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第1話「透明な撮影者」

「俺、多分、あと二年で死ぬんだよね」 雨の音が、ガラスを叩いていた。 窓の向こうはぼやけたままで、白い指が、空中になにかをなぞっている。 「だからさ、残しておきたいんだ。全部。俺の全部を」 知らない誰かが、そう言った。 ……いや、違う。知らない“はず”の声だった。 起きてからもしばらく、あの声が頭の中で反響してた。 刺すように美しくて、どこか、壊れそうな声。 ──なんなんだよ、あれ。 目を覚ましたとき、喉がカラカラで、心臓だけやたら騒がしかった。 枕元に置いたスマホがブルッと震えたのは、ちょうどそのときだった。 深夜2時過ぎ。 白井からのメッセージは、要するにこうだった。 「急遽、カメラマン変更。対応できるか?」 「ちょっとヤバい人らしいけど、夏生ならたぶん大丈夫」 ……あの夢の後に来る話がこれかよ。なんの皮肉だ。 「で、なんでまた急に変更? 二日前って、普通にありえないだろ」 駅前のロータリーで拾ったタクシーの中、スマホを睨みながら白井に電話をかける。 「うん……前のカメラマン、萎縮して帰っちゃったらしいんだよ」 「現場で?」 「うん。なんか睨まれてたって。ずっと、カメラ越しに“喰われる”みたいだったって」 喰われる。 聞いたことあるな、その言い回し。 カメラ向ける側が怯えるって、相当だ。 だとしても。 「そんな細い神経の人間を、現場に放り込むなよ」 「いや、だから夏生に頼んだんだって」 「俺が空気みたいに扱われるから?」 「そうそう。お前の“消え方”、うまいからな。あれは才能だよ」 褒められてんのか、disられてんのか。 ……まあ、事実だ。俺は“俺を出さない”ことに全振りしてる。 スマホの画面に、今回の被写体のYouTubeが映る。 音は出せない。イヤホンを忘れた。 細身のシルエット。白い肌。輪郭の整った顔立ち。 線が細くて、声がよく通りそうだけど、どこか淡白。 正直──印象に残らない。 「見た目は整ってるけど、これって“喰われる”ようなやつか?」 口に出して、ふっと笑う。 画面の中の彼が、遠い。 良くも悪くも“映ってない”。 技術がないのか。あるいは被写体が対した事がないのか。 なんとなく、前者な気がした。 (どちらでも俺が知ったことじゃない) 俺は画面を閉じて、ポケットにスマホを戻す。 誰もが再現できる写真を安定した品質で出す。それが俺の仕事だ。 スタジオに着いたのは、それから15分後だった。 ビルの鉄扉を押すと、まだ朝の匂いが残っている。 廊下には誰もいないのに、妙に濃い気配があった。 ……あの夢と、同じ感じ。 スタジオの前で足を止める。ノックしようとして、やめた。 中から、微かな音。呼吸? いや、足音? わからない。 ドアノブを静かに回し、扉を押し開けた。 ──空気が、変わった。 照明はくすんだ蛍光灯のまま。演出はされていない。 なのに、世界の重心がズレたような、異様な感覚だった。 そこにいた。中央に。 ただ座っているだけ。 それだけなのに、空間が歪む。光の流れが引き寄せられている。 長い睫毛。細い首筋。均整のとれた白い肌。 目が合っていないのに、心臓をつかまれた気がした。 スマホで見た顔と、同じはずなのに。 やっぱり、映ってなかったじゃないか。 本物は、もっと、異物だった。 ……まるで、神様のような。

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