわいいと言うは、愛しいということだ、趙孟 。抱かれるわたしは、そりゃあかわいいに決まっている。お前に全てを委ねているのだからな」
苦々しく、そして面倒くさそうに答えた士匄の唇に、趙武の指がそっと触れる。森の奥にある静謐な湖のような深い目が、じっと見てくる。澄んだ湖畔に暗い粘性を感じ、士匄は一瞬だけ体をこわばらせた。趙武が気づかず、士匄の腕を柔らかく撫でて口を開く。
「あなたは私に身を委ねたんじゃなくて、快楽に身を任せただけじゃないですか。私を恋しいと言ったのは方便ではないですか? 終わったらスッキリした、もう用は無い、て顔をなされる。いつもと何が違うんです。私は全霊であなたを思ったのに、同じ量のお心はいただいてないと思うんです」
透明感のある声音のくせに、やたら粘りつくものを感じ、士匄は目をそらした。
士匄の持つ恋情が、一気に冷めたことを否定はしない。趙武が潮を知らなかったことではなく、士匄の弱みを握ったとはしゃいだ姿を見て、急速に萎えた。このあたり、やはり身勝手な自己陶酔型の恋愛気質を持っている。
恋をするものは相手の弱みを握ってさらに盛り上がるものでは、ある。士匄もそのくらい身に覚えはあるが、趙武に対しての疑念は抜けていない。――愛玩物としてかわいがっているのではないか。重い愛情は支配に繋がる。士匄は以前、若気の至りでヤケドを負って思い知っていた。愛玩物と見てくるものは、たとえ慎ましく恭しい態度であろうが、支配だけをしてくる。うがちすぎか、と思いつつ、士匄は
「お前も性欲に任せて私を犯した、と傍から見ればそうなる。きちんと言葉にしろ。わたしはお前の言祝ぎ、想う心は感じるが、じゃあ具体的に何だ? となれば、わからん。棒を穴に突っ込んで射精して想いが通じ合っているのは獣くらいであろうよ」
と、冷たく指摘した。
体の交わりで、確かに想いはわかる。しかし、気持ちはわからないものである。士匄の言葉は正論であった。趙武は言いよどむように唇を軽く噛みしめたあと、言葉を紡ぎ出した。
「恋、なんでしょうか。これが、恋しいというものか、よくわかりません。体を繋げたいから恋しいと言う人がほとんど。あなたもです。私も、あなたの肌に触れられなくなったら寂しいですし、あの時のかわいいお顔を他の方に知られたら気が狂いそう。……それに、あなたは私より年上です。死んじゃったらどうしよう、て怖い。あなたに埋まると腹の内側が熱くてどくどくして生きてるって安心します。えっと、興奮もします」
最後の一言はいらんだろ、と思いながら士匄は目を細めた。必死に言いつのる姿はやはり士匄を静かに焼きつくしていく埋み火のようであった。趙武の恋愛観の歪みはともかく、情念は脳が痺れるような心地よさがあった。
「やはりわたしはお前が恋しい。そうやって、わたしの命や魂もを触ろうとする愚かさが愛しい」
愚か、で不満げに頬を膨らませる趙武に、士匄は思いきり嘲笑した。
「褒めている。わからんのか、お前は本当につまらんやつだ」
「さらに不愉快になりました。ああでも、わたしは范叔のそういうところ、全く尊敬できませんが、好きです。閨の自分がかわいいのは当然と仰るところも、好きです。これが恋しいというものかわかりませんけれど」
趙武が、ふ、と安堵した顔をする。柔らかな花びらのような笑みでもあった。士匄がその目尻に触れようと手を伸ばしたら、趙武は避けて立ち上がる。
「さ。ガビガビになる前に身を清めてお着替えを。本日はお泊まりであればすぐに夕餉の差配いたします。お帰りであれば、その差配を」
家僕を呼びつけ、きびきびと動く趙武は、確かに有能な実務家になるであろう。だらだらと、恋を語ろうとした士匄は啞然とし、そして、苦虫を噛み潰したような顔をする。愛情もなく抱いていた時と、お前も変わらん、と舌打ちした。
それでも士匄は、己が趙武に恋をしたと思った。何度も士匄を確かめ、魂と命が欲しいと絡めとり、孕めとまで言うほどの熱情を手放すのは惜しい。趙武の粘性は麻薬のような中毒性がある。
「しかし、なおさら共に食せぬ、か。体だけなら、まあ良いかと思ったが」
士匄は身支度の差配をしてきた趙武に、
「帰る」
と言った。趙武は名残惜しそうな顔をしたが、わかりました、ではお車の用意とお家への先触れをしておきますね、と柔らかく笑んだ。
ともだちにシェアしよう!

