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Kurose's Side Day1-3

森を出る足を止めた俺は、乾いた唇を噛み締める。 ──馬鹿か。そんなはずない。 ──あの子に会って、何がしたい。 ──無意味だ、あきらめろ。 ……気づけば引き返していた。 もう理性は俺の体を止めてくれなさそうだ。 急ぎ足でプレハブの前に戻った俺は、 意気込んでその扉を開いて中へ駆け込む。 ……もう青年は、そこにいなかった。 人のいた痕跡は全て上手く片付けられ、 もはや人がいたとは思えないほど、前の状態に戻されていた。 でも、すべて戻しきられた訳ではなかった。 ……彼の汗の残り香 ……人のいた空気感 ……吐精された跡がマットにうっすら残っている ……マットに転がったディルドは、彼の忘れ物だろうか。 俺は、プレハブのドアを静かに閉め、部屋の中心に立ち、深呼吸する。 …………やばい。 …………ヤれる。 鼻から入る空気を吸い込み……何かが、切れた。 「……なんだよ、これ……なんで、こんな……」 呟きはいつしか、熱を帯びる。 もはやスーツなんてかりそめの洋服は邪魔なだけ。 俺はジャケットとYシャツを投げ捨て、 乱暴なまでにシャツを脱ぎ捨てた。 ベルトを粗雑に引き抜き、 ヒュッという風きり音が空気を裂いた。 ズボンを脱ぎ、投げたその先には、彼が立っていた壁が見えた。 「さっきまであの子は、ここで……」 さっき目の前にした光景は幻なんかじゃない。 彼の汗の跡が、精液の跡が、そのすべてが…… 俺の体を熱くさせる。 「……うっ、ぐうっ、あ”ぁぁっ、がはっ!」 手が、震えが、声が止まらない。 なぜこんな不思議な思いが来るのか……。 あの青年に声をかけられなかった後悔か? この肉体美を見せつけたかった欲求か? 共に果てようとした懺悔か? わからない・・・なにもわからない・・・ でも、ただただ心臓は鼓動の高鳴りをやめてくれない。 俺は、重い体をマットに打ち付けるように寝ころんだ。 熱い想いに全身汗だくになり、打ち付けた額に手を当てつつ、体を持ち上げた。 髪をかき上げながら起きると、全身の汗と、勃起した俺の大きなデカブツ、 ほぼ凶器に近いそれが月光に照らされ、次第に輝くように見えた。 ・・・愛おしい。 「ふぅ・・・う”っ・・・ぐぁああぁ”」 なぜか尻を、胸を、自分自身の象徴を・・・よくわからない感覚で埋め尽くされる。 「俺は……おれ……はっ……」 耐えられなくなり、たまらずその凶器をひたすらしごき上げる。 言葉にならない声が悲鳴のようにプレハブを埋め尽くす。 本当ならこんな声、こんな場所で出したら、誰かに― 「ふんっ!う”っん!う”ぐぅん!がぁっはぁ”!」 意識が朦朧となりつつ、ただただ性器を擦りあげる。 マットの上でのたうち回りながら、吐き出せないもどかしい気持ちに抗っていた。 動き続けていたある瞬間、急にプレハブ奥にあったモニターの電気がついた。 「──っ、電気……?」 最初は驚いたが、自身の足元から生まれる激痛に我に返る。 マットの下に、誰かがリモコンを巻き込んでしまっていたのだ。 どうやらそれを踏んでモニターが付いてしまったらしい。 「・・・電気・・・通ってるのか」 モニターより、重要なことに気がつく。 この建物に、電気が通ってるのだ。 ──そう気づいた瞬間、顔がにやけた。 俺は、天井から垂れているすべての照明のスイッチを入れた。 引きちぎるほどの勢いでつけた照明は明るく、部屋の隅々まで照らしていった。 ──明るい。 こんなに、明るくて…… ふと窓に映る自分の姿を目にし、驚愕した。 「……はは、なんだこれ……」 こんな、汗だくになって、髪を振り乱して、全裸であられもない姿で・・・ 笑ってる、ゆがんだ気味の悪い笑みを浮かべて 「・・・これが、おれ?・・・」 こんなの、俺じゃない。 こんなの、おれじゃない。 おれじゃなきゃ、なんだ? これは、なんだ? 我に返って窓から目を離す。 見てはいけないものを見たのかもしれない。 でも、窓から移した目の先には……さらに俺の現実を打ち破った。 目の前には、壁一面に設置された全身鏡があった。 窓よりも鮮明に写る自分の姿。 そこにはもう、「人」はいない。 鏡に近づき、自分と手を合わせる。 冷たい手と触れ合ったとき、あきらめと、開放感が迫ってきた。 「これが……俺……そうか……俺か……」 理性が剥がれていく。 映っているのは、自分のはずだ。 けれど、そこには人間の顔などない。 ──獣だ。 ──欲望に溺れ、快楽に飲まれた、見るもおぞましい姿。 おぞましいはず、けれど、でも……。 そんな自分が、たまらなく、美しい。 歯を食いしばり、睨みつけるように自分を見つめる。 「……何睨んでんだよ……見てんじゃねぇよ、俺の何を見てんだよ……」 「俺」は「おれ」に話しかける。 「俺」の動きをマネする「おれ」が気に食わない。 「……んだよ、俺の真似がしたいのか?」 「それとも……んだよ、俺のこんな姿見て楽しいのかよっ?!」 「でっかい無駄な大きさのちんこ、握って擦って射精するところ、見てぇのかよ?!?!」 訳の分からない感情が、俺を支配する 「……見せてやるよ……見せてやるよぉ、俺がチンコしごくところ、見とけよっがはっ……んがあ”ぁ”ぁ”!!!」 性器を掴むと、自分の握力を最大限にかけて、痛みを超える何かを掴み取ってしごき続ける。 「……見てろよ。お前だけじゃない。俺だって……こんなにも……」 腹筋が汗に光り、胸筋が心臓に合わせて膨らんだり萎んだり、 びくびく動く姿を見た俺は、さらに狂った。 「あぁ……俺……こんなにいやらしくて、エロくて、最高なんだよ……ほら、俺の筋肉、ちゃんと見ろよ、ほらぁ……」 「俺」は「おれ」を誘惑する。 舐めた指で、胸から陰毛の極までをなでて、腰をくねらせ、ストリッパーのように見せつける形で、鏡に精器を擦り付ける。 爪先で乳首を弄り、びくつく腰を前に突き出して、大きさを主張する精器への刺激を高める。 「こんな、体のでかい、バカみたいにでけぇ筋肉つけてっ、こんなでっけえちんこぶらさげて……エロくて……」 ……獣。 「……そうだよ……お前はぁ!獣なんだよ!!!!」 「いけしゃあしゃあとスーツ着こんでリーダー張る人間じゃなくて、ただの性欲にまみれた雄の獣なんだよ!あ”ぁ”?!」 俺は壊れたみたいだ。 自分に向かって、今までの自分を抑えられなくなってる。 「こんなにも、獣に近くて、野性的で、忌々しいほどの本性持った人なんていねぇんだよ!!」 俺は・・・獣 獣は・・・考えない 考えなければ・・・楽になれる 激しく、そして深く。 獣のうめきと快楽に溺れながら、己を満たし、満ちて、果てていく。 もはやたっていられなくなった俺は、マットの上に仰向けに倒れ、腰を弓なりに反らしながら、何度も体を痙攣させる。 「グアアァアッ・・・ぎもぢいいぃぃ!さいこうだぁぁ!」 「あ”ぁぁっ!、ア”ア”ア”!ヤベェ!イ”ィ!イ”ィ”ィ”ィ”!」 もはや大声は快楽の一種。 獣と化した己に、言葉なんかいらない。 「ダァァァァァ”!!イギィゥゥ!!イ”ッグゥ”ゥ”ゥ”!!!!」 全身の力を使い果たし、見事なまでに曲線を描いた白濁液が宙を舞う。 それは2回、3回と、何度も精を放つ。 もはや出きったかわからないくらい長時間の痙攣が続く。 その痙攣すら心地よく、たまらない開放感を与えた。 吐息と共に、身体から熱が抜けていく。 その熱の代わりに残ったのは、ただの男──「俺」という黒瀬拓眞、だった。 奥にあった水場でゆっくりと身体を洗い、近くにあった所有者不明のタオルで体を拭く。 おそらく、さっきの彼もこの水場を使ったのだろう。 まだ排水部が濡れていて、水溜まりもある。 だが今は冷静に考えて、周りに人が居ない保証などない森の中での情事を思い出し、焦りが強くなる。 服を整えて、スーツリーマンの姿に戻す。 リモコンでモニターの電源を切り、照明を落とす。 ドアの鍵はどうやら壊れてるようだ。 ひとまず閉まってたように見えるよう、 ドアを強めに押し込んで、その場を足早に離れた。 「そういや……あの子、誰だったんだ……」 森の中を歩きながら、ふとそんな考えが浮かんだ。 俺をここまで乱すような人は、そうそういない。まして彼は男だ。 でも、今日の誰にも知られぬ、ただひと晩の衝動。胸の奥ではある確信が芽生えた。 ──終わらない。 あの青年も、きっと今日を最後とするはずはない。 俺も彼もきっと、ここにまた来るはずだ。 あの青年に、また会いたい。 俺の獣を見出させたあの青年を。 あの身体を。 あの声を。 そして──あの目を、もう一度。 夜風が背中を撫でる。 舌を舐めずり、静かに瞳の奥に赤く熱を宿した俺が、 そのまま現実世界へと体を引き戻していくのだった。

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