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第1話 再会
「お疲れ様でした」
バイトを終え、体を引きずるようにして家に帰る。さすがにしんどい。留年が決まった後からずっとこの調子だ。必須科目の試験期間に体を壊してしまったことで、来年は奨学金を打ち切られることが決まってしまった俺は、少しでも金を貯めるために毎日必死になって働いていた。
今貯められるだけ貯めておかないと、来年すぐに身動きが取れなくなってしまう。そのため、今は大学とバイト先の往復だけの生活だ。
ただ、居酒屋での仕事は性に合っている。だから精神的にはあまり辛くない。ただ、体に溜まる疲労が辛いだけだ。
「お前が良ければ、卒業してからもここで働けばいい」
大将がそう言ってくれているから、卒業後に働き口が無くて困るということも無い。毎日体を動かして働いて、それで誰かを笑顔に出来る今の生活が好きだから、その日を迎えることを目標にして今を生きることにしていた。
それでも、睡眠時間の不足だけは辛い。今はもう朝の四時だ。ここ数日は四時間睡眠で一限から授業を受けたりしていた。たまたま振り返られた講義が詰まっていたとはいえ、あまりに眠くて辛かった。でも今日は昼から行けば大丈夫だから、少しはゆっくり眠れるだろう。
「あー眠い」
眠い目を擦りながら目と鼻の先の家へと帰る。元々暮らしていたシェアハウスでの居心地の悪さに耐え切れず、引っ越すときにバイト先に近い物件を選んだ。移動に時間がかからないのは幸せだ。
そう思いつつ鍵を取り出していると、マンション入り口の階段の下に人が倒れているのが見えた。いや、見えた頃には俺はもうその人の足を踏んでしまっていた。ぐにゃっとした感覚に驚き、早朝にも関わらず「うわー!」と叫んでしまう。そしてそのままバランスを崩し、階段に体を打ちつけてしまった。
「痛え……。なんでこんなところに人がいるんだ」
その人は、俺が大騒ぎをしていても一向に気がつく気配がない。ずっと穏やかに寝息を立てていた。死んでいるのかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。ただひたすらに、気持ちよさそうに眠っていた。
「……俺踏んじゃったんだけど、痛くなかったですか? それより、なんでこんなところで寝てるんですか。真冬なんだから死んじゃうよ?」
吐く息が白い真冬の早朝に道路で寝ている人は、警察に届けた方がいいのだろうか。悩んでしまい、男性の様子を遠巻きに確認することにした。
「顔色……あれ、思ったよりも悪くない。うわ、キレイな顔だなあ」
その人は、とても美しい顔をしていた。髪は赤茶色でまつ毛も同じ色をしていることから、どうやらそれが地毛らしい事もわかった。肌は真っ白で、ツヤツヤだ。
そして、とてもスラッとした体型をしている。体が泳ぐサイズのシャツとは対照的に、ピッタリと張り付くようなタイトなパンツは、その足の長さを教えてくれていた。そして、これは奇妙なことなのだが、なぜか靴を履いていない。
全体的に高級そうな衣服を纏っているのに、靴を履いていない。それがどうにも奇妙だった。
「仕方ない、警察に電話するしかないだろうな……」
俺はスマホを取り出して最寄りの警察へと電話をかけることにした。居酒屋の深夜勤務ともなると、酔っ払いの対応に困って警察へ連絡することも多い。覚えてしまった番号へ連絡を入れようとした時に、ふとあるものが目についた。
「あれ? これ、確か……」
眠っている彼の手首に、きらりと光る稲穂のようなものが見えた。俺はそれに見覚えがあった。金色の刺繍糸に、ほんの少しだけ混ざった赤紫とネイビー。その三つが撚られて作られたそのアクセサリーは、俺が友人に贈ったものだ。
「え? もしかして……瑞、穂?」
驚いて声をかけると、下を向いて艶を放っていた豊かなまつ毛が瞬き、男はぼんやりとした目で俺を見た。
「ん……? なお、き……?」
それは紛れもなく俺の友人の戸苗瑞穂 だった。
「やっぱり瑞穂なのか? 雰囲気が変わってるから全然わからなかった。色々聞きたいけれど……、とりあえず家に来いよ。そこ、俺んちだから」
「いやでも……いいの?」
「いいに決まってるだろ。なんで遠慮するんだよ、ほら」
俺は瑞稀に手を差し出した。瑞稀は一瞬躊躇ったものの、しっかりと俺の手を握り返してくれた。その手を握った途端に、俺は安堵した。本当は逃げられるかもしれないと思っていたからだ。
そんな不安も、会えなかった数ヶ月という日々も、全てが嘘のように消えていった。握りしめた手を引き寄せると、俺の腕の中に瑞穂の小さな体がすっぽりと収まる。
「直輝、あったかい」
そう呟いた瑞穂は、とろけそうに甘い笑顔を俺に向けていた。
◇
高校三年間ずっと一緒にいた彼は、親からの希望で私大の医学部に入った。俺は医者になろうとも思ってなかったし、頭もそっちには向いてなくて、しかも家は極貧だ。離れるのは寂しかったが、大学は渋々別のところを選んだ。
いつかそんな日が来るだろうとは思っていたし、元々住む世界が違いすぎる。俺は最初からずっと覚悟していたから、それをあっさりと受け入れることができた。そう出来るために、ずっと考えて行動していた。瑞穂と付き合う間もキス以上のことはしなかった。
その時はお互い納得の上だと思っていた。でも、彼はそれをずっと不満に思っていたらしい。
「直輝は僕を抱きたいと思ったことはないの?」
そう聞かれたことは何度かある。でも、触れたら離れられなくなるとわかっていた。だから俺からは瑞穂には触れないようにしていた。
「……本当は思ってた。でも、お前とは生きる世界が違いすぎるだろう? いつか別れるのが目に見えてるのに、手を出すのは嫌だったんだよ。俺のせいで結婚する相手と揉めるかもしれないなんて、絶対に嫌だ。自分が結婚する相手が、過去とはいえ同性と付き合ってたって知ったら、奥さんになる人はずっと男友達とお前が会う時も疑い続けるようになるだろうし。みんな辛くなるだけだ」
「僕の未来を思って何もしなかったの?」
泣きそうな目で俺を見据えながらそう言う瑞穂に、息を呑んだ。堪えた涙がするりとこぼれ落ち、ブレスレットへと落ちていく。でも、その雫がたどり着くよりも前に、瑞穂は手でそれを防いだ。
「……危ない、濡らすところだった」
そう言ってその稲穂を撫でていく。その目が、送り主である俺へ無言で愛を訴えているようだった。
「直輝。あの、学生の間だけでも一緒にいてほしいって言ったらダメなのかな?」
「……え?」
「卒業するまででいいから、本当に好きな人と恋人でいたいんだ。いつかは父さんの後を継ぐ。そうなったら勝手は許されないだろうけれど、学生の間は自由にしていいって言われたんだ。相手もそうするんだって。だから……だから、直輝。もう一度僕と……」
その先の言葉を言わせる事ができなかった。本当は誰よりも俺がそうしたかったのだ。ずっと会うことも我慢していたのに、目の前で泣きながら求愛する好きな人を、そのまま逃すわけにはいかない。瑞穂を抱き寄せると、夢中になってその唇を捕えた。
「んっ……」
わずかに漏れた息が、脳を焼く。その息すら溢さないようにと、唇を塞いだままで舌を絡ませ、深く触れ合った。息を継ぐ時だけ刹那に離れて、また深く探る。何も考えられなくなるほどに彼を感じ、喜びで体が震えた。
「あっ……」
そのまま下がっていき、首筋に触れた時だった。違和感を感じてふと見ると、肌の色が違う箇所がポツポツと見られた。
「……なんだ、これ」
瑞穂の肩に、赤紫色の点のようなものが見える。それは等間隔に開いた距離をきちんと保ち、全体的にやや湾曲していた。見たことがあるものだし、誰もが知っているモノだろう。ただ、なぜこれがここにあるのかが理解出来ない。
「これ、もしかして……歯型?」
俺の問いかけに、瑞穂は悲しそうに微笑んだ。
「……そうだよ。僕、噛まれないとイケなくて」
瑞穂は申し訳なさそうにそう言うと、徐にシャツを脱ぎ捨てた。
「これ……なんでこんな……」
目の前には、内出血の跡が無数に広がっていた。青みがかった真っ白な肌に、生々しい新しさの歯型が無数に浮かんでいる。それはまるで、ホラー映画でよく見る死霊の手形のようだった。そして、彼はそれを眺めて悦に入っている。
どうやら彼は、この数ヶ月の間に、俺には到底理解出来ない性癖の持ち主になってしまったらしい。
「イケないってことは……誰かとシたの?」
焦る俺に、瑞穂は微笑んだ。そして、ゆっくりと被りを振る。
「あ、でも何もしてないわけじゃないよ。ただ、最後までした人はいない。だって、相手をしてもらってるのは、みんなプロの人だから。お金払って抜いてもらって、その時に噛んでもらってるんだ」
無邪気にそう答える彼に、俺は頭を抱えた。まず、何よりも彼にそういう性癖があることに驚いた。俺と一緒にいた瑞穂は、そんな事と縁のないような存在に見えていたからだ。だから俺も宝物のように扱っていた。
あんなに大切に思っていた彼のこの体を、彼に愛情も持たない人が触れているなんて、俺には信じられなかった。こんなことになるのなら、さっさと抱いておけば良かったとすら思ってしまう。それが顔に出てしまったのだろうか、瑞穂は俺の顔を覗き込んだ。
「さっさと抱いておけば良かったでしょう? でも、こうなったのは直輝のせいだからね」
「俺のせい? なんで?」
「だって直輝がいつまでも抱いてくれないから。好き勝手に揺さぶられたりしたかったのに、それとは真逆の扱いを受け続けてたんだもん。頭もおかしくなるってもんでしょ?直輝だって、抜きたい時にハグばっかりされると辛くない? 立場とかばっかり考えて、僕の本当の姿を見ようともしなかったでしょ?」
「本当の、姿……とは?」
「激しく突いて、力任せに揺さぶって、噛みちぎりそうなくらいに痛くしてほしい。そうされると喜ぶような変態なんだよ、僕」
ショックだった。可憐で素直な瑞穂が、こんなにも過激なことを言うなんて、俺には信じられなかった。
でも、これだけあっけらかんと話すほどに奔放な生活を送ってるのなら、どうして俺のところへ来たんだろう。それが不思議だった。
「なあ、噛んで痛いおもいをさせてもらえればいいなら、なんでここへ来たんだ? 今まで何も連絡取らなかったのに」
「もう、まだ惚けるんだ。僕、直輝に会うために家を抜け出して来たんだよ! 部屋に今日の担当者が来て噛んでくれたんだけど、その人が噛み方がすごく上手でね。もう、すごーくエッチな気分になっちゃって。直輝のことしか考えられなくなって、部屋の窓から飛び降りたんだ」
「えっ、家の部屋から飛び降りて来たのか? だから靴を履いてないのか。無茶するなよ、呼んでくれたら行くのに……」
瑞穂は、そういう俺の唇を塞いだ。そして、キスをしながら服を全て脱ぎ捨てていく。そのまま俺をベッドの上に倒すと、大好きな人の痴態に興奮しきった俺の熱塊を晒し、それを指でピンと弾いた。
「っ……!」
甘い刺激とその奥に響く痛みに呻いていると、瑞穂が上に乗ってきた。そして、
「嘘つき。絶対なんだかんだ言って逃げるだけのくせに。だから僕からしてあげる。それならいいでしょ? ここで繋がるのは、直輝だけだよ」
というと、そのまま腰を下ろして、俺をずぶりと飲み込んで行った。
「あ、あっ、ア……ンッ」
「んっ、っ、みず……ほ」
ピッタリとくっついたお互いの皮膚の感覚が、外側と内側から同時に迫ってくる。瑞穂のナカの襞は俺に纏わりついて離れず、後ろに手をついている彼が腰を振るたびに畝っては俺を愉悦に浸らせた。
ふと目を開けると、すぐそこで彼のモノが揺れているのが見えた。すると、体中の血が沸騰するような興奮が湧き起こっていった。
「っ……!」
思わず瑞穂の腰を掴み、その体を激しく揺さぶった。穿てるだけの力を込めてその体を貫き、激しく喘ぐ姿を見てまた昂る。無限に続きそうな快楽の中で、これがお互いの本当にしたかったことなのだと実感して胸が詰まっていった。
「瑞穂っ、みず、ほ……」
必死になって名前を呼べば、彼は俺に絡みついて答える。それがまた愛おしくて、そのまま気が狂ってしまうのではないかと思うほどに、お互いを貪りあった。
「ああっ、直輝っ、気持ちいい……もっと……」
そう言いながらも何度も昇り詰め、もう体を支える力も残らなくなった瑞穂は、体を震わせながら後ろへと倒れ込んだ。先端からは、とろりと透明な糸が垂れている。
「っと……」
俺は急いで上半身を起こし、倒れる背中へと手を回して抱き止めた。まだ繋がった体、近づいた薄ピンク色の花。愛おしくなって思考を奪われた俺は、目の前の尖りを口に含んだ。
「あン、あ、直輝……。ね、それ、噛んで……」
真っ赤な顔で涙に濡れた瞳が、俺にそう懇願していた。夥しい量の噛み跡を見て辟易としていた俺は、そんな頼みなど聞き入れたくない。快楽に膨らむ芯を舌で撫でまわし、優しく吸い上げた。
「やあああ、気持ちい、気持ちいいの! でも、このままじゃ気が狂って死んじゃう! ……お願い、イかせてよ、直輝ぃー!」
号泣するかのようにそう強請る瑞穂を見ていると、俺の中でぷつりと何かの糸が切れた。可愛い彼が俺にして欲しいことを強請っている。それなら、それを叶えてやればいい。いつの間にか、思考はシンプルになっていた。
「……俺が噛んだら、他の人には噛ませない?」
「うん、させない」
「でも毎日噛ませてたんだろう? 俺と毎日するのか?」
「するっ! 毎日する! したいもん、僕はずっとそうしたかった!」
「そうか、そうだよな。ごめんな、俺が逃げてただけだもんな……。じゃあ、いくよ?」
「来て、早く! 早く噛んでっ……あ、ああっ、んああああっー」
人を噛むのなんて初めてだ。どこをどれくらいの強さで噛めば喜んでくれるのかなんて、想像もつかない。だから、首筋を強く吸って、そのまま肩に思い切り噛み付いた。
歯が肉にめり込む感触がする。じわりと細胞が潰れ、その中から何かが漏れ出てくるのがわかる。痛いとしか思えないその行動は、それでも瑞穂の体を喜ばせることが出来たようで、彼は大量の飛沫を巻き上げて体を震わせてた。
「ああっ、はあああ、ああ……」
その満たされた表情を見ていると、俺の中に何かが生まれるのがわかった。それくらい、噛まれた後の彼の顔は恍惚としていた。
「すごい、すごいよお……。嬉しい……」
そう言って泣く瑞穂を見ていると、未来のことも、俺自身のことも、全てがどうでもいいとすら思えるようになっていた。
俺はこうして、瑞穂に堕ちていった。
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