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第10話「守る」【完】
育てた花を台に置いて見つめながら、クロウを想って、ハルはため息をついた。
少し出る、と言って、もうどれくらい経ったんだろう。
やはりもう、帰っては来ないつもりなのかもしれない。
もともと、好きに流れて旅をしていると言っていた。ずっと居るなんて約束はしていない。
そもそも、どこの誰なのか。居なくなった今、探す手がかりすらない。知っていることは、何もなかった。
それなのに、思い出だけは妙にたくさんあって、ハルの胸を締め付ける。
ぎゅ、と自分の体を抱き締めるようにして、指に力を籠めた。
どうしようもなく惹きつけられる甘い匂い。優しい歌声。低く笑う声。熱い手の平。強く抱き締めてくる腕。
あの日、無理だと断った。
騎士団長だとも言えなかった。疎まれるのが怖かった。
……クロウなら、受け入れて、くれただろうか。
自分を見つめる、優しい瞳が、忘れられない。どうしたらいいんだろう。
探しに行くか。
もしかしたらいつものあの町を通ってどこかに行ったかもしれない。誰かと話をしていれば行先が分かるだろうか。
いや、無理か……。あれからもう、何日も経った。町で訪ねても、その先、どこに行ったかなんて探せる訳もない。そもそも名前だって、本当なのかすら――。
「馬鹿だな、オレは」
さらけ出すのも怖くて。疎まれたらと思うと怖くて。
クロウを失いたくなくて、臆病になっていた。
……それで、本当に、失ったら、どうしようもないのに。
「アン!」
「アンアン!」
ヴァロとウニが、足元で可愛く吠えて、ハルを見上げてくる。
「ああ、どうした?」
手を差し出すと、二匹がすり寄ってくる。やわらかい、毛並。可愛い。癒される――はずなのに、不意に、この二匹を優しく抱き上げていたクロウの姿が思い浮かんで、あろうことか、涙が滲んだ。
「クロウ……」
ぽつん、と涙が零れる。二匹は心配そうに見上げてくる。
「ああ、ごめん……大丈夫だよ」
声は完全に涙声だ。情けなさすぎる。何が蒼炎の騎士だ。
手の甲で涙をぬぐい、よしよし、と二匹を撫でた瞬間。
「泣いてるのか?」
少し笑いを含んだ、低い声――。
おそるおそる、振り返る。
そこには想い続けた人の姿。二匹がアンアン騒いで、その足元で嬉しそうに尻尾を振っている。
「……クロウ」
クロウは二匹を撫でてから、ハルの近くに歩み寄った。
「ただいま」
ハルの頬に触れて、その涙を指で拭う。
「どこに……行ってたんだ?」
「やり残したことを片付けてきた」
「そう、なのか……」
嬉しいのに、何を言ったらいいのか分からない。
……どうして、戻ってきてくれたんだ?
聞きたいけど、聞けない。こういう時、何を言ったら、良いんだ。
ハルが黙っていると、クロウは苦笑した。
「――意地っ張りだよな、蒼炎の騎士さまは」
「……え」
それを知っていたのか、と驚いて見上げると、クロウは静かな瞳でハルを見つめた。
――あの炎を見られた。そうか、分かるか。
思わず俯くハルは、クロウの手に顔を上げさせられた。
「一人で泣くなら、全部言えばいいのに」
「――」
クロウの、柔らかい声に、何だか力が抜けていく。
良いのだろうか、全部、言っても。
……知っていても、戻ってきてくれたなら。
迷うハルの頬に、すり、とやさしく触れて、クロウはハルをまっすぐに見つめた。
「ハル――もう一度ちゃんと言う。オレはハルのことが好きだ。だから、ハルと番いたい」
「クロウ……」
クロウの深く青い瞳を、ハルはじっと見つめ返した。
「お前が騎士団に戻るなら、オレが入団試験を受ける。絶対受かってみせるから」
自信満々な顔でニヤリと笑うクロウに、胸が締め付けられる。
「そうしたら、もう何も隠す必要はなくなるだろ。オレがお前の側にずっと居て守る」
クロウは、本気で言ってるんだろうか。
涙が出そうな思いでクロウを見つめていると、ゆっくりと顔が傾いて唇が重なる。
至近距離で見つめ合って、クロウが、ふっと笑った。
「お前が騎士団にいるのが嫌なら、二人で旅をするのもいい。腕の立つ奴を求める奴は多いから仕事には困らない。……それも嫌なら、ここでボート屋もいいな。家の隣に店を建てて、美味い料理を出すか」
考えてもいなかったことを、次々と話すクロウに、ハルの唇には、ふ、と笑みが零れた。
「……そこは、考えさせてくれるか?」
「ああ、いいぞ。気が済むまで考えろよ」
は、と笑うクロウの腰に手を置いて、ハルは少し黙ってから、クロウを見つめた。
「――クロウ」
声が、緊張で少し掠れる。
「これからのことは、考える」
「ああ」
「番、の方は……クロウが本気なら、オレも、番になりたい」
ハルが、心臓が飛び出そうにドキドキしながら、必死で告げた言葉。
クロウは、ふ、とその瞳を和らげた。
「本気に決まってる」
「……なあ。最後に確認したいんだが……オレは騎士団の団長に戻るかもしれない……それでも本当にいいのか?」
「番のオメガが騎士団長なんて、最高に格好いいだろ。何が駄目なんだ?」
「……そうか」
ほっとした顔のハルを見下ろして、クロウも笑う。
「ハル、オレも聞きたい」
「……?」
「ハルはいいのか、どこから来たかも分からないこんな男で」
そう言ったクロウを少し見つめた後、ハルは、ふ、と微笑んだ。
「これから聞く。クロウのこと、教えろよ」
多分、どんな生き方をしてきても――今のクロウが、好きなことに変わりはない。
そんなことを思って、花が開くようにふわりと笑ったハルに、クロウは見惚れた。
「あー……くっそ。……ほんとお前」
「――何だ?」
「……死ぬほど可愛いな」
ハルの頭を撫でながらクロウが言うと、ハルは目を丸くして、それから照れたように微笑む。
「そんなこと言うのは、クロウだけだ」
嬉しそうな笑顔にまた目を奪われたクロウは、まっすぐにハルに向き合う。
「オレは、この先の命をすべてかけて、ハルを守る」
「――オレだって、クロウを守る」
見つめ合った瞳が、同時に、ふわりと緩む。
静かに唇が触れあう。目を閉じていたハルの頬に、冷たい何かが触れた。
「……あ」
「ん?」
ハルの見上げた先を仰いだクロウは、ああ、と笑う。
ちらほらと降り始めた綺麗な初雪を見上げて、二人は微笑んだ。
「道理で冷える訳だな」
「中で暖まろう。スープを作ったんだ」
「オレの分、あるのか?」
その言葉に、ハルは一瞬クロウを見つめてから、照れたように俯いた。
「……ずっと、多めに作ってたから」
「――お前、ほんとにやめろよな。その可愛いの。今すぐ抱きつぶすぞ」
「ば、馬鹿。何言ってるんだよ――早く入ろう。ヴァロ、ウニ、入って」
かあっと赤くなって、慌てて二匹を呼んでるハルの後を歩く。家に入る前に、クロウは足を止めた。
「ハル」
「ん?」
「オレの名は、クロウフォード・アーデンだ」
まっすぐ見つめてくるクロウの深く青い瞳に、静かに頷くハルの姿が映る。
「ハーウェル・アイリスだ。よろしく」
アクアブルーの美しい瞳が、ふわ、と。この上なく嬉しそうに緩んだ。
微笑み合う唇が、ゆっくりと重なる。
――セルフォラ王国の第一騎士団に、オメガ性の団長が立ち、その隣に、黒髪のアルファが常に並ぶようになるのは、もうしばらく先の話。
**Fin**
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