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第2話 疑念
アヴァールがヴェルシュに伝えた決まり事はこうだった。首輪は外さないこと、大きな用事がない限りこの離れを出ないこと、食事を共にすること。そして──
「私も同じ閨で眠ること。…まあ、私がこちらに来る限り君に拒否権はないよ、ヴェルシュ」
ヴェルシュが反抗的な目を向ければ、アヴァールは口にしようとしていたカップを置き、にこりと笑った。
「なぁに、君の無垢を汚そうというわけではないよ。君とできる限り寝食を共にし、話が聞きたい。それだけだ」
それから、またカップを取り直すとお茶を一気に飲み干し、席を立った。そしてヴェルシュの耳元まで近付き、囁く。
「君が反抗的なら…その時は、"約束は守れない"かもしれないけどね」
馬車の音が聞こえる。外を見れば、外商が来ているようだった。まだ聞きたいことはあるが、今はここでお開きなのだろうとヴェルシュは察する。
「身の回りの世話は担当のメイドに任せてある。食事も、時間になったら私がここに来よう。もちろん、眠る時もね」
アヴァールは余程急いでいるのか、懐(と言うには開きすぎているが)から時計を取り出して眺め始める。そして、
「どうしても外に出たくなったら──たとえば、外の樹木の世話だとか。その時は直接私に伝えてくれ」
とヴェルシュに告げた。
「では、次の食事でね」
アヴァールは早口でそう説明すると、離れの扉を開く。そのままヴェルシュを一瞥すると、ふ、と微笑み、その場を後にした。
アヴァールが嵐のように去ったあと、一人残されたヴェルシュは、ふぅ、と深く息を吐いた。
「…ここが俺の牢屋、ってことか。なるほど、納得いかないな」
声は虚空に吸い込まれて行く。項垂れつつも、顔に掛かる長いマスカット色の髪を耳にかける。働くでもない、馴染んだ空間でもないその"アヴァールの離れ"は、ヴェルシュに孤独を感じさせるには十分だった。
全く、なんて日なんだ。何の説明にもなっていない上に次の食事で、だと?自分は朝食すら許されずここに来たというのに。
考えれば考えるほど、アヴァールへの文句と不満が溢れていく。そもそもアヴァールは、なぜ、どうやってヴェルシュを買ったのかを本人に伝えていないのだ。尤も、伝える時間がなかったのかもしれないが。
しかしそれよりも、ヴェルシュには一つ、心配事があった。
住んでいた家の敷地にある楓の木。周囲の草を抜いたり、落ち葉を掃除したり、はたまた自分もその移り変わる葉の色に心を躍らせるなど、愛着を持って接していた。
その木は昔─50年ほど前だろうか─近くに暮らしていた人間が植えたものだった。その頃のヴェルシュは今より幾分か柔らかく、人間もエルフを恐れなかったため、親睦を深めることができた。そして、自分が死んでしまう前にとその楓を植え、死に様を見せることなく姿を消してしまったのだった。
その楓を、これからは見られない。世話をする者もいない。
そこまで考えて、はたと気付く。あの男は確かに、樹木の世話をする時は自分に伝えるように、と言った。
「…なぜ、俺の家のことまで知っているんだ?」
ポツリと呟くも、答えてくれる者などいるはずもない。
ヴェルシュの心には、疑念が広がるばかりだった。
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