1 / 11

夢見るオタクSub

 さくらんぼの入ったマンハッタンを一気にあおる。空になったグラスを木製のテーブルへ(たた)きつけ、髪をかき上げた。 「信じられない! マルチ商法を紹介された挙げ句、追いかけ回されるなんて……」 「この前の男のこと?」  隣にいたニューハーフのお姉さんがドン引きした様子で頬に手をあて、赤い口紅の引かれた唇をジントニックで()らす。 「そうですよ! だから『俺をナンパするやつは、この世にいない』って言ったじゃないですか!?」 「そう怒るなよ。何があったんだ?」  髪を刈り上げたXジェンダーのお兄さんが、テキーラショット片手にケタケタ笑った。  テーブルの上にあるナッツを酒の(さかな)にし、今日のできごとを話す。   「ソフトSMが好きで、恋人に言葉責めしてほしいサブ(Sub)だけど、なかなかいい人が見つからないって話しながら昼食をとってたんです。デザートが来たら、突然あいつ、『ぼくがやってるビジネスの会員になれば、(むち)打たれながらロウソクを垂らされてペニスをねだったり、尿道ブジーを刺した状態でスパンキングされてイクドMにしてあげるよ』って」 「聞いてるだけで頭が痛くなるわね」 「わかりみが深い。サブの要望を無視するなんて、ただの鬼畜じゃん。ドム(Dom)の風上にも置けねえわ」 「腹が立ったので金を置いて店を出ました。そしたら、そいつ車で追いかけてきたんですよ! タクシーを拾って警察署へ駆け込んだら、警官にゲイだってバレて――『おれのケツを掘らないでくれ!』って怖がられました。最悪な日曜日だ!」  おいおい男泣きしていれば、両隣のふたりから「ドンマイ」と背中を叩かれる。 「今日は家に帰ったら二次元の推したちと恋愛して、そのまま寝落ちします。おやすみなさい!」  今期アニメの最推しキャラのステッカーがついたスマホで会計を済ませ、扉を開けば、夜でもギラギラ輝くネオン街。  雲の上を歩く心地で駅まで行き、特急電車に揺られること二十分。築五十年のワンルーム、月一万円の賃貸アパートに到着する。  家族から「お化け屋敷みたいなところに住むな」と反対されたが、住めば都。ここなら夜中、乙女ゲームやBLゲームをやって叫んでも近所迷惑にならないし、床をのたうち回っても壁ドンする人はいない。  ノートPCを起動し、高校時代には手が届かなかった有名乙女ゲームのディスクを挿入。ワイヤレスイヤホンをつけ、「続き」と書かれたボタンを押す。  小説家の先生が書いたシナリオに没頭していると選択ボタンが現れる。頭の中に入っている攻略サイトの情報をもとに、トゥルーエンドへ続くセリフを選んだ。  イラストレーター様の描いた肌面積の多い美麗イラストが画面一杯に表示される。  裸になった主人公は、とろんした目つきをして、上半身裸のイケメン俺様攻めに抱かれている。 『ほら、どうされたいか言ってみろよ』  耳がとろけてしまいそうな声優さんの甘い声がした。  まさしく最&高。これだけでご飯三杯は食べれる。  お気に入りのイルカのクッションを抱き、床掃除用に使うコロコロクリーナーみたいに木の床を転がった。  仰向けになって、シミだらけの天井を眺める。  ――ゲームやアニメの世界と違って現実は非情だ。  三十にもなれば、仕事や推し命で独身主義な人も出てくるし、結婚して子どもや家庭のある人や恋人が初めてできた人も出てくる。  俺は恋をしたいと思いながらも恋人ができたことは一度もない。二次元の推しを糧にして毎日仕事をしている人間だ。  十代、二十代の頃と今じゃ違う。内からわき起こってくる情熱も、勇気もない。  積極的に恋人を作ろうとしても「あの人、変わってるよね」「だよな。ちょっとウザい感じかも」と陰口を叩かれ、好きになった人からは「(ます)()さんに好かれるとかマジないわ、ほんと最悪」と距離を置かれてしまう。 「(じん)のよさをわかってくれる人が、いつか現れるよ」 「積極的に動けば、すてきな人と出会えるって」  善意でアドバイスをくれた友だちは、いやなこと・つらいことがあっても夢や目標、未来の自分のために己の道を突き進んでいる。  だけど、俺には、そんなバイタリティーはない。こうやってゲームの世界やアニメの世界のイケメンと脳内デートやイチャイチャしてるほうが幸せだ。 「あーあ……頭のいい教授や博士が、現実世界から異世界転生や転移する方法を、早く見つけてくれないかなー」

ともだちにシェアしよう!