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1話 ハーフ悪魔は、異端な少年と出会う

 雪の降る森で、血まみれの少年が犬の亡骸を抱きしめている。白い息を吐きながら、首に巻いていたマフラーを犬にかける。 「俺が天使だったら、ネロを殺さなくてもいいのかな」  ――え?  その言葉を聞いて、天馬(てんま)は思わず足を止めた。少年がいるのは、人目につかない森の倒木の上だ。  天馬は名前も知らないその子の姿を、一週間前からずっと見ていた。森を通る必要などないのに、わざわざ回り道して。なぜそうしたのか、自分でもよくわからない。ただ、無意識のうちに惹かれていた。  風に吹かれて、少年の背から伸びる黒い翼がわずかに揺れる。鋭く、コウモリのように尖ったその翼は、いかにも純血の悪魔らしい。けれど彼の表情は、純血の名にふさわしくないほど、弱々しく傷ついていた。頬には青黒い痣がある。  天馬は遠くから様子をうかがっていた。  少年は悪魔界でちょっとした噂になっていた。 ――「獣を殺せなかった子」 ――「家を飛び出して泣いていた子」  親に殴られ、飼っていた動物の死体を抱いて逃げた。それから数日も帰っていないらしい。  声をかけたい。何があったのか。なぜ家に帰らないのか。名前はなんというのか。とにかく、なんでもいいから知りたかった。だが天馬はハーフだ。仲良くなった純血達は、天馬がハーフだとわかると、みんな口を閉ざす。  純血の悪魔は強くて、滅多に落ち込んだり泣いたりしないと思っていた。だからこそ、目の前の少年の姿が気になって仕方がない。  不意に天馬の腹が鳴る。少年がびくりと肩を震わせる。 「誰か、いるのか?」 「ごめん、見てた。……なあ、その犬、いつまで持ってるつもりなんだ?」  天馬は倒木の前で立ち止まり声をかける。  やってしまった。 ハーフの自分が、純血の悪魔と仲良くなれるはずがないのに。 「三日前に初めて君を見かけた時も、同じように抱えてたと思う。……埋めてあげないのか?」  少年が顔を上げた。涙の乾いたあとが頬に残り、目元には疲れが滲んでいる。 それでも、決して犬を離そうとしない。  埋めたくない理由があるのかもしれない。  天馬はしゃがみこみ、少年の目の高さまで視線を落とす。 「……その犬、殺したのは君か?」  少年はぎゅっと唇を結ぶ。 「兄ちゃんも、十六歳の時に飼っていた動物を殺した?」 「いや、俺は……ハーフだからしてない。でも純血の知り合いは、みんなそうしたっていってたな」 「……やっぱり、そうしないといけないのか」 「え?」 「……俺、殺せなかった。そしたら父さんが怒って刃物向けて、ネロ……殺された」  目の前で殺されたのか。 「悪魔って、誰かを殺さないと生きていけないの?」 「いや?」  少年はそっと犬を地面に置き、自分の手で土を掘り始めた。黒く湿った土に指を差し入れ、掻き分けるたびに、ポロポロと涙が溢れる。小さな嗚咽が聞こえる。 「……動物を殺せなかったら、悪魔でいる資格がないんだって。生まれてからずっと一緒にいたのに、愛着は持っちゃいけないって。……なんでだよ?」  その呟きに、天馬の目がわずかに見開かれる。  こんなに優しい子が、悪魔として不適格だなんて。その言葉自体が、悪魔界の残酷さを証明しているように思えた。 「俺、可笑しいのか? ……近所の子も姉ちゃんも、俺みたいにならないで殺せたんだって」  天馬はすぐに首を振る。 「ううん。愛着は持っていい。好きなら好きでいいよ。でも――いつかは命を奪えるようにならないと。じゃないと、君が命を落とすかもしれない」  少年は黙ったまま、掘った穴に犬をそっと横たえた。その上に土をかぶせながら、また涙をこぼす。  鼻をすすりながら、静かに手を合わせるように祈る姿は、悪魔というにはあまりに無垢だ。 「……俺、天使になりたい。それなら誰も殺さないで済むから」 「そうだな。でもこうやって、成仏を願える悪魔もなかなかいないから……天使になりたいとか考えないで、ありのままでいていいんだよ」  少年の隣に座って、天馬も手を合わせる。 「優しいな、兄ちゃんは」  天馬は苦笑する。 「その“兄ちゃん”って呼ぶの、やめてくれない? 天馬でいいよ」 「そうか? 俺、ルイ」 「ルイ? もしかして、王の子供の?」  天馬の声を聞いて、ルイは頷く。  マジか。  悪魔界の奥には大きな城があり、そこには悪魔界の王が住んでいる。ルイはその子供だ。  今の王は、はるか昔に、一人前の悪魔達が戦闘をして、勝ち残った奴が結婚し、生まれた子供だ。そのさらに子供か、悪魔界で最も戦闘能力が強い子を次期国王にするらしい。 「うん、そうだよ。だから今頃、城の中は次期王が消えたって大騒ぎだと思うよ。他にも王候補いるのに」  ルイが下を向く。 「っ、帰りたくないんだな」 「うん。天馬、姉ちゃんと同い年だよな? 姉ちゃんが前に、同い年に天使と悪魔の混ざり物がいるって」 「あーうん。あいつも、父親が厳格で苦労してるってそういえばいってたな」  自分は女だからあまり叩かれないけど、弟は何時も叩かれているって。そんな親がいるんじゃ、帰りたくなくて当然か。  天馬は軽くため息をつきながら立ち上がった。 「……でも俺、家帰んないと」  その声を聞いて、天馬はふっと笑う。  ハーフは戦闘能力が低く、悪魔界では嫌われているから、純血の悪魔とは仲良くなれた試しがない。だから今は良くても、いつかはこの子とも疎遠になるだろう。それなら、最初から深く関わらない方がいい。そうすれば、傷つかないで済む。  ――でも、あんな家に帰らせたくない。 「……家に来るか?」  いってしまった。一度も“仲良くなれた”ことなんてないのに。 「えっ?」 「帰りたくないんだろ。純血の悪魔の口に合うものがあるか、わからないけどな」  肩を竦めながらいうと、ルイの目がぱっと輝く。 「いいのか?」 「ああ。じゃあ、俺の家に行く前に、リヴィアに『今日はルイが帰らなくても、なんとかなるようにしといて』って頼むか」 「……うん。俺、姉ちゃんに謝んないと。ずっと帰ってないから。怒られるかな」 「怒らないだろ。あいつは優しいから」  ルイは少し安心したように笑う。 「天馬の家って、俺の父さんみたいに怖い人いない?」 「いない。だからルイも馴染みやすいと思うよ。天使はいるけどな」  ルイが目を見開いた。 「俺、天使って会ったことない! やっぱ綺麗なの?」 「綺麗だよ。見てて苦しくなるくらい」  そういいながら、天馬はルイの肩にそっと手を置いた。  まだ何も始まっていないはずなのに、胸の奥に確かな火が灯っている。

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