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第1話 プロローグ
四月。桜がちょうど見頃を迎えていた。
「私立灘浜高等学校入学式」と書かれた看板が校門に立てかけられ、そこから続く桜並木は満開の花を咲かせ、薄紅色に染まっている。
森 紫季《もり しき》は、三年八組の教室の窓からその景色を見下ろしていた。
新しい制服に身を包んだ新入生とその保護者たちが、桜の木の下で写真を撮り合っている。
(キラキラしてんなぁ……)
私立の名門進学校は、高三になる前からもう受験戦争の真っただ中だ。
普通科、理数科、英数科と分かれた中で、紫季が所属する英数科は一番偏差値が高く、いわゆる秀才たちが集まるクラスだった。
赤本を広げるやつ、塾の宿題に追われるやつ、英検のリスニングを繰り返すやつ……。
そんな殺伐とした教室の中で、担任は淡々と進路の話を続けている。話を聞いていない生徒がいても、注意する様子はない。
(……君たちも一年半後はこうなりますよー)
心の中でそうつぶやきながら、紫季は窓の外に目を戻した。
午前中の入学式の頃は、晴れ渡った青空が広がっていた。
だが、下校時には曇天となり、今にも雨が降り出しそうな空模様だ。
テレビでは今朝「桜が見頃」と言っていたのに、春の嵐が近づいているのか、生ぬるい風が時おり吹いて花びらをさらっていく。
「紫季、今帰り? 桜、めっちゃ散ってるね。雨も降りそう」
「……凛太朗、学校では話しかけるなって、いつも言ってるだろ」
「ねえ、今日も紫季んち行っていい? あの漫画の続き見たいんだよね」
(……こいつ、ほんと人の話聞かないな)
「……はぁ。じゃあ、コンビニのプリン買ってきて」
「はいはい、了解」
声をかけてきたのは、紫季の幼馴染、雨宮 凛太朗《あまみや りんたろう》。
同じ住宅街に住み、家は向かい合わせ。物心ついた頃から、自然と一緒にいるのが当たり前だった。
凛太朗は昔から何でもそつなくこなすタイプだった。運動も勉強も人並み以上にできて、さらに端正な顔立ちで、誰にでも優しい。いつも輪の中心にいる人気者だった。
中学に上がると、その「モテ方」は変わった。
頬の丸みが取れ、大人びた顔つきに。頭ひとつ分大きい背丈。常に成績はトップクラス。サッカー部のエース。
モテない理由が、ひとつもない。
そこに“医者の息子”という肩書きが加わり、一気に注目の的になった。
高校に入った今も、凛太朗に寄せられる好意は後を絶たない。
それに比べて、紫季はいつも目立たないようにしていた。
背は少し低めで、華奢な体つき。色白でどこか青ざめた肌に、猫っ毛で無造作な髪。眼鏡をかけ、長めの前髪で顔を隠している。
クラスでも名前より「メガネくん」と呼ばれることの方が多かった。
だけど——決して容姿が悪いわけではない。
前髪の下に隠れているその顔は、小さめの輪郭に切れ長のヘーゼルの瞳、通った鼻筋、きゅっと結ばれたM字の唇。
全体的に色素が薄く、見慣れれば誰もが「綺麗な顔だ」と思うはずだ。
それでも紫季は、自分を隠すように生きていた。
ある“出来事”があってから——
ずっと。
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