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02-1.大公家の花嫁としてオメガになる

 カイルは近衛騎士団の辞表を提出した一か月後、大公家から寄越された馬車に乗り込んだ。馬車に揺られながら、今後のことを考える。  大公領ではなく、アーサーが住まいとしている首都の大公邸に向かう馬車から逃げることはできない。手荷物の中には父から渡された性転換の妙薬が入っていた。  ……騎士団長になにを言われるのだろうか。  アーサーが提案をしたとは思いたくなかった。  しかし、急な婚約を結ばされ、その一か月後には嫁ぐように命令が下された。  一か月の間、心の準備はできなかった。  ……嫌味の一つや二つ、覚悟をしておかないと。  思い出すのはアーサーから向けられていた視線だ。  纏わりつくような視線はカイルに向けられていた。それは好意的なものなのか、カイルにはわからなかった。 * * * 「待っていた」 「……すみません。道が混んでいたので」 「変な言い訳はいらん」  大公邸に到着した途端、アーサーに出迎えらえた。  無表情でなにを考えているのか、わからない。  しかし、歓迎はしているようだ。  アーサーの対応に困っている使用人たちが二列に並んでいることを見ると、大公邸で働いているすべての人間が玄関に集められているのだろう。 「長い一か月だった」  アーサーの言葉に対し、カイルは眉間にしわを寄せた。 「そうですか。俺には短い一か月でしたよ」  カイルにとって残された一か月の期間は貴重なものだった。  子爵家に降格させられると同時に離れて行った友人たちからもらっていた手紙を暖炉の中に放り込み、必要最低限だけの宝石を残し、すべてを家の財産として置いてきた。騎士として働いていたお金は念のために持ってきているものの、それ以外の財産は手放したのだ。  オメガとなればカイルの世間での価値はなくなる。それを知っているからこそ、カイルは貴重な残されたアルファとしての時間を過ごしていた。 「会えなかったのにか」 「元々、騎士団長とは毎日顔を合わせていたわけではないでしょう」 「寂しかったのは俺だけか」  アーサーの言葉に対し、カイルは首を傾げた。  ……寂しい?  そのような気持ちを抱かれているとは思ってもいなかった。  ……騎士団に行かないのは変な気分にはなったけど。  寂しかったのかもしれない。  近衛騎士として働いた三年間は充実していた。その日々を突然失うことになり、胸の中に穴が開いたような感覚を味わっていた。  ……寂しかったわけじゃない。  そもそも、アーサーとは毎日会っていたわけではない。  こうして顔を合わせるのも数か月ぶりだ。  ……俺はオメガになりたくなかった。  アルファとしての生活に未練があった。  しかし、実家の為には受け入れなければいけない現実だった。 「カイル」 「なんでしょうか、騎士団長」 「呼び方を変えないか」  アーサーに言われ、カイルはようやく騎士団長と呼んでいたと自覚した。無意識の癖だったのだろう。  ……家でまで騎士団長呼びはないな。  結婚をしたのだ。強制的ではあったものの、書類は既に受理されている。  そんな相手から騎士団長と呼ばれたくないだろう。  ……オメガの教本を思い出せ。  家にあった教本を思い出す。  そこには従順なオメガの仕草や言動などが描かれていた。それを暗記してきたのだ。少しでもアーサーの機嫌を損ねないように、一か月の間、練習を重ねてきた。 「では、アーサー様と呼びましょうか? それとも、ご主人様の方が好みですか?」  カイルは提案をする。  その提案を聞き、アーサーは少しだけ考えていた。  ……やはり、教本は正しかった。  オメガの正しい振る舞い方を学ぶ為、カイルはオメガについて書かれている本を読み漁った。その本は偏見にまみれたものだと知らず、カイルは正しい振る舞いを身に付けたつもりになっていた。  ……人として扱われようと思うな。  教本に書かれていたオメガの一生を思い出す。  オメガはアルファの所有物だ。 「それもいいな」  アーサーはうっかり本音を口にしていた。  ……気持ち悪い。  アルファとして性質によるものだろうか。  アルファであるのにもかかわらず、オメガとして見られていることに嫌悪感を抱く。その嫌悪感さえも性転換の妙薬を飲んでしまえば、なくなるのだろう。  ……まるで俺がオメガになることを望んでいたようだ。  オメガとして見られている。  それがどうしようもなく違和感があった。 「騎士団長。さっさと決めてください」  カイルは冷たく言い放つ。  仲間の騎士たちから犬猿の仲だと言われるほどに、カイルはアーサーに優しく振る舞えなかった。素っ気なく振る舞うのが精一杯だ。  そうでなければ、心臓が痛くなってしまうう。  傍にいるだけで心臓が高鳴るのを感じる。  ……早死にしそうだな。  それが恋であるとカイルは知らなかった。 「アーサーと呼んでくれ」 「敬称はいらないのですか」 「必要ない」  アーサーに言われ、カイルは深く頷いた。 「アーサー」  カイルは指示された通りに名前を呼ぶ。  そして、不快に思われていないかを確認する。背の高いアーサーを見つめると、無意識に上目遣いになってしまうことにカイルは気づいていなかった。 「部屋に案内をしてください。使用人たちの仕事ができないでしょう」 「そうだな」 「荷物は持たなくて大丈夫です。俺も騎士として鍛えていましたので」  カイルは反射的に荷物を背中に隠した。  アーサーはそれに対し、寂しそうな顔をしているような気がした。  ……表情が変わった!  無表情の鉄仮面で有名だったアーサーの表情の変化に気づけたことに、内心、ガッツポーズを決める。 「アーサー。荷物の中に例の薬が入っています」 「知っている」 「落としてはいけませんのでメイドには渡しません。俺が運びます」  カイルの言葉にアーサーは頷いた。  貴重な薬を台無しにはしたくはなかった。

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