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第46話 そして隣には君がいる
「……父さん」
少し静かになった書斎で、紫季がぽつりと呟いた。
「俺……茜さんと葵に、ひどいことした……
気を遣ってくれてたのに、正直、それすら鬱陶しくて……
全然、受け入れられなかった。
本当は、父さんを取られたって——そんなふうに思ってたのかもしれない」
紫季は俯いたまま、小さく息を吐いた。
「……まだ、間に合うかな?」
父は驚いた様子もなく、ただ優しく、静かに頷いた。
「紫季が、そう思ってくれたなら、それだけで十分だよ。
間に合うに決まってるだろ?」
「……そっか。
ちょっとずつでいいから、仲良くなれたらいいな……」
そのとき、書斎の扉の向こうから、弾んだ声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん、おやつだよ〜!
今日はおめでとうのケーキ!!」
「……行こっか」
父と顔を見合わせて、ふたりでふっと笑う。
紫季は振り返り、扉を開けた。
リビングに戻ると、茜がにこやかに紅茶を注いでいた。
葵が隣の席をぽんぽんと叩いて、紫季を呼ぶ。
「ここ、お兄ちゃんの席〜!」
「はいはい」
紫季は微笑みながら席に着き、ふと、茜と目が合った。
「……ありがとう、茜さん」
その一言に、茜はやわらかく微笑んで、静かに頷いた。
——気づけばそこには、ちゃんと“家族”があった。
"凛太朗んち行っていい?"
紫季はSNSでメッセージを送った。
"ok!"
すぐに凛太朗からスタンプが1つ返ってきた。
紫季は、我が家のように家に上がり、凛太朗の部屋に一直線に向かう。
「お疲れ」
「おう!お疲れ」
柔らかな午後の日差しが、レースのカーテン越しに差し込んでくる。
凛太朗は深くベッドにもたれ、脚をゆるく組んだまま、手元の本に静かに視線を落としていた。
──そこへ、紫季がドカッと隣に腰を下ろした。
「……なんだよ、急に」
ベッドが沈み、凛太朗の身体がわずかに傾ぐ。彼は本から目を離さず、低く呟いた。
「いや、別に? 邪魔したら悪いかな〜って思ったけど、やっぱりしてみたくなった」
紫季はヘラッと笑って、凛太朗の腕に無理やり寄りかかる。
けれどその目元には、わずかな緊張の色がにじんでいた。
わざとらしい行動。いつものように軽口を叩くけれど、どこか落ち着かない。
手のひらは膝の上でぎこちなく握られ、肩にはほんの少し力が入っている。
「紫季、何か言いたそうな顔、してる」
紫季はほんの一瞬、目を逸らした。
──バレてる。けど、言うなら今しかない。
だからこそ、こうやって無理やり隣に座ったんだ。
「ねえ、凛太朗」
「ん?」
「ルームシェアの話、してたじゃん。
……それで、俺、ちゃんと考えたんだけど……」
凛太朗が手を止め、紫季の顔を見つめる。
「——一年後……にしたいって言ったら怒る?」
「……一年後?」
「うん、今すぐじゃなくて……大学二年になってから」
紫季は、小さく息を吸って言葉をつないだ。
「家族と、ちゃんと向き合いたいと思った。
今まであんまりうまく、できなかったから……ちょっとずつ、ちゃんと関係を築いていきたいなって。
それができたら、カミングアウトと同棲も、自信持って言える気がする……」
凛太朗は、すぐには返事をしなかった。
ただ静かに、まっすぐな瞳で紫季を見ていた。
紫季は続ける。
「でも……」
言いかけて、ふと唇を噛んだ。
抑えていた気持ちが、胸の奥からせり上がってくる。
「ほんとは、もっと早く一緒に暮らしたい。
毎日一緒にいたいし、朝も夜も、ずっと隣にいてほしいって思ってる。
……そう思ってるんだよ、ちゃんと」
凛太朗の目が、少しだけやわらかくなった。
「知ってるよ」
「……え?」
「紫季が、自分のペースで前に進もうとしてるの、わかってる。
だから、一年後でも三年後でもいい。
俺はずっと待ってるよ。
でも、いつかは必ずしたい。
———カミングアウトも含めて……」
紫季は一瞬、何も言えなかった。
胸がじんと熱くなって、涙がこぼれそうになる。
「……ありがと、凛太朗……
彼氏様はなんでもお見通しですか」
「まぁねー!何年親友した後の彼氏だと思ってんの?」
並んだ肩が、そっと触れ合う。
何も言わなくても、あたたかさが伝わってくる。
二人は、確かに、同じ方向を見ていた。
———半年後
日曜の午後、静かな風がカーテンを揺らしていた。
リビングには紅茶のいい香りと、葵の笑い声がやわらかく響いている。
紫季は深く息を吸い込む。
胸の奥にある熱は、もう“怖さ”ではない。
隣に座る凛太朗が、黙って手を重ねる。
その温もりが、言葉より確かに背中を押してくれた。
「……行こっか」
立ち上がった紫季は、照れくさそうに笑う。
「今から家族に言う。
俺、凛太朗と一緒に生きていくって」
凛太朗が片眉を上げて、軽く笑った。
「お前、大げさすぎ。
まだ“付き合ってる”って報告と、“ルームシェアしたい”ってお願いだけだろ?」
「いいの。
俺にはそれが全部だから」
「……ったく、ほんと真面目だよな」
苦笑しながらも、凛太朗は紫季の手をもう一度ぎゅっと握る。
——もう怖くない。
扉の向こうには、まだ少しの不安と、
それ以上の希望が待っている。
季節は秋。
いつもは、秋雨がしとしと降るたび、
心の奥にひそむ切なさがざわめいた。
だが、今日は違った。
雲一つなく澄み渡る秋晴れの空が広がり、
優しい陽光が彼の胸をそっと温める。
紫季はすっと息を吸い込み、淡く微笑んだ。
「ただいま。話があるんだ」
そう言って、扉を開けた——
fin……
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