38 / 38
番外編1 あふれるほどの愛を (後編)※
リネアは疲れていた。
立冠の儀の後、大勢の貴族たちとの謁見が始まった。一人一人と笑顔で挨拶を交わし、祝いの言葉に礼を述べながら、どうにか気力を振り絞り最後までやり遂げた。体力のあるイアンデすら、疲労の色をにじませていたほどだった。
謁見が終わると、イアンデは王の側近に呼ばれ、大広間から消えていった。
リネアは別室に連れてこられた。そして今、王族専用と思われる豪奢な部屋で、ふかふかとしたソファに座っている。
案内してくれた女官長は、メイドと共にテーブルにお茶や果物、菓子などをテキパキと並べていく。部屋の中央の時計を指さして「祝賀会の前にお召し替えがございますので、1時間後にお迎えに上がります」と完璧な家臣の礼をとり、スタスタと去っていった。
「はあ……」
一人になると思わずため息が漏れた。頭の上の小冠をそっと外し、こわごわと横の棚に置く。金細工の華奢な作りにも関わらず、なぜだかずしりと重く感じた。
こうなってしまってはもう、後戻りはできない。信じられないことに、いつの間か王太子妃になってしまった。あまりの重圧に胸が苦しくなり、気持ちが滅入りそうになる。
けれど、悪い事ばかりではない。
イアンデはこれで、王族として認めてもらえたことになる。自分との結婚により失った関係性を、取り戻すことができたのだ。
リネアは胸のつかえが、じわじわと溶けて消えていくのを感じた。ほっとしたのと嬉しさとで、なんだか視界がにじんでくる。
その時、ガチャリとドアが開いた。部屋に入って来たのはイアンデだった。瞳を潤ませたリネアを見て、一瞬息をのむ。
「リネア、大丈夫か? 一人にしてすまなかった」
心配そうな顔で、リネアの座るソファに駆け寄ってきた。イアンデは隣に腰かけると、すぐさまリネアの腰を抱き寄せた。
「泣いていたのか? 突然こんなことになってひどく驚いただろう? 本当に、すまない」
「あっ、いいえ、これは全然、違うんです」
目尻ににじみかけた涙をイアンデに指でぬぐわれながら、リネアは慌てて理由を説明した。イアンデは安心したようにほっと息を吐く。
「そんなこと、全く気にする必要はなかったのに……それより、リネアに負担をかけてすまない。貴族たちとの謁見も、俺と別々にされてしまったし……大丈夫だったか? 随分長く年配の貴族につかまっていたが」
「ヴァルド公のことですか? イアンデ様。あの方は、かつて宰相も務められたほどの立派な方だそうですよ」
「そうなのか……?」
「はい。イアンデ様のことを褒めておられました。『必ずよき王におなりあそばします』と仰ってくださって。私にも助言をくださいました。ルーンバールやノースエンドでやろうとしていたことを、グリムヴォーデンで同じようにやるようなものだから、そんなに難しく考えなくて大丈夫ですよと。それに……」
「なんだ?」
「私はすでに、この国を一度、救ったも同然?……なのだと。ここにいる貴族たちは恩を感じている者ばかりだから、貴方の味方なのだとおっしゃってくださって。お優しい言葉に、なんだか少しだけ心が軽くなりました」
「そうか。ならばよかったが……」
イアンデはため息をついて、リネアの瞳を気遣わしげに覗き込む。
「本当にすまない。急すぎるんだ、いつも。この国は」
珍しく感情を露わにして口を尖らせるイアンデを見て、リネアは思わず笑ってしまう。子供じみた顰 め顔になったイアンデを、リネアは上目遣いに見上げた。
「お父上は、なんて? ゆっくりお話しできましたか?」
イアンデはうんざりしたようにため息をつくと、無造作に頭から王冠を外し、リネアの小冠の横に置いた。
「ああ。不満はすべてぶつけた。だが、お前はどうせ断るつもりだっただろうが、と開き直られた」
「ふふ。イアンデ様のこと、よくわかっていらっしゃるんですね」
「本当に勝手なことばかり言う。子供の頃は何もしなかったくせに、今さらこんなふうにいろいろ押し付けてきて……小評議会の参議になれとまで言うんだぞ? リネアもだ。たびたび王宮に通わなければならなくなる」
「通う? では普段は、今までどおりノースエンドで暮らすことができるんですか?」
「ああ。王は『あと20年は生きるつもりだ』などと言っていたからな。王宮で暮らすのは当分先だろう。それに……」
イアンデはそう言いながら、表情にかすかな熱をにじませた。イアンデが顔色を変えるのが珍しく、リネアは不思議に思う。
「その頃には、俺たちの子供も成人しているだろうと。ノースエンドは息子の誰かに任せて、俺とリネアは王宮で暮らせばよいなどと……」
イアンデは「はあ……」と深くため息をつきながら、リネアに回した腕に心なしか力をこめた。
リネアは思わず顔が熱くなる。
「そんな先の話まで……私たちまだ、結婚してから5日しか経っていないのに……」
「まったくだ。気が早すぎる」
イアンデの分厚い胸に、ぎゅっと顔を押しつけられる。イアンデの喉の奥がぐるぐると唸 りを上げるのが聞こえた。ひょっとすると照れているのかもしれない。
イアンデの鼓動が明らかに早まっていた。
けれどそれ以上にリネアの鼓動は早く、ドキドキと早鐘のように打ち鳴らされていた。
だってそんなふうに言われたら、どうしても意識してしまう。
(私はもう、イアンデ様との子を、いつ孕んでもおかしくない)
そうなって十分なことを、イアンデと、した。
体の奥の奥まで拓かれ。幾度となく精を注ぎこまれて。
あれは愛を交わすだけでなく、子をつくる営みだ。リネアの中は、その時の感触がまだ生々しく残っていた。激しい交わりであったことを、その感覚が教えていた。
イアンデを見上げる。
細かな金を弾く瞳には、あの不思議な色が浮かんでいた。それは初夜の寝台の中で、幾度となく向けられた眼差しと同じものだった。
抱きしめられる前に。激しい口付けの合間に。
そして、自分の中にゆっくりと入ってくる時に。
それは狂おしいほどに自分を求める、欲望の色だった。その瞳で見つめられるだけで、リネアはぞくぞくと背筋が震えるのを感じた。
頭の後ろに手を添えられて、口付けられる。
迎え入れるように唇を開けば、熱い舌が入り込んできた。燃え上がるように情熱的な口づけに、触れられた場所すべてが熱にとかされていくようだった。
イアンデは息を荒げる。いつしか抱きしめる力は強まり、息つぎがうまくできないほどだった。愛する人に求められている確かな実感に、リネアは夢見心地になる。
「リネア……俺はまだ……寝台から、出たくなかった……」
「……私も……です」
イアンデは顔を離すと、リネアの体を持ち上げて、腿の上に軽々と乗せた。再び深く口付けられて、体中が甘く痺れる。
腰を強く引き寄せられて、布越しに互いの体が密着した。すると、イアンデの固くなったものが、下腹にぐり、と押し付けられるのを感じた。
「……っ…………?」
「リネアが傍にいると、何かもう、駄目だ……」
本来狼獣人は、満月の夜以外は発情しにくいと言われている。リネアもまた、発情するのは満月の夜だけのはずだった。けれどイアンデへの想いを自覚してからというもの、その姿を目にしただけで、容易く発情がぶり返すようになっていた。
愛する人を得て、二人してすっかり体が変わってしまった。
――しかし、それでも。
「イアンデ様、あの……どうか、待ってください」
リネアはイアンデの胸を押し、少しだけ体を離した。
さすがにこの部屋で、この先の行為をする勇気はなかった。壁は厚く、扉もしっかりと閉じられている。けれど、使用人がいつ中に入ってきてもおかしくはなかった。そんな誰の目に触れるかわからない状況でするのは、さすがに気が引ける。
「こんな場所で……廊下に、人がいるようですし……」
「狼獣人は、壁越しに部屋の中の音なんて聞こえない。扉に鍵もかけた。だから、大丈夫だ」
「時間もあまりありません。1時間しか……」
「1時間も、ある」
ささやかな抵抗も虚しく、リネアは再び強い力で抱きしめられる。
下腹に押し付けられた固いものが、中に入りたそうに、ぐりぐりと擦り付けられるのを感じた。
「リネアの中に、入れてくれ……」
「でも…………」
「お願いだ……リネア……」
こんなイアンデを見るのは、初めてだった。
初夜の床の中で、イアンデはどこまでも優しく、はじめてのリネアを気遣いながら抱いてくれた。けれど今のイアンデを見て、あの時のイアンデがどれほど自制してくれていたのかに気づかされる。
イアンデが余裕をなくし、欲望に身を焦がしている。その様を見て、リネアは腹の底が燃え上がるように熱くなるのを感じた。
「リネア……頼む……」
イアンデが耳を下げ、すがるような眼差しを向ける。切なげに見つめるその表情に、リネアは思わず見惚れてしまう。
そんな最愛の番の姿を前にして、リネアの理性は呆気なく崩れ去っていった。
「はい…………」
こくり、と頷いた瞬間、イアンデは性急な手つきでリネアのズボンと下穿きを抜き去った。自身の服も素早く寛げていく。
露わになったリネアの尻に熱い手を這わせると、イアンデはうっとりと息を漏らした。
リネアのそこはすでに濡れていた。あんなふうに拒んでおきながら、体が反応しているのを知られるのが恥ずかしかった。なのに、これから与えられる快感への期待で、中がさらに潤んでいく。
イアンデは少しリネアの体を浮かせた。濡れた窄まりを探り当てると、熱い塊をぐっと押しつける。小さな隙間にめり込ませるように、イアンデが中に入ってきた。
「あ……っ…………」
固いものに押し広げられる快感で、体中が痺れた。
圧倒的な質量をのみこんで、腿がぶるぶると震え出す。
リネアの体は、おそらくここまでのものをすぐに受け入れられるようにはできていない。
けれどようやく求め続けたものを与えられて、中が悦んで形を変えていくのを感じた。
「リネア……苦しく、ないか……?」
「……んっ……は、い…………」
イアンデが腕の力を抜くと、自重で体が沈み込んだ。イアンデの太い杭を、ずぶずふとのみこんでいく。愛する人の欲望に隙間なく満たされて、胸にたまらない気持ちが込み上げた。
「イアンデさま……とても、きもちがいい、です……」
「俺もだ……」
噛み付くように口付けられて、部屋に水音が響きわたる。下からゆっくりと突き上げられ、リネアはただ喘ぐことしかできなかった。振動でソファがギシギシと軋む。
(まさか私たちが、こんなことまでするようになるなんて……)
少し前まで、手を触れただけで頬を染めていたというのに。
今や自室でも寝室でもないこの場所で、あられもない姿をさらし、欲望のままに体を重ねている。
以前の自分は、このような場をわきまえない行為に嫌悪感すら抱いていたはずだ。なのに今、そんなふしだらな行為に夢中でふけっている。
(私は、体だけではなく、心までもが変わってしまった)
けれど、到底やめられそうになかった。限られた状況の中で、ようやく手にした愛しい人と愛を交わすひととき。それがこんなにも、幸せなものだったなんて。
「んっ……あ、んんっ」
中のものが膨らみ、形を変じる。隙間なく塞がれ、リネアは身動きがとれなくなった。イアンデが突き上げる動きが激しさを増し、必死に首に縋りつく。
強すぎる快感で体がぶるぶると震えた。視界が白く染まり、頭の中で何かが弾ける。たまらず中を締め上げると、イアンデが苦しげに呻いた。そしてさらに深く、先端を奥へと捩じりこませた。
「あっ、やっ……、あぁっ……!」
「――――っ!」
どくどくと熱いものが吐き出される。リネアは達しながら、必死にイアンデにしがみ付いた。
奥へと広がっていく熱で、まるで内側から溶かされていくようだった。
力が抜けて、イアンデに身を預ける。
イアンデの荒い呼吸に合わせ、もたれた胸がゆっくりと上下した。心地よい揺れの中、重く瞼が落ちてくる。温かな体温に包まれたまま、リネアの意識はふわふわとした靄の中にのみ込まれていった。
◇
さら、と柔らかく長耳を撫でられて、ぼんやりと意識を取り戻す。
気付けばイアンデに抱きかかえられたまま、優しく髪に指を通されていた。
いつの間にか眠ってしまったらしい。けれど、先ほど脱がされたはずの服をしっかりと身に着けていて、着衣の乱れはなくなっていた。イアンデが着せてくれたのだろうか。
「服……すみません、私、ぼんやりして……眠っていましたよね?」
「ほんの少しの間だけだ。疲れさせて、すまなかった……」
太い腕が、リネアの背中に回される。大きな体に守るように包まれて、幸せな気持ちが広がった。
イアンデはリネアを抱きしめながら耳に唇を寄せると、切なげな声で囁いた。
「ずっと、こうしていたい…………」
けれどもう、終わりの時間が近づいていた。胸の内に寂しさが押し寄せる。
「もうすぐ、時間、ですね」
「……嫌だ。離れたくない……」
イアンデが駄々をこねるように、リネアの髪に顔を埋めてくる。ぐりぐりとおでこを擦り付ける子供じみた仕草に、リネアは「ふふ」と笑みをこぼした。
「イアンデ様、大丈夫ですよ。ほら、見てください。私は傍にいるでしょう?」
「今はいる。だが、もう離れようとしているだろう……?」
悲しげに俯いたイアンデの顔に影が差す。リネアは瞼にかかる前髪に指を通し、露わになった金の瞳を覗き込んだ。
「私はイアンデ様の妻で、番なんです。もうすべてがイアンデ様のものなんですよ。少し体を離したくらいでは、何も変わりません」
安心させるようにイアンデの頭を撫でて、頰に触れるだけの口づけを落とす。
すると、イアンデがしがみつくようにして、リネアを強く抱きしめてきた。
「そうだ……リネアはもう……全部、俺のものだ。それに俺だって……リネアのもの、だし」
「ふふふ。はい。もちろん、そうさせていただくつもりです」
リネアはイアンデの首元に顔を埋め、すうっと大きく息を吸いこむ。イアンデの匂いもぬくもりも――すべてが自分だけのもの。そう思うと、幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。
――私には、狼獣人のつける“愛の匂い”はわからない。
それなのに今、心と体すべてで、イアンデの大きな愛を感じている。
イアンデが、伝えてくれるから。
言葉で。態度で。これでもかというほど、リネアがはっきりわかるように。
溺れてしまいそうになるくらい、あふれるほどにたくさんの愛を。
そして自分も、イアンデに伝え続けていくのだ。
想いをのせて。狼獣人のイアンデにはっきりわかるように痕をつけながら。
心から愛していると。
この先も愛するのは、貴方だけなのだと。
イアンデを見上げる。金色の瞳が、どこか眩しいものを見つめるように細められ、優しく微笑んだ。
リネアもまた、イアンデに愛しさを込めて笑みを返す。そして互いの体を溶け合わせるように、強く抱きしめ合ったのだった。
◆
祝賀会に列席した貴族たちは、領地に帰ると「新しい王太子夫妻は大変に仲睦まじかった」と全員が口を揃えた。
それは二人が、祝賀会までのわずかな空き時間で、付けたてほやほやの見事な番痕をつけてきたためだ。
その事実は、初々しい新婚の王太子夫妻の逸話として、瞬く間に国中に知れ渡ることとなる。
そのことを人づてに聞いたリネアは、顔だけでなく長耳の先まで真っ赤に染めた。どうやら痕を付け合ってすぐの姿を貴族たちに見せびらかしていたことに、初めて気付いたらしい。
そんな妻を見て、イアンデは愛おしげに目を細めたそうだ。
「仲睦まじい」と語られた、この国初めての異種族の王太子夫妻は、その噂どおりに、その後も寄り添い、支え合いながら、穏やかに愛を育み続けたという。
ともだちにシェアしよう!

