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十月・ユウ「文化祭」
校舎内でのブレザー着用率も高くなってきた。衣替えしたばかりの月初には、まだ暑いと感じていたのに、いつの間にか秋らしい気温になっていたようだ。
例年、十月最後の日曜日に文化祭が開催される。
前日は通常授業は行われず、一年生二年生が総出で準備に取り掛かる。三年生も明日だけは受験を忘れて楽しんでくれるはずだ。
生徒会の役員たちは忙しく、あっちに指示を出し、こっちに指示を出しと、飾りつけを仕切ってゆく。
同時に体育館では、ステージを使用する演目のリハーサルが行われている。ボーカルが生徒会長だからと忖度されたのか、僕らのバンドはステージメニューのトリだった。
夕方、正門の看板取り付けを確認した僕は、体育館へと急ぐ。
すでにステージ上手にスタンバイしていたカズ、ゲン、ナツは、ガチガチに緊張しているようだ。
「リハーサルで、そんなになってどうするだ」
リーダーであるカイが照明の打ち合わせから戻り、彼らを叱咤していた。
「大丈夫です。本番に強いタイプなので」
カズが自分に言い聞かせるように、そう答える。
リハーサルの出来栄えは上々だった。音楽室で歌うときより、マイクを使って広い空間に自分の声が響き渡っていくのは想像以上の快感だ。生徒会長として皆の前でスピーチするのとは全く異なっていて、癖になりそう。
「当日は見に来れないから」と体育館のキャットウォークで見守っていてくれた庭師さんも、頭の上で大きく丸印を作ってくれた。
それを目にしたカズは、ほっとしたようで涙ぐんでいる。
「だから、リハーサルでそんなになってどうするだ」
カイの言葉に皆が笑った。
夕食後、僕は一人で各所の確認に出向いた。すでにほとんどの生徒が寄宿舎へと引き上げたので、校内はしんと静まり帰っている。昼間の騒めきが嘘のようだが、明日の文化祭はもっともっと賑やかになるだろう。
その足で生徒会室に行き、置いたままだった進行表を回収した。生徒会室の片隅には、飾りつけで余った段ボールや、カラフルな紙や、リボン、風船が騒然と置かれている。
ぐるりとそれらを見渡せば、いよいよ明日が本番なのだと気持ちが昂ぶった。生徒会としても一大イベントだがバンドとしても出演できるのだから、カイの提案にのって良かったと、この状況を噛み締める。
ただただ優等生として無難に過ごしてきた自分にも、ステージの上に立って歌うなんて青春が訪れたのだから。カイには本当に感謝しなければ。
ふと机の下に、何に使ったら余りなのか、紫色の刺繍糸の束が落ちているのを見つけた。僕はそれを拾い上げ、いいアイデアを思いつく。
カイは僕の手先が意外と器用なことに、驚くかもしれない。
朝。目覚まし時計が起床時刻を知らせる。カーテンを開ければ曇天だったが、むしろこの学園では雨が降っていないだけマシだ。
「カイ、おはよう!起きて」
「……ん、もう少し、だけ……」
僕は二段ベッド上にいる彼の掛け布団を引き剥がし、彼の右腕を取る。
「……ユウ?なに?……」
僕はその腕に、昨晩編んだ紫色のミサンガを結んでやる。
「ん、これは?」
眠くてまだ頭があまり働いてなさそうなカイに、僕の右腕にもついている同じ色のミサンガを見せた。
「お揃いだよ、カイ。ステージが成功するようにってお守り」
「え、ユウが作ったのか?ありがとう。なんかすげぇうれしい。器用なんだな」
完全に目が覚め、今日が何の日か思い出したのだろう。カイのテンションが上がっていく。
「いよいよ本番だね。カイが付けてくれたバンド名「アルタイル」。僕も気に入ってるんだ。あの七夕の夜は僕の大切な思い出だから。楽しもうね、ステージを」
腕に結んでやったミサンガを見つめていたカイは、大きく頷いてくれた。
いつもは閉まっている正門が開けられ、生徒の家族や友達、来年度以降の入学希望生が大勢、学園にやってくる。最寄駅からの送迎マイクロバスもフル稼働だ。
僕の父と母も手塚の運転で、文化祭を見に来てくれる。
カイに「誰か見に来てくれるの?」と聞いたが、「来ないよ」というあっさりした答えしか返ってこなかった。家族の話をしたことがないが、外国にでも住んでいるのだろうか?
開会前、駐車場へ迎えに出て、父と母を学園長室へ案内した。他の来場者たちが、政治家として顔の知れ渡っている父を見てザワザワとしているが、強面の父に気軽に話しかけてくるような者はいない。
来賓用のソファーに着席し、学園長から手渡されたプログラムを開いた父は、まさか僕がステージで歌うとは思っていなかったようで、「どういうことだ」と声を荒げた。
「変な目立ち方をするな。おかしな「出会い」が生まれたらどうするんだ」
言われるだろうと覚悟はしていた。けれど文化祭のステージの上ぐらい許されるはずだと、甘いことを思っていたのも事実だ。
「手塚、オマエは知っていたのか?」
父の怒りは手塚に向かう。学園内のことを手塚が知るはずもないのに、理不尽だ。それでも手塚は「申し訳ありません」と父に頭を下げた。
「バンド出演がなくても、僕は生徒会長として開会と閉会の言葉を述べる予定でした。ですから、人目に晒されることには変わりありません」
「そんなもの、顔を出さずに校内放送でもしたらいい」
「ではお父さんがおっしゃる通り、そうします」
僕は父の目をしっかりと見て、続きを話す。
「けれどバンドとしてステージには立ちます。もう変更はできませんから、一緒に練習を重ねてきた仲間と共に僕は歌います」
初めて父に反抗した。予想外の反論だったのか、父は黙って僕を睨みつけてくる。
揉め事の発端が見えない学園長は、巻き込まれたくなかったのだろう。父にコーヒーを勧め、「ところで……」と次の選挙戦の話題を振った。
僕は幼少期、母と行くはずだった海外旅行を占い師の助言でキャンセルしたことがある。その時乗るはずだった飛行機がテロに遭い墜落した。もし乗っていたら間違いなく死んでいて、今の僕はなかっただろう。命拾いしたのだ。
その予言をした占い師のことを、父は信じ切っている。だから「十七歳で運命を変えてしまう出会いがある」と心底心配しているのだ。
そもそも「運命を変えてしまう」とは、なんだろう。父は、僕が政治家になって跡を継ぐという未来が壊されると本気で心配しているようだが、それは父の願いでしかない。
指し示されている「出会い」さえ回避すれば、僕の運命はすでに誰かによって決められているだろうか?その「運命」を決めたのは、父なのか、占い師なのか……。
体育館のステージ上には中引幕が引かれ、その幕の前で浪曲、マジック、落語の演目が行われている。幕の後方には、すでにドラムセットや機材がセッティングされていて、僕たちは上手袖でスタンバイをしていた。
文化祭の閉会時間も近づき、校内の他の出し物や展示も一段落。最終の演目が行われる体育館にかなりの人数が集結している。
二年生による落語が終わり、拍手が聴こえ、僕たち五人は各自の定位置についた。それぞれが少しずつ音を出し、機材との接続を確認する。
カイがドラムのカズと目を合わせ頷く。ゲンとも、ナツとも頷き合い、最後に僕を見る。僕も大きく頷いた。
緊張感はMAX。さぁ、いよいよだ。
暗転し、中引幕が開く。ドラムのカズがスティックで取ったカウントに合わせて、まばゆい照明が僕たちを照らした。
カイのギターが、カズのドラムが、ナツのギターが、ゲンのベースが、体育館中が音で満たされていく。満たされた大きな音が僕を包み込み、リズムと共に胸を高鳴らす。
スタンドマイクに両手を添えて大きく息を吸い込んでから歌い出すと、僕にピンスポットがあたった。パイプ椅子に座っていた一部の生徒たちが立ち上がって、歓声を上げる。皆の視線が僕らに注がれ、体育館が一体になれたようにすら感じる。
二曲目に入る頃には少し緊張がほぐれた。サビでカイが近づいてきて、ギターを弾く彼と顔を見合わせながら歌い上げた。カイが楽しそうに笑えば、僕の口角も上がる。
「ありがとうございます。僕たちは五人組バンド「アルタイル」です。たった三曲の演奏で、次が最後の曲ですが、こうして文化祭で演奏できたことを、僕は誇りに思います。来年度以降の入学を考えている皆さんも、この学園に入ったら、きっと僕のように素晴らしい友達ができると思います。ではラスト、心を込めて歌います」
カイのギターから始まるこの曲。何度も何度も練習していたメロディを、バッチリと決めてくる。一年生の三人も今までの練習の中で一番いい。きっと僕のボーカルも彼らの音に押し上げられて最高のものになっているはずだ。
僕のマイクにカイが割り込んできて、ハモりのコーラスをする。二人で目を合わせ、笑顔を交わし、互いの腕に結ばれたミサンガを目線で確認し合って。会話をしなくても、互いにこの瞬間、同じ音を聴き、同じものを見て、同じく感無量なのだ。
この三曲目の歌詞が最も好きだったから、特に気持ちを込めて、皆に、バンドメンバーに、そしてなによりカイに届くように歌った。
大歓声の中でカーテンコール。僕らは肩を組んで、バレエのレヴェランスのようにお辞儀をした。たくさんの拍手をもらうのは最高に気持ちが良かった。
拍手が鳴り止まない中、父と母と手塚が席を立ち、体育館の出口から出ていったのが見えた。
夜。一年生の三人を部屋に招いて、反省会と称し、文化祭気分を引きずったままお喋りをして過ごした。
「俺たち、ユウ先輩、カイ先輩とバンドやれて、クラスの奴らから本当に羨ましがられてるんですよ。二人ともみんなの憧れだから。お二人並んでると絵になるし」
カズが興奮気味に話してくれる。
「ユウだけだろ、俺に憧れるやつなんかいないよ」
カイは自分の格好良さが分かってないのだろうか。
「カイ先輩、鏡見たことないんですか?」
ゲンにも揶揄われている。
「俺の姉ちゃんなんか、ギターとボーカルがイチャイチャしてて尊い、とかよく分からないこと言ってたし」
「イチャイチャなんか、してないよ」
ナツのその意見には、僕も慌てて否定する。
「いや、してました。はい」
カズもゲンも頷き合う。カイは困ったようにただ笑っていた。
一年生三人にとっても、今日という日は本当に良い思い出になったようだ。
「あぁ、それにしても楽しかった!でも来年は先輩たちは三年生だから、文化祭の展示や発表には参加しないんですよね。まじで寂しいなぁ」
消灯時間ギリギリまで居た彼らが部屋へ戻り、二人になっても、僕の気分は高揚したままだ。
「カイのおかげでバンドを組めて、すごく楽しい時間が過ごせた。ギターを弾くカイ、格好よかったなぁ。カイが学園に転入してきてくれて、よかった。バンドに誘ってくれて、本当によかった」
布団に入り、いつものように繋いだカイの温かい手をブンブンと振り回しながら、そう伝える。
「ユウの歌声もさ、すごく良かったよ。後ろでギター弾いてて「今が最高の瞬間だ」って思った。一緒にやってくれてありがとな」
カイもそう言ってくれた。
間違いなく今までの学生生活の中で、一番の思い出になった。僕は今、青春の真っただ中にいる。そんなことを考えていたら、いつの間にか眠っていた。
文化祭から三日が経ち、ようやく学園内も静けさを取り戻してきた。
夕食のあとにギターの練習をしなくてよくなり、手持ち無沙汰なカイを誘って温室へと散歩する。
この時間、睡蓮の花はすべて閉じている。それでも僕はこの場所が好きだ。最近は睡眠時間もしっかり取れているから、隠れてウトウト昼寝はしなくなったけれど、ときどきこうして歩きたくなる。
「そうだ、今日俺、誕生日なんだ。ようやくユウと同じ年、十七歳に追いついた」
知らなかった。もっと早く教えてくれたらよかったのに。学園にいると急な買い物はできないから、プレゼントも用意できない。
「十七歳おめでとう、カイ!ねぇ、何かしてほしいことある?」
「してほしいこと?」
「うん。例えばさ、次の掃除当番代わってほしいとか。本当はプレゼントをあげたいんだけど、なにも準備してなかったし」
そう聞くとしばらく考え込んでいた。
「……じゃ、ハグしてもらおうかな」
いたずらっ子のような顔をしてそう言う。「俺、帰国子女だからさ」って笑いながら付け加えて。
「ハグ?そんなことでいいの?」
「うん」
コクリと首を動かしたカイの顔はさっきと違い、思いのほか真剣で、もう茶化せなくなる。そっと距離を詰め、両手を広げて。もう一歩近づいて、抱きつく。カイの手もゆっくりと僕の背中に回ってきて、ギッと抱きしめ返してくれる。
カイの温かな体温が伝わってきて、心臓がバクバクしてしまった。
こんなに頬が熱くなるのは、僕は帰国子女ではなく、ハグの習慣がないからだろうか……。
「おめでとう、カイ」
もう一度、祝いの言葉を口にするのが精一杯だった。
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