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10 手紙 (前編)

 イアンデが帰って来てからの1週間は、慌ただしく過ぎていった。  リネアにはこれまでの城務に加え、ノースエンドの領地の仕事の一部も任されることになった。  実家で行っていた領地経営の経験がいくらか役に立ったとはいえ、国が違えば制度も異なる。まるで暗闇を手探りで進むような作業はとにかく手間がかかった。けれど城の中だけではなく、領内の仕事にも関わることで、リネアは目の前の世界が広がって行くのを実感できた。  そんな日々の中、イアンデは毎夜必ず城に帰って来てくれた。けれど朝になると、日が登るか登らないかのうちに城を出て行く。そして帰って来るのは、決まって夜遅くだった。  イアンデと全く顔を合わせることなく1日が終わってしまうため、リネアは不安を感じ始めた。 (こんな距離感でいいのかな……? 私たちこの先、結婚して、番にまでなるんだよね?)  イアンデは全くリネアに関心を示すことがなかった。多忙だからなのか、実際に無関心だからなのかはわからないが。  まるであの雨の日の約束が、幻のように感じた。  そのためリネアは、できる限り自分からイアンデに会いに行くことにした。ほんの少しだけでも、毎日顔を合わせたほうがいいのでは? という考えで。  イアンデはいつも、出かける時間や帰って来る時間がバラバラだ。けれど兎獣人のリネアの耳は、イアンデの足音を聞き分けて、城の近くにいれば居場所を感じ取ることができた。  朝は必ずエントランスホールに行き、出掛けるイアンデを見送った。そして夜は、帰ってきたイアンデを出迎えた。  イアンデが執務室にいる時は、仕事の報告をしに行った。まるで主人と使用人のような関係だが、それくらいしか、イアンデと家族らしくなれる方法を思いつけなかった。  そんなリネアの決め事が習慣になり始めたある夜のこと。いつものように執務室での報告を終えると、珍しくイアンデがリネアに視線を向けた。 「結婚の許可がようやく教会から下りた。式は、20日後だそうだ」 「え? もう結婚式の日にちまで決まったんですか?」  リネアの元には、ルーンバールから「いつ結婚するのか?」と催促の手紙が何通も来ていた。ようやく成果らしきものを報告できると、ありがたく思う。  けれどただ一つ、気になったのは…… 「20日後って、随分と急ですね……」  結婚式をするなら、もっと準備期間が欲しかった。グリムヴォーデンだけではなく、ルーンバールからも招待客を呼ばなければならないからだ。ただでさえ移動に何日もかかるのに、急に20日後に、というのはさすがに無理がある。 「招待客?」  イアンデは不思議そうに、眉をひそめた。 「そんなものは必要ない。教会に二人で行き、神父の前で誓えば、結婚は成立する」 「二人だけで、結婚式を?」 「ああ。そうだ」  イアンデは「なぜそんな当たり前のことをわざわざ聞くのか」とでも言いたげな怪訝な顔になった。その表情で、リネアはハッと気づく。狼獣人と兎獣人の結婚式は、ひょっとして、全くの別物なのではないか、と。 「……もしかして狼獣人の結婚式は、二人だけで挙げるのが習わしなんですか?」 「そうだ。それ以外に、あるのか?」 「私の祖国では、結婚式は親族やお世話になった方々を招待して、大勢で行うんです。だから、違いに少し、驚いてしまいまして」 「そうなのか。ん……? そちらの方がよいということか?」 「いいえ! とんでもないです。私は間もなくグリムヴォーデンの人間になることですし、この国の習慣に従います」  けれど言葉とは裏腹に、リネアは自分の耳がしおしおと垂れてくるのを感じた。  結婚さえできれば、形なんてどうだっていい。  そう思っているはずなのに、胸の奥が苦しげにきゅうと傷んだ。こんなにもがっかりしている自分自身を、意外に思う。  リネアはルーンバールにいた時、様々な婚約式や結婚式に列席してきた。たくさんの人に囲まれた新郎新婦ばかり目にしてきたので、それが当たり前だと思っていたのだ。だから二人だけの結婚式を挙げるなど、想像すらしたことがなかった。  黙り込んだリネアを見て、イアンデは少し声の調子を落としながら、そっと語りかけた。 「……ノースエンドの教会はあまり大きくはないが、天窓のステンドグラスが、とても綺麗だと有名な場所だ」 「そうなんですか? それは……とても、楽しみです」  イアンデに気を遣わせてしまったことに気づき、慌てて耳にぴんと力を入れる。結婚に前向きであることを伝えなければと、ぐっと口角に力を入れ、イアンデに笑みを向けた。 「私たちの結婚が、少しでも両国の友好の足掛かりになるといいですね」 「そうだな。イルヴァにも困ったものだ。一刻も早く……あ……」  間の抜けた声を上げたイアンデは、執務机の上の溜まった封筒の山の中に、ガサリと手を差し入れた。 「すまない。すっかり忘れていた」  イアンデは一通の手紙を取り出し、リネアに差し出した。封筒の合わせ部分には、臙脂色の封蝋が押されている。刻まれていたのは狼の紋章――グリムヴォーデンの王族のものだった。 「イルヴァからだ」 「イルヴァ様? 私に、ですか……?」 「ああ」  リネアは驚いて、受け取った手紙を見つめる。  イルヴァ姫の方から連絡をもらえるなんて、願ってもないことだった。  イルヴァ姫とイアンデは、兄妹とはいえ母親が違う。イアンデにイルヴァの事を聞きたかったが、大きく立場の違う二人に交流があるのかわからなかった。イアンデにどう切り出したらよいものかと、焦り始めていた所だったのだ。 「結婚の日程を王宮に報告したら、なぜか急に送られてきた」 「ありがとうございます。イルヴァ様とイアンデ様は、仲が良いんですか?」 「仲が良い……? どうなのだろうな。イルヴァは誰とでも仲が良いというか……この俺にすら、手紙がたまに送られてくる」 「素晴らしいお人柄なんですね。ずっとお話してみたいと思っていたんです。今拝見してもいいですか?」 「もちろんだ」

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