2 / 21
2話 純血悪魔御用達、香水屋
森を抜けると、タイル張りの道が見える。悪魔界は、人間界でいうドイツみたいな街並みをしている。
黒い瓦の屋根にオレンジや黄色、白の壁。そんな店や家々がずらりと並んでいる。町の奥には、ひときわ大きなルイが住んでいたと思われる城がそびえている。
あの城って、確か警備なかったっけ?
「ルイ、どうやって城から抜け出してきた?」
「……護衛に、『逃げるの見逃して』っていった。もしも戦うことになったら俺弱いし、負けるってわかってたから」
なるほどな。
「賢いやり方だな」
うんうんと頷くと、ルイは嬉しそうに歯を出して笑った。得意げだ。
「天馬、もうすぐ着く?」
ルイが尋ねる。
天馬は一瞬ルイの顔を見てから、こくりと頷く。
「ああ。でも……家に行く前に、ちょっと寄り道しよう。リヴィア御用達の店に行こうな」
「姉ちゃんの?」
「そう。多分あそこに顔を出してるかもしれないし、伝言くらいなら預かってくれると思う」
城に直接行くのはやめておいたほうがいい。
あの場所に戻れば、ルイの気持ちも揺れるだろうし、リヴィアの父親――あの暴力親父に鉢合わせる可能性もある。
それに、リヴィアが本当に優しいなら、そういう事情も察して、何もいわずに手を貸してくれるはずだ。城に行くより、そっちに行った方がいい。ルイのためには。
夕方の空は相変わらず灰色で、街の壁にかかったランタンだけが、微かに暖かい。
「天馬、ここって……」
「ああ、香水屋だよ。リヴィアがよく使ってる」
そういいながら、天馬は白いレンガで作ら造られた、建物の扉を押す。
扉に吊るされた鉄の看板には、薔薇の刺繍とフランス語風の店名《Rose Infernale》。
中に入ると、ほのかに甘く、少しスパイシーな香りが鼻腔をくすぐる。黒い棚には無数のガラス瓶が並んでいる。淡い紫、青、琥珀色などの様々な液体が光を受けて、鈍く輝いている。
店の奥から、黒いフードをかぶった女性が、ふわりと現れる。
フードの下から覗く緋色の髪と、鮮やかな紅の爪が目を惹く。
「やけに静かに入ってきたと思ったら……ハーフの坊やじゃないか。何の用だい?」
「やあ、ヴェルメイユ。ちょっとお願いがあって……最近リヴィアって店来てる?」
天馬が尋ねると、ヴェルメイユはしっかりと頷く。
「リヴィア? もちろん。毎日のように来てるよ、あの子はうちの常連だからね。リヴィアがどうかしたかい?」
ヴェルメイユが不思議そうに頬杖をつく。
「悪いけど、伝言を頼まれてくれないか。ルイは当分、家には帰らない。落ち着くまでは俺が預かるって伝えておいて欲しい」
「ルイ……? おや、何だいこの子。まだ幼いわりに、ずいぶん大きくて有望そうな翼をしているじゃないか。髪の毛が金髪のところなんかリヴィアにそっくりだね。弟かい?」
ヴェルメイユが天馬に近づいて、隣にいたルイをじっと見つめる。怖かったのか、ルイは慌てて天馬の後ろに隠れて、コートの裾を掴む。
「ああ。リヴィアのな。一時的に預かることにしたんだ。すこし、訳アリみたいだから」
「ハーフが純血の子守かい。珍しいこともあるもんだね。わかったよ」
ルイの頭を撫でて、ヴェルメイユは笑う。
「坊や、天馬の家に住むならこれを持って行きな」
棚の奥から小さな瓶を一つ取り出して、ヴェルメイユはルイに手渡す。
黄色い液体が入っている。
「“天使避け”の香りだよ。純血は匂いにも敏感だからね。一緒に住んでるうちに、あんたに天使の匂いが移ったら――後で家族に何かいわれるかもしれない」
「……え」
ルイは目を見開いたまま、瓶を両手で受け取る。
「金はそのうち、天馬に払わせるから」
天馬が眉をしかめる。
「……おい、それ、冗談じゃないよな?」
「あんたが坊やを拾ったんだ。その責任は取らないとね。ま、今すぐじゃないよ。“そのうち”っていったろ? うち、ツケは効くから」
ルイは香水を大切そうに、ぎゅっと抱えていた。思わず、天馬はため息をつく。
「……ああもう。わかったよ」
「天馬、擬人化の香水はまだ余ってるのかい?」
棚にある透明な液体が入ったガラス瓶を取って、ヴェルメイユは首をかしげる。
「ああ、まだある。……ん? あれ、売りものじゃない?」
擬人化の香水の隣に、ベージュ色の髪の毛が入った瓶があった。値札はついていない。
「ああ、そうだね。私がもらったものだよ、遠い昔に」
瓶に鼻を近づけると、ふわっと、よく知ってる香りが漂ってくる。
「俺が生まれてないくらい昔?」
「ああ、そうだね」
ヴェルメイユはすぐに頷く。
「……あの瓶、天使の匂いがする」
「おや、そうかい? 擬人化の香水がなくなったらちゃんと来なよ、ハーフは擬人化しても悪魔の匂いが消えないんだから」
「わかってる。また来るよ。ありがとう」
しっかりと頷いてから、天馬は後ろを向いて店を出て行った。
ともだちにシェアしよう!

