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第14話②

***    それから一週間ほど過ぎて、八月の中旬のある朝。  ペンションの前の庭には、叔父さんの愛車の軽自動車が止められ、後ろのトランクには大きなボストンバックとスポーツバックが載せられていた。 「それじゃあ凪、また近いうちに遊びに来るからな」  僕の手を握った蓮さんが、よよよ、と泣き真似をする。 「蓮さん……寂しいですけど、待ってますね」  僕がそういうと、蓮さんは「凪っ」と叫んで抱き着いてきた。それと同時に伸びてくる四本の腕。  蒼佑さんの腕が蓮さんの首根っこを掴んで引き寄せ、千里くんの腕が僕を抱きかかえる。 「れ~~~~ん~~~~っ!!」  ぴたりとそろった蒼佑さんと千里くんの怒り声に、僕はふきだした。  ペンションでのバイトが昨日で終わり、蓮さんと蒼佑さんは今日、地元へと帰っていくのだ。ちなみに千里くんはご両親に頼み込んで承諾を得たようで、学校が始まるぎりぎりまで入浜に留まることになった。 「それじゃあ……元気でね、凪くん」  蒼佑さんが僕に向かって手を差し伸べてくる。僕は手をとり、しっかりと握った。 「いろいろとありがとうございました」 「こちらこそだよ。千里のことよろしくね。心配だなあ。凪くんに迷惑かけないかなあ」  蒼佑さんが僕の隣に立ち千里くんを見る。千里くんが眉を上げた。 「迷惑なんてかけねえよ。子どもじゃねえし」  千里くんの言葉に、蓮さんがにやにや笑って横やりを入れてきた。 「子供じゃないから心配なんだろ~? ほら、お前たち同室だろ。凪、千里に嫌なことされたら、この蓮お兄さんにすぐに言うんだよ? 千里も、いくら凪が可愛いからって襲うなよな」 「えっ……」  僕と千里くんは同時に声を上げた。 (き……昨日の夜、もしかして……聞こえてた!?)   一瞬どきっとしたけど、そんなはずはないと僕は思い直した。  蓮さんたちの部屋は隣じゃないし、僕たちの部屋の物音がそっちまで聞こえるはずはない。それに、昨日の触れ合いはほんの少しの時間だけだったし……。  どうしよう、と伺い見た千里くんの顔も真っ赤だ。  そんな僕たち二人を見て、蓮さんと蒼佑さんが笑い出す。 「まあ仲良くしてるならなんでもいいんだけどさぁ~」 「そうだね」 「お~い、そろそろ出発しねえと電車行っちまうぞ~」  運転席に乗って待機していた豊叔父さんが、身を乗り出して僕たちに向かって叫んだ。 「あっ、そろそろ行かなくちゃ」 「またね、凪くん。千里のことよろしくね」  蒼佑さんの言葉に、僕は「任せて下さい」とおおきく頷いた。蓮さんが千里くんの肩をばしばし叩く。 「千里もしっかり手伝うんだぞ~? 明日美千代さん退院なんだろ?」  そうなのだ。しばらく入院していたばあちゃんに無事退院の許可が出て、家に帰ってこられることになったのだ。二、三日は自宅で安静にしているようにと言われている。 「……なんか美千代さん、帰ってきたその足で海の家に行きそうだな」 「そうなんだよ……。絶対阻止しなきゃ」  僕と千里くんは視線をあわせて頷きあった。 「それじゃあな!」  笑顔で手を振って、蓮さんと蒼佑さんが車に乗り込む。豊叔父さんの運転する軽は、砂利道でガコガコ左右に大きく揺れながらも、ゆっくりと遠ざかって行った。 「行っちゃったな」  いつまでも後部座席から手を振る蓮さんと蒼佑さんの姿を眺めていたら、千里くんがポツリと言った。なんとなく寂しそうな響きを持った声だ。  僕は千里くんの顔を見あげる。 「いっしょに帰らなくて本当によかったの? ほら、涌井くんたちとか学校の友達と遊んだりとか」  僕がそう言うと、千里くんは前方に投げかけていた視線を僕に向けた。そして不思議そうな顔で首を傾げる。 「凪のそばにいる以上に大事なことなんてあるはずないだろ。始業式の前日までここにいるって決めてるんだからな」 「ええ……? それはちょっと……」 「なんだよ、いやなのか?」  千里くんが拗ねたように少し口を尖らせた。可愛いな……じゃなくて。 「そんなわけないでしょ! 嬉しいけど、千里くんの生活も大事にしてほしいだけ。これから先は長いんだよ」  暗に(僕とずっと一緒にいるでしょ)という含みを持たせながら千里くんの顔を見上げてそう言うと、千里くんはいきなり片手で顔を覆った。顔を赤く染めながら、「あ~」と唸っている。 「そんな可愛い顔して可愛いこと言うなよ。帰りたくなくなんじゃん」 「なっ……」  今度は僕が赤面する番だった。 「何言ってんの!? 可愛いとか……! それに千里くんが帰るまで、まだ二週間近くあるでしょ」 「確かにな。その二週間の間にわがまま女王に頑張って尽くして、今度は凪に忘れられないようにしなくちゃな」  冗談めかしていう言葉に、僕はふっと笑った。 「忘れるわけないよ」  制汗剤と混じると海のような匂いする汗が、肌に鼻を擦りつけて嗅ぐと本当は甘い匂いがすることも。  彼の身体が見かけよりももっと分厚くて触れるとやけどしそうに熱く、その腕に抱きしめられるとまるで海の中を揺蕩っているかのように心地がいいことも。  太陽のように眩しい笑顔を浮かべる顔が、僕の存在だけに向かうときは怖いくらいに真剣になることも……僕はもう知っている。  僕の大好きなものがたくさん詰まった人。僕の恋人。  僕は手を伸ばし、千里くんの手にそっと触れた。すぐに千里くんが僕の手をぎゅうっと握り返してくれる。  空は抜けるように青く、入道雲はソフトクリームのように立ち昇る。眼下に広がった海はコバルトブルーで、金と銀の光が呼吸するように瞬く。  僕の大好きな入浜の海で、僕と千里くんの夏は今しばらく続く。 ( end )

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