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第2話

 ドクンと高鳴る心臓の音は、今まで感じた事がない。  オレから花みたいない匂いがする?  「楓也具合の方は、平気そうか? 病院にまわろうか?」    確かに兄の車は、ムスク系の香りが置かれている。  兄自身もそれと、似たような香水をつけているけど…  今までの移り香みたいな事はなかった。    「楓也。カレは後輩くん?」  「えっ…あっ…ハイ…一つ年下です…杏とは、幼馴染で…βって言われてました…」  「へぇ~っβか…礼儀正しそうだし頼りになりそうな子だったね?」  「…………」  「どうした?」    「あの…オレ匂いますか?」  「えぇ~…何が?」  兄は、いつもの調子でルームミラー越しにオレを見る。  「…この場合の匂いって…例の?」  「ハイ…」  「ボクらは、兄弟だし兄だから…気にならないと言えば、気にならないのかもね。でも楓也の微小なヒートの匂いは、一般的には、気付かれにくいだろ?」  オレは、頷いた。  「…ただ…その…さっき車の窓を開けたら匂うって言われて…」  「あぁ…もしかしたら。車の芳香剤かもよ? 匂いが薄くなってきたから。昨日交換したばかりなんだ…」    それもあるのかなぁ~と、呑気に考えるも…  ドキドキする鼓動の速さが、おさまらない。  オレは下を向きギュッと、身体を小さくさせた。    「苦しいのか?」  兄が焦ったような声を上げる。    「大丈夫です…いつものだと思うので…」  いつもの微小なヒートなのに、何が違う。  微かに火照り始める身体が、思うようにならない。  違和感に近い体の感覚は、全く慣れる気配がない。  「………………」  吐くほどじゃないけど、気持ちが悪い。  咄嗟に借りた水色のタオルで口元を覆うと、驚くほど気持ち悪さが薄らいだ。  落ち着く。  でも逆に、このドキドキとした鼓動が早く波打つようになった。  気持ちが、疼くって言うかギュッと身体が委縮する。    「楓也? 本当に大丈夫か?」  「うん…」  嘘でも大丈夫と言わないと、兄は兄で、困る事をオレは知っている。  オレが、こんな身体で生まれてきて一番苦労していてるのは、少し年の離れた兄の裕也だ。  もっとも両親が、仕事で不在がち…  色々と気に掛けてくれるお手伝いさんも、オレの内情をよく知っている。  「今回のヒートは、酷そうか?」  Ωそれが、本当のオレ…  αの両親に同じαの兄…  親族達も、αかβが多いのに対して、オレだけがΩとして生まれてしまった。  α✕αでもΩが、稀に生まれる事を、幼いうちから聞かさらてきたから説明は、今更だ。  小さい頃は、αに負けないようにとがむしゃらに勉強もスポーツも、人一倍頑張った。  それでも、αはその上を軽く超えていく。  そんなα達を、ずっと側で見てきて…  こんな生まれ持った特別な連中に、Ωのオレが敵う訳がないと悟った時。  誰よりも、何十倍と努力をしなければ、αには追いつけない。  結局、オレに足りなかったのは、決意や意欲じゃないか?  Ωである自分への引け目を捨てようと改めたが、やっぱりαの中で生まれたΩと言うだけで、自分自身への僻み妬み不満は、どうしてもつのってしまう。  その挙げ句、成長するにつれてヒートも表れ始めると、αと偽り皆を騙しているΩの自分を、憎むことも増えていった。  ヒート時のどうにもならないαへの刺激と深い欲求。  むず痒く火照る身体が、許せなかった。  押し寄せて来るΩであることの罪悪感…  何で、自分だけ?  ヒートが、過ぎた後の強い脱力感の中で目を覚ますと、いつも涙目だ…    せっかく連休だったのに…  ドコに行くこともなく…  ただひたすら耐え凌いだだけ…  自室から顔を出したオレに家族は、ほっとしたふうに喜んでくれた。    「大丈夫そうか?」  そんな言葉を口々に掛けてくれる。  虚しくなる。  どうして自分だけが? こんな身体なの?    「今回は、連休中で良かったわ…辛くない? お腹空いているでしょ? お風呂から上がったら直ぐに用意するわね」  「ありがとう…」  「何か良い?」    ヒートの後に無性に食べたくなるものがある。    「フレンチトースト。ハチミツを、いっぱい掛かったやつ…」  「分かったわ」と、母さんのフワッとした言葉に安心する。  着替えを準備するのに自室に戻ると丁度、兄が様子を見に来てくれた所だった。  「どうしたの?」  「いや…金曜日…お前を車に乗せて帰ってきたろ? お前は抑制剤が、効いていて寝てたからアレだったけど…」  「車で手に持っていたタオルは、お前のじゃないだろ?…」  「タオル?」  「もしかしてたけど…裏門まで付き添ってくれた後輩くんのじゃないのか?…」  「あっ…」  貸してくれたのを、今の今までの忘れてた…  そう言えば…  あのタオルドコだっけ?  慌てて探すと…  ドロドロのベチャベチャ……  薄っすらと噛んだような跡まで残ってる?  「何で?」  「何でって…お前が、しがみついて離さないし…ヒートの汗とか…まぁ…そう言うので…ボロボロになったんじゃないかな?」  借り物なのに私物化してしまった。  しかも知り合いの…  背筋が凍る。  「兄さん。どうしよう?」  「どうしようって…新しいの買って、返すかないんじゃ…」  「まだ夕方だからお店開いているよね?」  「そうだね…って、何どうした?」    着替え始めるオレに兄は、慌てたように止めに入る。  「楓也は、休んでて…ボクが代わりのモノを探して買ってくるから…」  「うん…洗って返すって言っていたから…お願いできる?」  「あぁ…似たようなモノを買ってくるから。心配しないでいいよ。ほらお風呂に入って、リラックスするといい」  「うん!」    弟の楓也は、安心したふうに階段を降りていった。  弟とは、7歳違う。  可愛い弟ではあるが、楓也の第二次性はΩだ。  小学生頃までは、ボクも両親も楓也をαだと信じていたし…  周りもそう接してきた。  いや…そう扱ってきたが、正しい。  歳の割には、物分りが良くて人の言う通りに従い何でも、その通りこなしてみせた。  優秀で、スポーツもできる秀才。    今にして思えば楓也は、本当の自分の性を知らぬ間にカバーでもするかのように並の優秀ではなく。  持前の努力で、秀才を演じていたのかも知れない。  そう思うと楓也のプレッシャーは、計り知れなかっただろう。  数多くの優秀なαを排出する血筋で、α以外だとβが目立つ。  楓也以外のΩの話は、全く聞かない。   もしかしたら言い出さないだけで、居るのかも知れない。  Ωが不当に扱われたのは、昔の話とは…言うが…  それが尾を引き、たまにΩが軽視される対象になる事は、未だに起こる問題だ。  楓也も、幼いなりに何か感じ取っていたのだろう。    さて…  その弟に頼まれたのタオルだが…  普通の高校生が、貸してくれたものだから高くはないだろうが…  いかにもな値段モノも、失礼だよな…  好みが分かれば、ある程度選べるが……  高校生のぐらいの男の子が、好みそうなメーカー物やブランド系の店は、止めにして…  老若男女に問わず行くであろう量販店に向かってみたは良いが、こう言う場所も…    「意外にランクってあるんだな…」と、店の棚を眺めては溜息をついた。  時刻は、夕方6時頃。  通りは駅前とは反対側だが、人通りは多い。  そして色々な店が、建ち並んでいる。  その場で、立ち止まりキョロキョロと辺りを見渡す。    「はぁ~っ…」   要は、ピンキリの話だ。  そこそこのメーカー物や百均みたいな店が、多い区画ではあるが…  さすがに百均は、まずいだろう? それに普通の店にも、ピンキリはある…  変に安物なんって買ったら…  楓也が、怒るのが目に見える。  かと言って…スポーツメーカーやブランド品もなぁ…  受け取ってくれないかもだし…  ホントにあぁ~言う物は、好みが別れるからなぁ~…  だからと言って、あきらかに安すぎそうな物でもなぁ…  ただ体育で使う物なら…  ありふれた利用品店に並べられたタオルでも構わないか?  幸いな事に借りたタオルの色が、薄い水色ぐらいで好みなのかと呼べそう所はない。   似たような色を見を選べは正解か?  変に思われないぐらいが、丁度良いか? と、若者向きの店に入ろうとすると…  偶然か…  そのタオルを、返さないとならない楓也の後輩が、真後ろの通りを横切った。  一瞬、お礼込みに声を掛けようかとも思ったが…  相手が、急ぎ足で歩いているために声を掛けずその姿を目で追ったままの勢いで、通りを右に回る。  この辺りは、比較的に賑やかな場所だが…  通りから一歩下がると、意外にも静かだ。  カフェや事務所、クリニックなんかが、点在しているはずだ。    「……………」  特に何かが、気になったわけではなく…  興味本位と言うか…  フラッと足を向けてしまった。  後輩と言う子が、入って行ったのは、クリーム色の落ち着いた外観でクリニックとだけ書かれていた。  「病院か?」  スマホで場所を、調べてみると診療科目は、第二次性とだけある。  「ん?」楓也の話だと後輩くんは、βのはずだが…  どうしてこんな所に?  身内にαやΩの第二次性を持つ人が居るとか?  代わりに抑制剤を取りに来たって話も…なくはないから…それでか?  まぁ…他人だし首を突っ込んでいい話ではないかぁ…  ボクは、通りに戻り弟に頼まれた無難な色味のタオルを無難な店で買い家路についた。  「……で…無難が…箱入り?」  「のし付けたほうが良かったかか?」    兄が買ってきたのは、ちょっとお高目のタオルだった。  頼んだのは、オレだし…  買ってきて貰ったのに…文句は言いたくないのだけど……    せっかくのお風呂上がりに現実と言うのか、兄の好意に甘えた代償と言うべきか…  「高校生には、少し値段高くない?」  「そうか? お返しなんだし変なのは、持っていけないだろ?」  「う~~ん…」  「何なら。家にある貰い物のタオルでも持ってくか?」  「コラ裕也! それこそ失礼でしょ!」と、尽かさず母親が間に入ってくれた。  マジマジと兄が、買ってきてくれたタオルを眺める。  「どうせなら…箱を取って…紙袋とかに包んで渡したら?」    さすが、無難を心得ている母は 頼りになる…  ちなみに母の言う紙袋は、百均のラッピングコーナーで売ってそうな当たり障りない柄や色味の包装紙や小袋にフィルムだったりする。  「この草模様の茶色の包装紙に包んで…」と、手際よくタオルを丁寧に包んでくれた。  「明日、渡してちゃんと、お礼を言いなさいよ?」  「はい」  包装紙に包まれたタオルを受け取り一旦、部屋に戻る。  正直に言うのは、ためらわれるから…  洗濯したらゴワゴワになってしまったとか…  そう言う話しを通そう。  リビングに戻ると、夕飯が並べられていて…  両親と兄とオレで夕飯を食べ終えると、早々にオレは、提出期限の迫る課題に取り掛かるために部屋へと戻り机に向かっていると…  突然、部屋のドアがノックされた。  「楓也、少し良いか?」と、兄の声がした。  「何?…」  「うん。入って良いか?」  「良いけど?」  「じゃ…入るな…」と、言いながら兄は、部屋に入ってきた。  「どうかしたの?」  「いや…その…ボクが、楓也を迎えに行ったときに付き添ってくれた…」  「成瀬くん?」  「その子は、確か…」  「背が高いけど後輩だよ」  「じゃなくて…その…βって言ってたよね?」  「うん。杏がそう言っていたよ。ご両親も妹さんもβだって…それが?」  兄はナゼか、口ごもった。  「どうしたの?」  「ちょっと、さっき見掛けたから」  「ドコで?」    タオルを買った衣料品店などが、建ち並ぶ通りの裏でと言う。  そこでナゼ、カレを追うような後の付け方したのかは、疑問だけど…  「別に変なつもりもなかったし。お礼でもと思ったら。その第二次性関連のクリニックに入っていったから…」  「………成瀬くんが?……」  確かに今は、本人じゃなくても、家族と証明されるモノを所持しているとか、予め薬が欲しい人が、家族や又は、知り合いの誰かが取りに行く趣旨を伝えておけば、処方してもらえるけど…    噂で、成瀬くんの家族は皆βって聞いたし…  「先ず…βは、行かないでしょ? 見間違いじゃない?」  「そうかなぁ…やっぱり」  「……そうだよ!」  そこまで気にする事じゃないとオレは、敢えて兄を安心させようと笑って見せると「勉強中に悪かったな!」と、兄は、とんでもない疑問を残したまま去って行った。  一番は、見間違いだろうと思うけど…  仮にそれが、本人だっとするなら、どう言う事?  噂でもそうだけど…  幼馴染の杏の話だと、成瀬くんはβのはず。  αとも、Ωとも聞いた事がない。  何よりも、αっぽくない……  地味で、目立とうとしないしメガネ掛けてて、前髪も長い。  いつだったか、同じクラスメイトに前髪を切った方がとか言われてて杏が、仲裁に入った事もあったし…  あっ…  でも、『顔が整ってる』そんな言葉を聞いたような…  確かに肩を貸してもらった時に少し顔を見たけど…  整ってる方だと思った。  まぁ…あの時は、ヒートが来そうでそれどころじゃなくて…  制御剤が、中々効かなくて…  …!って、そうだよ。  制御剤が、まだ効いてないΩの隣で、平気な顔できるαがいるわけない!     あの日、ヒートからくる気怠さと内からくる熱さが、おさまりきれなくて、身体の言う事もきかなくなり手足の震えが酷くなった。  前のヒートが、思ったよりも軽く済んだから油断していたと思う。  できるだけ誰にも、気付かれないようにと階段の影に身を潜めていたら。  成瀬くんが、声を掛けてくれた…  そう。  微小なフェロモンしか出ないオレでも、ΩはΩだ。  それに反応しないってことは、成瀬くんは、やっぱりβだよ!  Ωのオレからすると、αにΩのフェロモンを嗅ぎ付けられたらと、思うと怖くてたまらない。  オレが、いつも上までシャツのボタンをしてネクタイを締めるのは、自分の身を守るためだ。  体育とかクラブ活動の時は、取って髪とかで誤魔化しているけど…  不測の事態が、いつやってくるかは分からないからタオルを、首に巻いたりしてる。  それ以外では、常にカラーやチョーカーを首に巻いていてある。  それを、隠す為に制服を真面目に着ている。  私服も、それに近い。  本当の自分は、Ωなんだと名乗れれば、それに越したことはないけれど微小なフェロモンを出すための意味のないヒートを、繰り返す度に感じる虚しさは、Ωとして生きられたら少しは、変わるのだろうか?    『皆。αなんだからアナタも、α何でしょう?』  第二次性の診断を聞かされた直後に、オレの家族構成をよく知る人達からそんな言葉を聞かされた。  診断を受ける前から自分は、αと思い込んでいたから余計に、その言葉に気持ちが、強くエグられるようだった。  ほんの二、三年前の話だけど…  当時のオレは、その事が受け入れられなくて…  悩んで塞ぎ込む寸前だった。  それを家族は、励ましてくれた。  気晴らしにと色々な所に連れて行ってくれた…  杏に出会ったのも、その流れからだった。  母親同士が、仕事の付き合いで親友となり似た年の子供がいると分かり意気投合して…  たまに会うようになって色々と話すうちにオレが、Ωだと知ったっぽい。  不規則なヒートを、繰り返すオレに杏が言った。  「私、楓也と同じ学校受験する!」  「なんで?」  「う~~ん。なんって言うか、一人でも、知ってる人が居ると心強いでしょ?」  「まぁ…そうだけど…」  「それに私…母と同じように将来は、モデルとしてやっていきたいの! でも、せめて高校だけは…って…よく言われてるから…」  最初から進学とか、そう言うのには興味がないと豪語していて、あくまでオレを守る側に付きたいと申し出る杏は、颯爽と入学してきた。  学校でよく一緒に居るせいか、恋人として見られているらしく……   違うと、訂正しようとするオレに杏は…『良いじゃんない? どうせ私は、βだし…何も、問題は起こらないでしょう? 親公認とか、適当に言っておけば、邪なヤツは、追っ払える!』と、杏は笑った。  杏は、それで演技を勉強しているのだとか…  『商品や服とか、雰囲気とか、その時のモデルのコンセプト…とかあるじゃない? こう言うイメージを意識して欲しいとか、だから学校での私は、恋人が居る役を演じるのよ。役に入り込むとか、常に皆を意識するって大切なことなのよ!』  確かに今までは、αの見た目だけで付き合って欲しいとか、言われることが多かったけど、杏の登場で、オレに近寄ってくる人の数は減っていった。  まぁ…あれだけ目立てる杏だからこそなんだろうけど…  別にオレと杏の間で、何かがあるわけでもない。  色々と助けてくれる兄妹みたいな…  ずっと、そうしてきたからこそ信頼できる存在。  あえて恋人の振りをして、オレの第二次性が、急に現れた時に盾になってくれたり家族に連絡を取ってくれたりしてくれる。  一度、学校でオレ特有の微小ヒートを起こしてぶっ倒れ掛けた時に、たまたま隣りに居合わせた杏が、冷静に兄へ連絡を取ってくれた時は、杏を心強いと思ったけれど、兄が現れたと同時に涙ぐみそうになるのを見て、もしかして杏は、兄の事が好きなのかもと直感した。  家族ぐるみで仲が良いし。  兄と杏ならお似合いだと感じている。  『私と、裕也さんが…』  『そうかなぁ~って…』  少し顔を赤くさせて、俯いたふうにしているのを見て吹き出したオレに杏は『何で分かったのよ…』と、怒った。  『勘みたいな?』  『勘?』  『でも、オレ応援してるからね!』  『あっ…ありがとう…』  照れまくりの杏を見ながらオレは誰に対しても、誠実な姿を見せてくれる杏に幸せになって欲しいのと、夢を叶えて欲しいと強く願っている。  それと同時にオレは、そんなふうに想いを寄せられる相手を見つけられるのか、それがどんな人なのか…  知りたいようで、知りたくなくて…  恋愛を、面倒だと思っている。                                        

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