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01.悪役令嬢の兄、妹の婚約破棄に巻き込まれる

 セシリア・ブラッドの婚約が破棄された一連の騒動は新聞沙汰になっていた。押しかけてくる新聞社の記者たちを追い払うことが門番の役目となっており、その様子を窓越しに見下ろしていた青年、カイル・ブラッドはため息を零した。  ……セシリアのやつ。やりやがったな。  婚約を破棄されたのは聖女をいじめていたからだ。  それだけの理由で婚約破棄という社交界の笑い者になったセシリアは、カイルの三歳下の妹だった。見た目だけが優れているセシリアを伴い社交界に出ていたカイルも、同等の嫌がらせをしていたのではないかという疑惑がかけられている。  ……ほとんどが免罪だ。  カイルは嫌がらせをしていない。  ただ、聖女に興味も抱いていなかった。それがセシリアの元婚約者の癇に障ったのだろう。嫌がらせに加担していたのではないかという疑惑を真っ先に口にしていた。  そのやり取りを知ったのは、新聞を見てからである。  新聞には好き放題書かれていた。それを鵜呑みにした記者たちが門に殺到したのである。 「……家出でもしようか」  カイルは独り言を口にした。  このまま、家に残ったところでお先は真っ暗だ。多額の賠償金を払えるほどの金はなく、爵位も公爵から子爵にまで転落させられた。慣れ親しんだ公爵領を取り上げられた両親の憎しみはセシリアに向けられている。  その家にしがみつく理由はなかった。  カイルは近衛騎士団の騎士として仕事をしている。仲間からは同情されており、近々、移動命令が下されることだろう。  ……近衛騎士団にいられないのならば、騎士の意味がない。  近衛騎士団にこだわる理由があった。  それは幼い頃に抱いてしまった叶うはずのない恋心だ。その恋心を心の奥底にしまい込み、今では思い出せないほどになっていた。 「カイル。お前だけが頼りなのに。どうして、そのようなことを言うんだい」 「……いたんですか、父上」 「執務室では落ち着かなくてね。少し、話をしようかと」  父はそういうとソファーに座った。  カイルの自室に勝手に入り込んで堂々と振る舞う姿は、公爵と呼ばれていた頃となにも変わりはない。 「話ですか」  カイルは窓の外を眺めるのを止め、父の向かい側のソファーに座った。 「カイルは性転換の妙薬を知っているかい」  父の言葉にカイルは頷いた。  聞いたことがあった。 「第三王子殿下が発明なされたと聞いたことがありますが、解毒剤はまだ開発されていませんよね」 「そうだ。その妙薬がここにある」 「なんで持ち歩かれているんですか。あれは王室が厳重に管理をしている品物でしょう」  カイルは呆れたように言った。  父は抱えていた箱をテーブルの上に置いた。  ……なんてものを持ち歩いているんだ。  性転換の妙薬は数年前に発明されたばかりの品物である。  生まれ持ったバース性を正反対のものに変えることができる品物であり、α同士やΩ同士で結ばれた人々から喝采を集めた第三王子の発明品だ。ただし、解毒剤はなく、一度変えてしまえば元のバース性には戻れない。  ……嫌な予感がする。  借金まみれの子爵家は明日の生活もどうなるのか、わからない状態だ。母は公爵家から子爵家に落とされた現実を認められず、衰弱している。元凶であるセシリアは早々に勘当をされ、修道院に行かされた。兄たちは記者たちの目につかないように部屋にこもったまま、出てこない。  壊滅的な状況だった。  その中で父だけが必死に生活水準を維持しようとしていた。 「解毒剤でも開発して儲けようとでもしているのですか?」  カイルは父の考えがわからなかった。  カイルの問いかけに対し、父は首を横に振った。 「違うんだ、カイル」  父は申し訳なさそうな声で箱をカイルに付きつけた。 「お前が使うんだ。オメガになる為に」 「嫌ですよ。俺はアルファです」 「そうだ、嫌だろう。それが賠償金を肩代わりしてもらう為の唯一の妥協案だそうだ」  父の言葉にカイルは絶句した。  ……俺がオメガになる?  オメガになれば子を孕むことができる。  しかし、発情期など大変な面が多く、オメガに対する差別思想もある。オメガは役に立たないと嫌われることが多い。  ……冗談じゃない。  カイルはアルファとして生きてきたのだ。そのすべてを捨てるなど考えたくもなかった。 「俺に家の為の生贄になれというのですか!」  カイルは冗談じゃないと声をあげた。  ブラッド公爵家、もとい、子爵家の次男として生まれ、学院を難なく卒業して近衛騎士にまで実力で上り詰めてきた。それをすべて手放さなければならない。  騎士はアルファでなければならないと規則で決められている。  オメガは職を選べない。  オメガは生き方を選べない。  番契約を結べば自由すらも奪われることになるだろう。  それを知っていて喜んでオメガになるわけがなかった。 「そうだ。そうなってしまった」  父は涙を流した。 「すまない。だが、これも、我々が生き残る為の最後の手段なんだ」 「俺はどうなってもいいというのですか!? 職も立場も失うんですよ!」 「それはすまないと思っている」  父は何度も謝罪をする。  しかし、どうすることもできなかった。 「国王陛下のご命令だ。オメガになり、大公家に嫁ぐのだ」  父の言葉にカイルは言葉を詰まらせた。  ……大公家に嫁ぐ?  婚約まで決められていた。  抵抗の術を奪われていた。  カイルは生まれ育った家も家族も見捨てられるほどの薄情な性格ではない。泣いているセシリアを慰めるほどには家族に情がある。  しかし、貴族だ。貴族として王命に逆らえるはずがない。  ……アーサー騎士団長の嫁に俺がなるのか?  所属している近衛騎士団の団長、アーサー・ホワイトは三十歳になったが、未婚である。アルファであり、家柄も良い。それなのに結婚をしないのは思い人がいるせいではないかと噂されていた。  しかし、仕事をしないことでも有名だった。  近衛騎士団の執務室に籠ったまま、一日を過ごし、王族の警備の仕事をしない。名前だけのお飾りの騎士団長だということはカイルもよく知っていた。  ……冷遇はされないだろうが……。  快く受け入れられるとも思えなかった。  上司の為、従ってはいるものの、アーサーの考えに内心では反発していることも多く、無礼講の席では露骨なまでに距離をとってきた。カイルはアーサーが苦手だった。主にアーサーの獲物を見つめるような視線がカイルには居心地が悪かった。  アーサーの視線は幼い頃の恋心を刺激する。  忘れなければならない恋心を刺激され、カイルは冷静にはいられなかった。 「陛下のご命令ならば、しかたがないじゃないですか」  カイルは箱を受け取った。  手が震えてしまう。 「俺が嫁げば、父上たちはまともな生活ができますよね」 「そう約束してくれた」 「わかりました。……家の為の生贄にでも、なってみせましょう」  カイルは笑ってみせた。  本当は嫌だった。しかし、国王陛下の命令に逆らえるはずがない。貴族としての矜持は子爵家に落とされた時点で捨てた。今は生き延びることが最優先だった。 「これはいつ飲めばいいんですか?」  カイルは覚悟を決めた。  生まれ持ったバース性を捨てる日が来るとは思わなかった。しかし、逆らうことはできない。 「初夜の日に、大公閣下の目の前で飲むように言われている」 「……飲んだ時に強制的に発情期が来るって噂がありますけど」 「そうだ。その時を見たいと大公閣下の要望だ」  父の発言を聞き、カイルは死んだ魚のような目をした。  ……なにを考えているのか、わからないですよ、騎士団長。  心の声を飲み込んだ。  ……嫌だな。  冷遇される日々が待っているのではないだろうか。不安が頭を離れない。  ……オメガになりたくない。  アルファとして誇りがあった。それを捨てなければいけないのは屈辱だ。  ……アーサー騎士団長に愛されるのだろうか。  愛を知りたいと思った。  どうせ、オメガになるのならば愛されたい。  なぜ、そう思うのか、カイルも不思議でしかたがなかった。  ……恋なんて捨てたはずだ。  十年の月日で諦めがついたはずだ。  しかし、愛されたいと思ってしまった。  ……なのに、なんで、大公閣下の嫁に選んだんだよ。  悔しかった。  カイルが一生懸命隠し通そうとしていた恋心を見ぬかれているようだった。

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