36 / 36
エピローグ-永い夜の始まり(ライ)
深夜。ライのバーには、店長のライ、キリヤ、レイナといつもの面子が揃っていた。
「色々と迷惑かけてごめん」
やってきたアゲハが頭を下げると、ライたちは顔を見合わせて苦笑した。
「俺らは迷惑かけられたってほどのこともないよ。連絡つかなかったのは戸惑ったけど」
「ていうか、むしろキリヤがアゲハに謝ったほうがいいんじゃない?」
「そうだね、ごめんね」
とても悪かったとは思ってなさそうにへらへらと言うキリヤに、レイナがため息を吐く。
キリヤはアゲハを騙して睡眠薬を盛ったらしいけれど、アゲハは彼を責める気はないようだ。
外では張り付いたような笑みを浮かべていたものの、いつも仲間内にはそっけなくて仏頂面なアゲハが、こんな風に神妙な顔で謝ってくるなんて、とライは少し戸惑う。
けれど、趣味を辞めることにしたと告げられて、心の底からほっとしていた。
依存していたものを急に辞めることに一抹の不安はあったものの、どこか憑き物が落ちたようなアゲハの顔を見ていると、もう、この子は大丈夫なのかもしれないなと思えてきた。
──これも、あいつの影響なのか。
そんなことを考えていたとき、カランカランとドアのベルが鳴った。
現れたのは──蘭だった。なんというタイミングだ。
「蘭…!」
カウンターの近くまで歩いてきた彼に、アゲハが駆け寄る。
「珍しいな。こんな時間に」
いつもは来るとしても早めの時間にやってくるのに、と思っていると、蘭が少し悪戯っぽく笑った。
「暇だから遊びに来ちゃった」
「言ってくれたら迎えに行ったのに」
心配そうな顔をするアゲハに、蘭がくすっと笑う。
「大丈夫だよ。ここ何回も来たことあるし」
「…蘭、華奢だし綺麗だから、変なやつに目ぇつけられそうで心配」
「アゲハは心配性だなぁ」
「…あんまり不安にさせないで。蘭に何かあったらと思うと、俺…」
泣きそうなアゲハに、蘭は苦笑しながら彼の頭を優しく撫でる。
「うん、じゃあ今度から夜遅い時はアゲハに頼む」
「遅くなくても送り迎えするよ」
「アゲハは俺を甘やかすのが好きだね」
蘭は小さく吹き出してから、アゲハのことを愛おしそうに見つめていた。
ライたちは2人の世界に入っていけずに、ぽかんとしながら彼らのやりとりを見ていた。
「え〜、なんかオモロいことになってるんだけど」とキリヤがケタケタ笑う。
レイナは「……誰、あいつ」と、蘭にめろめろなアゲハに怪訝そうな顔を隠そうとしない。
「まあでもライは安心なんじゃないの?アゲハにもっと健全なことに目を向けてほしいって言ってたんだから」とレイナがライに向かって言うと、「………あれは、健全…なのか…?」とライは頭を抱える。
なんという変貌ぶりだ。いくら付き合いを重ねても頑なに心を開こうとしなかったアゲハが、周りの目も気にせず蘭への感情を露わにしている。
これは、単に依存先が変わっただけなんじゃないだろうか。消えかかっていた不安がまた押し寄せてきた。
「そう言えばさ」とキリヤが思い出したように呟く。
「鈴蘭って、毒があるんだって。触れたり、口にしたら、最悪──命を落とすような。可愛らしい見た目なのに、怖いよね」
キリヤの言葉に、その場の空気がしんとする。
「なんであんた、そんなこと知ってんの?」
「俺、結構花好きなんだよね」
そうへらへら笑うキリヤにレイナが眉を寄せる。キリヤはこんないかつい見た目をしていながら、家に花を飾ったりなんかするらしい。
見かけによらない、とは彼のためにある言葉にすら思えてくる。
「…あんたって見た目イカレてて噂好きで下世話で下品なくせに、意外と感性まともなとこ腹立つわね」
「悪口パートひで〜」
例の如く、全く傷ついていない様子でキリヤが笑う。人を引っ掻き回すようなところもあるが、なんだかんだ人当たりは良く、自分がどんなに悪口を言われても一向に気にしないようなところは彼の良いところなのだろう。
「…毒、か」
ぽつりとライが溢す。
「毒が回って、自滅しなきゃいいけどな」
「ま、いいんじゃない?それならそれで。ほら、2人とも幸せそうだし」
キリヤが指差す先をみると、アゲハが蘭に優しく笑いかけている。それは、ライが見たことのない笑顔だった。
同情しかできなかった自分には引き出せない笑顔だった。
「普通の人には毒でも、アゲハにとっては救いだったのかもよ?」
蘭がアゲハに笑いかけている。アゲハを見つめるその視線は、天使のようなあどけなさの中に、確かな情欲を孕んでいる。
それでも、アゲハを愛おしく思う気持ちは伝わってきた。
毒だろうが悪魔だろうが、なんでもいいのかもしれない。
アゲハの笑顔を絶やさないで欲しい。…彼を1人にしないで欲しい。
ライは、そう切に願った。
fin.
ともだちにシェアしよう!

