17 / 38
10 手紙 (後編)
リネアはぱきりと封蝋を割り、封筒の中から便箋を取り出した。三つ折りにされた桃色の便箋を開くと、ほのかに薔薇の香りが立ちのぼる。リネアは高鳴る胸を押さえながら、手紙に目を走らせた。
「イルヴァは自分の経験から、俺たちを心配しているようだ。リネアのことを少し書いたら興味を持ってしまったようで、巻き込んでしまいすまない。変なことは書いてないか?」
申し訳なさそうに話すイアンデの横で手紙を読み進めるうちに、リネアは自分の指が小刻みに震え始めているのを感じた。読み終える頃には、その震えは全身にまで広がっていた。
「イアンデ様、どうしましょう……大変なことになってしまいました」
「大変なこと?」
リネアは耳の先までプルプルと震え出すのを感じながら、怪訝な顔のイアンデを見上げた。
「王宮に来てほしいって、書いてあります……直接会いたい、と……」
「直接、会う……?」
「はい。イアンデ様と私が一緒にいるところを、ぜひ見てみたい? のだそうです」
「見てみたい?」
「はい。なぜなんでしょうか……」
リネアはもう一度手紙を読み返したものの、理由はわからないままだった。他に便箋は入っていないだろうかと、封筒をひっくり返してひらひらと揺らしてみる。そんなリネアの横で、イアンデが思い出したようにぽつりと呟いた。
「もしかして、あれか……?」
「何か心当たりが……?」
「俺は前に手紙で、イルヴァに伝えてしまった……俺たちは、狼とうさぎだが、仲が良い、と」
「はい?」
「いや、自分から言ったわけじゃない。聞かれたのでそのまま肯定してしまったのだが……まずいな……イルヴァは思い込みが激しいんだ」
イアンデは、執務机の引き出しから、一枚の紙を取り出しリネアに差し出した。それは、イルヴァからイアンデへ宛てた手紙だった。
「私が読んでいいんですか?」
「ぜひ読んで欲しい。俺は人の感情の機微というか……そういったものを読み取るのが、どうも苦手だ。リネアから見て、イルヴァの意図がなんであるのか、よかったら教えてほしい」
リネアは自分で言うのもなんだが、手紙を書くことや読むことが結構得意だ。その能力については人並み以上だと自負している。これまで毎日何通も手紙のやりとりをしてきたし、外交の場を想定した妃教育でも繰り返し訓練を重ねてきた。
しかしそんな自分が読んでも、この手紙の文面は、明らかに……。
「これは完全に、勘違いされていますね」
「やっぱりか……」
イルヴァ姫は大変なロマンチストで、そして少々思い込みが激しい方であるらしい。イアンデが言った「仲が良い」に対して、イルヴァの空想の翼はどこまでも豊かに広がり続けていた。
彼女の中ではなぜか、自分とイアンデは種族の違いをものともせず、心から愛し合う恋人同士になっていた。書かれた言葉の端々から、彼女がそう本気で思い込んでいるのが見て取れた。「普段報告書みたいなつまらないことしか書かないお兄様が、そんなふうに書くなんてよほどのことなのね!」と。
「まずいですね……私たち、別に仲が良くはありませんよ?」
「えっ!? そうなのか?」
「……はい。もちろん悪い、というわけではないですが……」
そもそも、良いとか悪いとか以前に、ほとんど接していないのだから仕方がない。
なぜかショックを受けたような表情を見せるイアンデを尻目に、リネアは再び手紙に視線を落とす。
自分とイアンデは王命により仕方なく結婚しようとしているだけの割り切った関係だ。結婚するのも番になるのも、約束しただけでまだ先のこと。今の自分たちの間には、恋愛の甘やかさなんて皆無なのに。
「どうしましょう……しかもなぜ、二人で、なんでしょうか」
戸惑いを込めてイアンデを見上げれば、腕組みをしたイアンデがさらにぐしゃりと顔を顰めた。
「イルヴァは、エリク殿のことでずっと思い悩んでいる。リネアに直接話を聞きたいというのは理解できるが……」
「思い悩んでいる? イルヴァ様は、エリク様との結婚を、やめたわけではないんですか?」
「いや? 確か、むしろ早く会いたいというようなことを、前に手紙に書いていような……」
「本当ですか!?」
希望の光が、リネアの目の前に一気に広がる。
イルヴァはエリクを嫌いになったわけではないのかもしれない。それが本当なら、復縁の可能性が格段に上がるではないか。
しかし、そんな風にイルヴァ姫がエリクとの再会を望んでくれているかもしれない、ということと、今回自分たち二人に会いたいと言ってきていることに、どんな関係があるのだろう? リネアにだけではなく、イアンデも、というのが妙に引っかかった。しかも「一緒にいるところを見たい」とは何だ? 「話をしたい」ではなく?
イルヴァからの手紙を改めて確認する。書かれた文章のほとんどは落ち着いたものなのに、なぜかイアンデとリネアの話題だけ、言葉の端々から隠しきれない感情の昂ぶりが滲み出ていた。
(まるでずっと探していたものを、見つけた瞬間のような……)
それがなぜかを考えるにつれ、リネアはある可能性に思い至り、さあぁ、と頭から血の気が引いていくのを感じた。
「私たちは、心から愛し合っていると、イルヴァ様に思われているんですよね?」
「そのようだな」
「では、お会いするのであれば、そのように見えないと、まずくないですか……?」
イアンデが虚空を見つめた後、はっと大きく目を見開いた。
「まずいな」
「はい」
「訂正するか。今から本当の事を言えば問題ない」
イアンデが羽ペンに腕を伸ばす。しかしリネアは、咄嗟にその腕をパシリと掴み、イアンデのその先の動きを阻んだ。イアンデが驚いた顔で、リネアを見下ろす。
「何だ?」
「あっ、いえ……すみません、思わず」
リネアは反射的に掴んでしまったイアンデの腕を、パッと離す。
今一瞬だけ、何かとても大切なことを閃いたのだ。それが何なのか、リネアは頭の中に生まれた曖昧なイメージを、手探りでたどっていく。
イルヴァ姫の想い。不安な気持ちで探しものをしていた彼女が、見つけ出した希望とは、果たして何であったのかを。
「あの、やはり……私たちは、愛し合っていなければいけないのかも、と、思いまして」
「…………は?」
「だって、もしも、もしもですよ? イルヴァ様が、エリク様との復縁を望まれているのであれば、狼とうさぎでも愛し合っている実例があるのだと、その目で直接確認したいのかもしれません。イルヴァ様は初めて異種族に嫁がれるのです。その不安の中、私たちの関係に期待してくださっている可能性があります。だってこの手紙のイルヴァ様は、こんなにも嬉しそうなご様子なんです。その想いに、私たちは応えなければいけないのかもしれない、と思いまして」
「応える……?」
「はい」
自分たちの関係が、イルヴァ姫に希望を与えることができるなら、もしかしたら二人は上手くいくかもしれない。リネアはそんな希望を、イルヴァの手紙とイアンデの言葉から感じたのだ。
「イアンデ様。これはもしかしたら、チャンスなのかもしれません」
期待に満ちた笑みを浮かべたリネアを、イアンデは困惑した顔で見下ろす。
エリク王子とイルヴァ姫。愛し合う二人の仲を、ほんの少しでも後押しできる力が自分にあるのなら、どんなことだってやらなければならない。
上手くいくならこの際、どんな方法でもいい。
たとえリネアとイアンデの愛は偽物でも、エリクとイルヴァの想いは、きっと本物なのだから。
そして王族同士の結婚が成功すれば、狼獣人の国と兎獣人の国を、もっとも平和的な形で結びつけることができる。
ただの貴族である自分とイアンデの、形だけの結婚などよりも、ずっと。
ともだちにシェアしよう!

