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十一月・カイ「呼び出し」
学園の敷地内に、これでもかと植えられた落葉樹も赤や黄色に紅葉し始め、朝晩はすっかり気温が下がるようになってきた。
今日の消灯時間後も、ユウを寝かしつけるために手を繋ごうとするが、フローリングに寝転ぶと「クシュン」とくしゃみが出た。
「フローリング冷たいでしょ?あ、そうだ。僕のベッドに入ったら?いや、それは、やっぱり、あれかな……」
思いつきで口にしてから躊躇するのは、どうかと思う。確かに床の冷たさが背中に伝わってくるから、ここで断るのも、俺が意識しすぎているみたいでおかしいだろ。
「んー、じゃユウが寝るまでな。ほらちょっと奥に詰めて」
動揺を隠しながら、これも任務の付加サービスだからと自分に言い聞かせ、一緒のベッドに潜り込む。布団の中は、ユウの体温ですでに温かい。
ベッドがあまりに狭いせいでユウの背中と俺の胸が密着する。ユウの心音が伝わってくる程だ。だから、あの誕生日の温室でのハグを思い出してしまい、妙に緊張してしまった。ユウも俺も息を潜めて、身じろぎせずに固まってしまう。どう考えてもリラックスして眠れる体勢ではない。
突然ユウが笑い出し「なんか狭過ぎて、むしろ全然眠れない!」と上半身を起こした。
「だな」
やはり二人で入るにはベッドが小さすぎる。そうだ、狭すぎることが原因なのだ。
結局俺は、上のベッドからマットレスを引きずりおろし、二段ベッドと並列に寝床を作った。
「俺は今夜からここで眠る」
これならユウが寝た後も、二段ベッドの上へ移動しなくて済むし、朝まで手を繋いでいてやれるだろう。
「おやすみ、カイ」
「おやすみ、ユウ」
並列した別々の布団に入ったけれど、さっき密着したときに香ったいい匂いが、頭を離れない。
大浴場備え付けの同じシャンプー使っているはずなのに、ユウからとてもいい匂いがしたのは何故だろう。
その匂いのせいか、その夜は温室でハグした時の夢を見た。温かくとても満たされた夢だった。
誕生日プレゼントにしてほしいことを問われ、「ハグ」とふざけて言ったつもりだった。そもそも本当は帰国子女なんかじゃない俺にとって、ハグという行為は理解できない。けれど、二度とない十七歳の誕生日のあの瞬間。ユウと束の間の青春を過ごせている感謝の気持ちを表すには、ハグ以外思いつかなかったのだ。
火曜日の夕方。いつものように温室から手塚へ定期報告の電話を入れたとき、それは唐突に告げられた。
「今週末、お屋敷に顔を出すように、と城伊様からご命令です」
俺の雇い主である手塚の雇い主、つまりユウの父親からの呼び出しだ。心当たりは文化祭でユウとバンドを組んだこと、一択だった。
俺としては、六月の交流会イベントは「出会い」を生み出す双方向のコミュニケーションが発生するが、今回のバンドはステージ上からの一方向の発表だから「出会い」を生まないと判断していた。
手塚にも事前にそのように説明し、「若干、屁理屈のようにも聞こえますが、その通りですから承知しました」と納得してもらっていた。
けれど「文化祭のとき、手塚はユウの父親に叱られた」と庭師から聞いて申し訳なく思っていたのだ。俺の我が儘で迷惑をかけてしまった。やはり手塚ではなく、俺が直接叱られるべきだろう。
「では、次の土曜、外泊許可をとります」
「お願いします。確認ですが、カイ。ぼっちゃんの身の回りには特に新しい出会いは発生していないのですよね?」
「はい。大丈夫です」
「そうですか。分かりました」
手塚は何か考え込むような声だったが、忙しかったようで電話は切られてしまった。
土曜の午前授業を終えると、学園から最寄り駅まで庭師が軽トラで送ってくれた。
俺は電車を乗り継ぎ一人でユウのお屋敷へ向かう。
屋敷につくとスピが俺に気が付き、葉の色が変わったソメイヨシノの根本まで駆け寄ってきた。チョコレート色の毛を撫でまわしてやると、お礼のように俺の顔を舐めてくれる。俺の回りをクルクルと周りながら、キョロキョロするのはユウを探しているのかもしれない。同じ部屋で暮らす俺の制服から、ユウの匂いがしていてもおかしくない。
「カイ。ご苦労様でした。こちらへ来なさい」
硬い表情の手塚が俺を迎えに出てきてくれた。その足でユウの父親の応接室に案内される。
ユウをバンドに誘ったことを謝るための台詞を、心の中で何度も練習してきた。言い訳せずに真摯に謝るつもりだった。
「カイを連れて参りました」
「入りなさい」
「失礼いたします」
俺が直接この人に会うのは、二回目だった。一度目は初めてこの屋敷に来た日。そのときと変わらぬ威圧感で、ユウの父が目の前に座っている。
きちんと挨拶をしようとしたが、そんな隙は与えられず、単刀直入に話が始まった。
「占い師から連絡があった。ユウはすでに運命を変えてしまう人と出会っているそうだ。どういうことだ?何のためにオマエを学園にまで潜入させているのだ。本当に心当たりはないのか?」
「そんな……。心当たりは、全くありません……」
「ユウを憎む者、ユウを嘲る者、ユウを陥れようとする者、ユウに過度な好意を寄せる者、そういう者が学園に潜んでいるのではないのか?」
「いいえ、目に余るような者はどこにも……」
近頃は香港を拠点としている占い師のマドモアゼル茉莉(まり)から、ユウの父に連絡が入ったのは一週間前だという。
「貴方の息子は、すでに運命を変えてしまう出会いをしました。もう運命は変えられてしまったのです。出会う前には戻れません」
そう告げたのだという。誰のことだろう?バンド仲間のカズか?ゲンか?ナツか?文化祭の日に見に来ていた客の誰かか?俺は任務を果たせなかったのか。
明確な答えを持ち合わせていない俺と、ユウの父はこれ以上の話をする気はないようだ。犬にするように、手のひらでシッシと追い払われる。
「カイ」
手塚に促され「申し訳ありませんでした」とただ頭を下げ、応接室を出た。
「とりあえず今まで以上に周りに目を光らせて、任務にあたってください」
手塚は俺を責めたりせず、気遣うかのようにそう言った。
俺は以前も使っていた屋敷のスタッフ部屋に一泊させてもらい、ユウの愛犬スピと一緒に眠った。
帰りの電車で、目の前に絵に描いたように仲の良い家族が座っていた。優しそうなお母さん。頼もしそうなお父さん。楽しいことしか知らなそうな無邪気な男の子。「夕飯にはハンバーグを作りましょうね」と話している。あまりに自分が育った環境とは違う家族の日曜日の風景。違いすぎて羨ましいとも思わない。
俺に父はおらず、母は一人で俺を産んだあと、ばあちゃんの家に預けた。母はいつしか顔をみせなくなり、連絡も取れなくなった。借家だった小さな平屋の一軒家で、ばあちゃんに育てられたのだ。ばあちゃんは俺を養うために、ずっと仕出し屋で働いてくれていた。
母のことを思い出そうとすると、黒いワンピースを着た髪の長い女性の姿が朧げに思い浮かぶ。たったそれだけだ。可愛がってもらった記憶など、どこにもない。
ばあちゃんは俺が中学三年生の冬、仕出し屋の調理場で倒れ、緊急搬送されたが死んでしまった。なんの孝行もしないまま俺は一人ぼっちになり、高校へ進学することも諦めた。
そんな俺の元を突然尋ねてきたのが、銀フレームの眼鏡にダークグレーのスーツを着た手塚だった。
「貴方と二年間の雇用契約を結びたい」
そう申し出てくれた。一年目は任務に就くための事前研修。次の一年でとある学園に転入し「お目付け役」として任務についてもらうという説明だった。金も伝手もなく、自分の未来が何一つ思い描けなかった俺は、言われるままに承諾した。ユウの父と一度だけ面談をし、契約は成立となった。
手塚は、ユウが学園に進学し留守になった屋敷に俺を住まわせ、衣食住の面倒をみてくれた。俺に学園の二年生に転入できるだけの学力、英会話、マナー、カルチャー、立ち振る舞いを教えてくれた。時には俺のためだけに外部から講師を招いてもくれた。帰国子女という嘘を強固にするために、半月だがイギリスにも行かせてもらった。
ユウと話を合わせるため、ユウの部屋に置かれていた小説を読み、好きな音楽を聴き、過去に観たという映画を全て鑑賞した。シェフから食べ物の嗜好リストももらい頭に入れた。マンゴーが好物だということも、そのとき覚えた。
俺は、任務のためとはいえ、居場所を与えてくれた手塚に恩がある。裏切るわけにはいかない。
占い師の言うように、もう出会ってしまっていたとしても、仲が深まるのを阻止して、どうにか任務を遂行したい。
乗り換えのために電車を降りる。次の車両を待つホームでは、ポツポツと雨が降り出して、色づいた落ち葉が濡れていく。
そもそも「運命を変えてしまう出会い」とは何なのか。
・おかしな宗教に感化され、取り込まれる。
・大きな詐欺に合い、金銭的な損失を負う。
・粗悪な人物に犯罪に誘われ、社会的地位を失う。
・偏った思想を持つ人物に、傾倒する。
そんな「出会い」を漠然と思い描いていたが、今の学園内でこれらはありえないと思う。あとはマオのようにユウに恋心を寄せ、接触を試みるという者も、あれ以来現れていないはずだ。
でも占い師は、もう出会ってしまったと言う。今は事が起きていなくても、その芽がどこかで育っているということだろうか。それでもやはり心当たりはまるでなかった。
最寄り駅からは路線バスに乗り、学園に最も近いバス停で下車する。そこから車なら十分の道のりを傘をさして歩く。その間ずっと任務のことを考えていた。クラスメイトの顔を一人一人思い浮かべては、可能性がないか考えてゆく。
学園の正門脇の小さな通用門をくぐり、校舎に向かって歩くころには、道中の疲れを感じ、足が重かった。
「カイ!」
部屋の窓から俺を見つけたらしいユウが、渡り廊下まで迎えにきてくれていた。
「カイ、おかえり」
どこに行っていたの?と聞かないのは、ユウという人間が出来ているからだろう。
「昨日の夕飯はキノコのシチューだったんだよ」「朝食はガズたちと一緒に食べたんだ」「図書室ですごく面白そうな推理小説を借りたから次に貸すね」
まるでスピのように俺のそばをウロウロし、色々なことを話してくれる。俺としてもたった一日ぶりなのに、ユウと会えたのがうれしく「うんうん」と笑顔で返事をする。ユウとの会話で、いつの間にか疲れも吹き飛んでいた。
それでも、廊下ですれ違う人、食堂ですれ違う人、談話室でユウに話しかけている人、一人一人に疑いの目を向ける。この人はどれくらいユウと親しいだろうか。この人はユウに影響力があるだろうか。この人はユウに対して恋心を持ったりしていないか。
生徒だけでなく、寄宿舎のスタッフにも疑ってかかる。当てはまる人物は、どこにもいない。
ユウと最も親しくしていて、影響力を与えているのは、どこの誰だろう?その人が俺の目に映らないのは、何故だろう?
風呂上がり、全生徒揃いのTシャツとジャージを身につける。ユウは脱衣所の鏡の前で、髪をいじりながら俺に言う。
「カイと出会う前はさ、寝つきが悪くてもそれなりに過ごしてたし、マオがサッカーの遠征で留守にしても一人で寂しくなかったのに。昨日の夜はすごく寂しくて眠れなかったよ。なんて、子どもみたいなこと言って変だよね、僕」
大きな鏡の中には、ユウとユウの話を聞く俺が立っている。
そのとき突然、気が付いた。
そして自分の気付きに、雷に打たれたような衝撃を受けた。俺は目の前が真っ暗になって、天を仰ぐ。
「あぁ……」
「カイ?大丈夫?具合悪い?」
もしかして、もしかして。運命を変えてしまう出会いとは、俺のことなのか?いや、まさか、だけど。ユウが十七歳になってから新たに出会った人間は限られる。もしも、もしも、占い師が言う出会いの相手が俺だったらどうしよう。
俺の存在がユウの運命を変えてしまうのだとしたら。いや、もう変えてしまったのだとしたら。
ごめんユウ。ごめんなさい手塚。一体どうしたらいいのだろう。
「顔色が悪いよ。座ったら、カイ。ねぇ、大丈夫?」
むしろ俺以外である可能性を考えられなくなった。どうして今まで気がつかなかったのだろう……。
それでも俺は、今夜もユウの手を握って寝かしつけてやりたいと思っている。このことを、ユウにも手塚にも気づかれないよう、今まで通りの毎日を送らなくては、と思っている。
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