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11 偽物
「全然駄目だな……」
「そうですね」
大小二人の狼獣人が呆れた顔でこちらを見つめている。
大きい方は、麦わら色の髪の分隊長ラグナル。筋骨隆々の太い腕を、分厚い胸筋の前でガッチリと組み、難しい顔つきで「ぐぬぬ」と唸っている。
隣の小さい方は、イアンデの従士の12歳の狼獣人の少年レオだ。尖った耳の生えた金髪の頭を45度に傾けて、青色の目をぱちぱちと瞬かせていた。
「イルヴァ姫に愛し合う自分たちを見せる」と決めたはいいものの、イアンデとリネアは一体何をしたらいいのか途方にくれた。
それでイアンデは「詳しい者に教えを乞うのが一番なのでは?」と、急遽この二人を城に呼び寄せたのだ。
愛する番がいる当事者・ラグナルと、番をもつ兄弟が6人(相手も合わせれば12人も)いるという『本物』を間近に見慣れたレオだ。
「二人とも、ごめんね。訓練中に時間を作ってもらっちゃって」
「とんでもありません! こんなにおもしろそう……じゃなかった、重要な任務のお手伝いができるなんて、光栄に思っております!」
「……そ、そう? よかった」
二人はなぜか瞳をギラギラと輝かせながら、謎のやる気に満ちている。
これから二人にするのは、非常に馬鹿げたお願いだ。リネアは恐縮していたものの、熱意にあふれた二人を前に、心が少しだけ軽くなる。
イアンデとリネアが、愛し合っているように見えるか?
“本物”を見慣れた二人にジャッジしてもらう。
しかしわざわざ確認してもらうまでもなく、そんなふうに見えるわけがないことは、リネアはよくわかっていた。だって現状、イアンデとリネアの間に愛なんて欠片ほどもないのだから。
けれどできれば、いや、なんとしてでも、これから二人にアドバイスをもらい、やれることを全部試して、イルヴァとの会談までにどうにか形だけでも『愛し合う二人』に見えるようにしたかった。
本当はイルヴァに直接手紙を送り、「エリクのことをどう思っているのか」と今すぐにでも聞きたかった。けれど王宮に送る手紙はすべて検閲されるとイアンデに聞き、こちらから手紙を送るのは諦めた。
自分は異種族で、王宮の狼獣人の何者かから警戒されている可能性がある。以前リネアに疑念を向けた外交官のゾーデルのように、何らかの意図でリネアの邪魔をしようと目論む輩が王宮内にいるかもしれないと思ったからだ。イルヴァ姫に確実に会うために、細心の注意を払わなければならなかった。
そのため、リネアが王宮に行く情報は伏せることに決めた。
イアンデは5日後、軍部の会議に出席するために王宮に向かう。リネアも密かに同行し、その日に二人で、イルヴァ姫に会う。
(ありがたいことにやっと、エリク様の手紙を渡すチャンスがきた)
リネアは不安を抱えつつも、その日が来るのが待ち遠しくて仕方がなかった。
けれど一番心配なのは、この嘘くさい作戦を決行しなければいけないことだ。
イルヴァ姫に自分たちの仲睦まじい姿をどうしても見せたい。騙していることになり申し訳なさを感じつつも、二人が寄りを戻すきっかけを作ることが、何よりも重要だと思った。
そんな期待を抱きながら、リネアは「よし」と気合を入れてイアンデの隣に並び立つ。互いの腕が触れそうになるほど距離が近く、思わず体が強張った。隣のイアンデも正面を向いたまま微動だにせず、何やらピリピリとした緊張感のようなものが伝わってくる。
そんなぎこちない二人を見たラグナルが、呆れたようにため息をついた。
「足りないんだよなぁ。なんかこう……ぐわあっ――っと湧きあがる、情熱というか、ほとばしる愛! みたいなものが……」
顔を顰めるラグナルの隣で、レオが声を上げる。
「もう少し近くに寄るのはどうですか? 離れていると他人行儀に見えます。番なら、常に体のどこかしらが触れ合ってるくらいでちょうどいいと思いますよ。うちのにいちゃんたちなんて、常にべったべたしてますから」
漠然としたイメージを感情的に語るラグナルに比べ、レオのアドバイスは具体的でわかりやすい。
イアンデとリネアも無言で棒のように突っ立ったままで、効果的な提案など何もできそうになかった。この中で一番頼りになるのは一番年下のこの少年なのではと思えてくる。
「なるほどな」
レオの言葉通りに、イアンデが一歩こちらに距離を詰めてきた。服越しに腕と腕とがピタリと触れて、リネアはドキンと胸が高鳴る。思わず頬が、じわ、と熱くなるのを感じた。
その瞬間、ラグナルの表情がぱあっと輝く。
「あっ! リネア様、なんか今、初々しくてすごくいい感じです! そう、その感じ! ぜひそれを、続けて! そのままで!」
リネアは興奮したラグナルの迫力に気おされ、せっかく熱くなった頰が、ひゅうっと急速に冷えていくのを感じた。
レオからは「手を繋いだら?」「肩を組んだら?」とぽんぽんと提案されるたび、イアンデは言われるがままにリネアに触れくる。イアンデに触れられるたび、リネアの緊張は増していく一方で、体はガチガチに強張って、長耳はプルプルと震え出していた。
そんなリネアを見て、ラグナルとレオが首を傾げる。
「どうしてだ? なんか、悪化しているぞ……?」
「……愛し合う番っていうより、肉食獣と、食べられる寸前の怯えた獲物、みたいになっちゃいましたね」
イアンデは普段と同じように無表情ではあったが、尻尾が不規則にゆらゆらと揺れ、明らかに戸惑っている様子だった。
妹の幸せのため、国の平和のためとはいえ、自分がこんな途方もない作戦を思いついてしまったばかりに、イアンデに無茶なことをさせて申し訳なさが募る。
悪化していく一方のリネアとイアンデを見つめ、ラグナルの眉間の皴はさらに深くなり、レオの首は傾いていくばかりだ。
イアンデにぎこちなく腕を回されたリネアもまた、困り果てた。
どうしたらいいのだろう? やはり偽物である自分たちに本物のふりをするのは無理なのだろうか。
別に自分は、イアンデのことは嫌いではない。言葉を交わすようになってからは、むしろ好ましいとすら思う。なんとかその気持ちを盛り上げて、体の中から滲み出していくことさえできれば……。
そんなことを考えていた時だった。
イアンデが何かを思いついたように、ハッと息を呑む。そして突如、大きな声を上げた。
「こうするのはどうだ?」
イアンデはリネアの肩を掴み、自分の正面に向かい合わせた。
リネアは不思議に思い、一体何事かとイアンデの顔を見上げる。その瞬間、イアンデの顔が近づいて、首に顔を埋められる。リネアがぎょっとして固まると、イアンデの熱い唇が肌に触れ、そのまま首筋を、カプ、と噛まれた。
「えっ……! なっ……! なにをっ!?」
噛んだ場所をそのまま、熱い舌で舐められる。
リネアが驚いて石のように身を強張らせていると、レオがキラキラと目を輝かせた。
「なるほど! そうですよ。最初からそうすればよかったんだ。狼獣人にはこれが一番効果的です。なんでこんな簡単なこと、すぐに思いつかなかったんだろう!」
ひとしきり舐めた後、イアンデは顔を離してリネアを見下ろした。その瞳には見たことのない何かが浮かんでいて、理由がわからずリネアは戸惑う。
盛りあがるレオに比べ、先程までうるさかったラグナルがやけに静かだ。彼はなぜか目を丸くしたまま、あんぐりと口を大きくあけている。
「……イアンデ、お前……やっぱり、それ……」
イアンデはラグナルを制するようにジロリと睨む。「うっ」と怯んだラグナルは、その先に続く言葉ごと、唾をごくりと呑み込んだ。
「……まあ、なんでもいいか。うん、この調子でいけば絶対、大丈夫だ」
ラグナルは少し呆れたように、片方の口端を上げて笑みを浮かべる。
3人は意味深な目配せを交わしながら、うんうんと妙に真剣な顔で頷いていた。
リネアは何が何やらわからなかった。「何が大丈夫なの?」と質問すると、レオが説明してくれた。
「狼獣人は、動物が自分の縄張りをマーキングするみたいに、番に自分の匂いや噛み痕をつけるんです。イアンデ様は今、それをリネア様になさいました。狼獣人はその強さと深度で、番との親しさを測ります」
「そうなの?」
リネアは驚愕し、イアンデを見上げた。
では本来、本物の番にしかしないことを、イアンデは自分にしたということなのか?
「すごいですね。好きでもない相手に、そんなことまでできるなんて」
「リネアはやはり、何も感じないか?」
「はい。全然わからないです。種族が違うからですかね? 狼獣人なら誰でもわかるんですか?」
「ああ。これならイルヴァも必ず気付いてくれるはずだ」
兎獣人であるリネアは、イアンデが傍にいれば彼の匂いを感じることはできる。
けれど離れてしまえば、その匂いは消えてなくなる。そんなかすかな匂いすら感じることができるなんて、狼獣人の嗅覚は想像以上だ。
リネアが感心していると、レオが得意げに口を開いた。
「番につける痕は重ねづけするとより効果的らしいですよ。嫉妬深いうちの姉ちゃんがよく言ってました。だからしばらく、イアンデ様とリネア様もそれを続けたらいいんじゃないですかね?」
「え……? 今回だけじゃなくて……?」
「はい。流石にしばらくすると消えちゃうんで。繰り返し付けるとより強固になっていくそうですよ。そうしたらさらに、番らしく見えるんじゃないかと思います」
ニコニコとかわいらしい笑顔でとんでもないことを言う少年を見つめながら、リネアは驚愕する。
続ける……?
しばらく? これを?
リネアは首筋にそっと指先を触れた。噛まれた肌は熱を持ってはいたものの、すべすべと滑らかで傷になってはいない。
兎獣人の自分には感じることができない――狼獣人だけがわかる何かが、今、ここに?
戸惑いを込めてイアンデを見上げる。彼は涼しい顔でリネアを見つめ返し、無言で頷いた。
噛まれた場所が、じわりと疼く。
高鳴る鼓動に合わせ、リネアは再び自分の顔が熱く火照っていくのを感じたのだった。
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