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第1話
古びた小さな家の和式の一室で昼食を食べていると、鈴が一度鳴りしばらく反動で揺れた。
罠に何かがかかった音。
普段ならもがいた獲物で鈴が鳴り続ける。しかし、今日は一度なったきりで止まった。
箸を置いて、外へ出た。口の中のものを咬み飲み込むと獲物を探しに木の上に糸を伸ばし飛んだ。
しばらく獲物がかからなかった。今朝の食事でちょうど食材を切らせていた。獲物が一つ手に入れば数日はもつ。朝から食事が手に入ったなら数日働く必要はない。
それなら嬉しいものだが、動かないとなると木の枝か。ただ普段よりずっしりお重いものが落ちたであろう鈴の鳴り方だった。動かないところを見るとすでに死んでいるか、気絶しているか。生きていれば新鮮な獲物。それを考えただけでよだれが溢れ思わず唇をなめた。
家の周りの5m範囲に皿網がいくつも仕掛けられている。それを順に見回っていると遠くからでも獲物がかかっていると一目で分かる網があった。
紫の衣をまとい微動だに動かない。音を立てないようそっと近づくと、後ろ髪は長く、顔の横の髪は少し下でお団が結われ、光を反射し、黒っぽい色から紫色が現れる。その姿は美しく触れていいものか迷うほどの美貌だ。
「まぶしい。こんな蜘蛛がいたのか」
近づきその体に触れようとして気づく。体に糸が巻かれ拘束されている。獲物なら厳重に糸をまかれるはずだが最低限の糸で細く巻かれていて気づかなかった。
手は後ろに回され、胴を縛られ、足首にも糸が巻かれていた。
もちろん自分が獲物を見つけ巻いたわけではない。だとしたら網にかかかる前にとらえられていたのだろう。それが空から降ってきたとでもいうのか。
「その獲物を返してはもらえませんか?誤って落としてしまったんです」
太い声が聞こえ顔を上げると白地に黒い斑点模様の衣に、目の前にある獲物と同じく長く垂れた髪の先にはお団子が作られていた。頭を動かせばそれは揺れて振り子のように揺れた。
「悪いが、俺の網にかかった獲物だ」
「それを承知の上です。ここまで運ぶのにも苦労しました。落として失ったとなれば私の雇い主もただじゃ置かないでしょう」
雇い主ということは、誰かに頼まれてこの蜘蛛を連れ去ってきたということ。拘束され意識もない、毒を使われたのだろう。人型の蜘蛛同士で毒を安易につかうものではない。使ったとしても会話をするために意識は残す。それを守っていないということは手段を択ばない者。
身構えると相手も構えた。
「渡す気はないということだな」
相手の足元の砂がじゃりっとなった。
「当たり前だ」
こんな上物逃がすわけがない。飛び上がり、獲物を守るように糸を張り相手の元へと飛んだ。
それが戦闘の始まりとなり、相手は地面を軽くえぐり木の上へと飛んだ。木の枝に足をかけしなる枝をばねに飛んでくる。体をよじり避け、衣をつかむと相手の突っ込む勢いをひねり外へと投げ飛ばした。
相手はあきらめずに何度も突っ込むが、何度もひねり上げられ外へと飛ばされていく。
「どういうことだ!?動きがおかしい」
「どういうって、手首を回してるだけだ」
手首をひねると360度回った。
「どういうことだ!?」
「同じことしか言えないのか?俺はアシヨレグモだよ。関節がよく回るんだ」
そう説明してる間に、こぶしが目の前に飛んできたが即座に身を引きその腕を右に押し流して衣をつかみ手首を回して外へと突き飛ばす。
相手の体は地面へと落ち、すぐに立ち上がる。
「できれば傷つけたくはない。立ち去ってくれるか?」
「断る。その獲物を連れ帰らなければ殺される。それならここで死んでも違いはない」
「なるほど」
「納得してくれたか?」
と安堵の顔を見せた相手の懐に突っ込み心臓を掌で一突きして吹き飛ばした。
「ならばこちらも命懸けだ、容赦はしない」
相手は地面にたたきつけられた体を起こせず、胸を押さえ苦しんだ。
「ま、まて!」
目に涙が浮かんでいる。
「命懸けなんだろう?」
「助けてくれ!もう手は出さない!」
「命懸けなら、ここで逃がせば仲間を連れて殺しに来るかもしれない」
鋭くにらみ両手に糸引き鋭い刀を作り上げ、刃先を動けない体の心臓へ向けた。
「来ない!獲物を逃がしたなら逃げる。戻ってもまともな扱いは受けない前払いで半額は受け取ってるからな。ここで逃げても損はない」
「すさんでるな」
刃を首元に寄せると「ひっ」と小さく鳴いた。
「無駄なことはしたくない!俺はツクネグモだ。この辺には仲間はいないだろ?そんな遠くから仲間を引き連れてくるわけない!見逃してくれ!」
両腕で顔を隠し命乞いをする姿をにらみつけ、ため息をついた。
相手はため息でほっとしたのか起き上がろうとするが、刃をさらに突きつけると動きを止めた。
「あの獲物をどうするつもりだった?あんな美しい獲物をどこから運んできた?どこに連れていくつもりだった?」
「美しい?おまえにもそう見えるのか」
体をこわばらせながらも軽く笑った。
「あれはリュウキュウツクネグモだ。雇い主の主人がたわむれに欲したそうだ。リュウキュウへ行きそこで一番美しいツクネグモを連れ帰れと。それには人間の世界を通って海を渡る必要がある。俺は人間の世界の行き来にも慣れている。だから雇われた。そうだな、人間の世界に逃げて少し時間を置けばまた蜘蛛の世界で働けるな」
男は一息でべらべらとその後の行動も明かした。
「一度だけだ」
刀を引き、数歩下がった。
「さっさと人間の世界へ行け。戻ってくれば命はないと思え」
「ありがたい!」
男は苦しそうに身を起こし、胸を押さえて立ち去った。
それを見送り、罠へと戻ると獲物は起き上がりこちらに気づくと眉間にしわを寄せにらみつけてくる。その美しい目では強さより美しさのほうが勝る。
「どうしてほしい?俺はお前を食べることもできる、逃がすこともできる、このまま連れ帰り嫁とすることもできる」
「なっ!」
獲物は顔を真っ赤にしてあたりを見回した。しかし手足を縛られ網に閉じ込められた状態だ。守るために網にの閉じ込めたわけだがこの状況でわかるわけがない。
「逃げたいか?」
「逃げたいと言ったら逃がしてくれるのか?」
一部の網を払うと網の中へと入り、獲物の背後に回ろうとしたが獲物は警戒して後ずさった。
「後ろを隠されたら糸をほどけないだろ」
「外せなんて言ってない」
獲物はおびえているのか、警戒しているのか。混乱した様子だ。近くにしゃがんで顔を寄せる。
「なら外してほしくないのか?」
「違う……。外してくれ……」
震えた声でか細くいった。何をされたのか相当おびえている。
「先ほどツクネグモが来た。誤って落としたからお前を返せと。この網に入ったからには俺の獲物だから追い返したが。あいつの元に行きたいのか?」
「いやだ!行きたくない!帰りたい……」
獲物の目からは涙があふれていた。
「いやだ……帰して……」
後ろに回り、手と足の糸を取り払い、体に巻かれたいとも取り払って獲物を持ち上げた。
「やだ、おろして」
「町へ行こう、家には今食料がない。今日一日分買うくらいなら金はある。はず……」
獲物はきょとんとしてそれ以上は何も言わなかった。その直後おなかが鳴る音が聞こえた。
「腹減ってるのか?」
「はい……」
獲物はうなづいた。
「名前は?俺はウラトだ」
「チュラ……」
なにやら恥ずかしそうに言う姿が妙に初々しく感じた。
町に着くと、小さな飲食店に入って定食を二つ注文した。
「仕事しないとな」
「仕事をしてないんですか?」
「必要な時にしかしないな。家はあるし、食べれればいい。あとは適当に遊んでくらしてるよ」
「素敵な暮らしですね」
微笑む笑顔がかわいらしく美しい。
それに見とれていると、食事が運ばれてきた。
「ありがたくいただきます」
そういって手を合わせる姿、箸をもち、袖をよけ、茶碗を持つ。一つ一つの所作がどれも見惚れるものがある。
「きれいだ……」
思わず口に出ていた。
「え?」
「あ、いや、盛り付けが」
食事を示し、ごまかした。自信を持って言えない自分を情けなく思う。
「え、ああ、そうですね。とてもおいしそうです」
つやのある髪、滑らかな肌、ちらりと見える胸元。すべてに目が行き、食事がなかなか進まなかった。
このまま返したくない。そばに置きたい。
その欲が高まり、胸が熱くなった。
「お食事、ごちそうさまでした」
食事を終え店を出ると、チュラは丁寧に頭を下げた。
「いや、おいしかったな。久しぶりに人と食べて、まともに味がした気がするよ」
そういいながら、なんともさみしい気持ちになった。一人でも問題なかったが、こんなきれいな蜘蛛が目の前にいれば幸せでしかない。
「すみません、何もできないのですが、急いで帰る方法を探さないといけなくて……」
「え、ああ、そうだよな。帰るんだよな」
「はい、何か方法はありませんか?ここがどこなのかもわからなくて」
見慣れない町で、どうすればいいのか変わらない様子だ。
戸惑うのも無理はない。どこからどやって来て、どうやったら送り返せるのか見当もつかない。
「リュウキュウって場所から来たんだよな?」
「はい!ご存じなのですか?」
チュラは嬉しそうに目を輝かせた。
「ああ、ツクネグモが言ってたんだ。人間の世界を通ってきたとなると、城に行ったほうがいいかもしれない」
「お城ですか?」
期待のまなざしで見つめられると、本当に帰したくない気持ちになってくる。できるだけ見ないようにしよう。そう心に決めた。
「王がの嫁が人間なんだ。城下町のほうだと人間の世界とのやり取りも多くしてるみたいだから、何か方法があるかもしれない」
「本当ですか。よかった!これで帰れる!本当にありがとうございます!」
チュラはそう言って頭を下げ、走り出した。
「おい、一人で行くのか?」
「はい、これ以上は迷惑をかけられませんから。お礼ができないのは心苦しいですが」
「お礼なんて良い。それより心配だから一緒に行くよ」
こんな綺麗な蜘蛛を一人歩かせてたらいつどこで攫われるかわからない。攫うなら俺だ。
そんな下心は口には出せないが共に歩くと、チュラは少し安心した様子だった。
「城下町までどのくらいですか?」
チュラが歩きながらウラトを見ると、ウラトは目を合わせずに答える。
「歩いて半日くらいだな。食事は歩きながら採ろう、何かあるはずだ」
「お金はもうないんですか?」
純粋なまなざしで聞くチュラにまともに働いてない自分を心底恨んだ。
「聞かないでくれ」
「それならこれはお金にならないでしょうか?」
チュラは袖口から小さな小瓶を出した。
「なんだそれ、砂?」
「はい、星砂です。たまに海の砂を拾って星砂を探してたんです」
「砂じゃ売れないだろうな」
「そうですか……、もともとは虫なんですけど。死骸の殻なんですがすごくきれいなんですよ。お土産としても人気があって」
チュラはがっかりしてうつむいた。
「死んだ虫の殻って……。余計にいらないだろ……」
ウラトあきれたように言うと、チュラもすこしあきれたような目を向けた。
「なんだよ」
「いえ、物の価値って人によってこんなに違うものなんだなと思いました」
「断言?」
何やら心に刺さる言い方をされ少し落ち込んだ。
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