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第5話

   5  監禁の疑いがあるということで、ボクはすぐに田舎の駐屯所から、県警の警察署に移送された。おそらく、あの動物病院の院長が通報したのだろう。皇くんに催眠をかけ、思考を奪ったことは事実だ。罪に問われても、仕方がない──。 「心堂尽、釈放だ」 「え……」  あまりにもあっけなくボクは釈放された。どうやら皇くんが合意だったと一貫してボクをかばってくれたらしい。 「合意……」  家に向かって呆然と歩きながら呟いてみる。  きっと彼はまだ催眠が解けていないに違いない。 だってそうだろ? ドッグフードだけでやせ細った身体、長い間の四足歩行で曲がった背中──……催眠を解いた瞬間の彼の姿は痛々しいものだった。 「…ご…っ、なさ……」  ブロック塀に倒れ込むように体を預ける。 「ごめんっ……ごめっ……」 突然、激しい後悔と罪悪感が一気に押し寄せてくる。 「……ッごめんなさいっ! ぅうっ……」  犬として扱われた日々は彼にとって苦痛だったはずだ。  ドッグフードの食事、部屋での排泄、しゃべることも二足歩行も許されず、プライベート空間など皆無だった。 「っつ……ぅ、ボクはっ……なんてことをっ──!」 気づかないうちに自分にも催眠がかかっていた。皇くんをアレクだと思い込むために。 彼の気持ちに気づいていたのに── ボクも彼に惹かれていたのに── 「アレクの死を……乗り越える方法は……きっと、他にもあったのに……ごめんっ……皇くん……ごめんなさいっ……!」  ブロック塀に背中を預け、ずるずるとしゃがみ込み、ボクはしばらく動くことができなかった。  長年働いたカウンセラールームを片付け、小さなバッグにまとめていると、あの看護師が心配そうに来てくれた。 「心堂先生、ほんとに辞めるんですか?」 「うん。催眠かけて監禁したって噂流れて……まあ事実だし、苦情も酷いし。これ以上病院に迷惑かけられないから」 「……これからどうされるんですか?」 「んー。まだわかんない。しばらくゆっくり考えてみるよ」 「……彼とは」 「ん?」 「皇くんとはもう会ってないんですか?」  好奇心ではない。本当に心配してくれているようだ。 「会えないよ。どんな顔して会えば……」  謝らなければいけない。それは分かっている。でも怖い。催眠が解けた彼に何を言われるか── 「ふ……はは」  ふいに自嘲気味に笑ったボクに看護師が余計心配そうにする。 「ううん。ボクも人間だったんだなって思って……」 「先生──何か困ったことがあったら連絡してください!」 「……うん。ありがとう、キミも元気で」  ボクはバッグを肩に背負い、扉を開けた。  借りていたマンションにも苦情が殺到したため、ボクは引っ越しも行った。 「つか……れた……」  数週間──いや数か月かもしれない……ボクは何もやる気が出ず、しばらく段ボールに囲まれて過ごしていた。 「あ……久しぶりにあの本読みたいな……」  孤独を毛嫌いしながらも、それを愛し、浸る男の話──。  のろのろと起き上がり、どこに仕舞ったのか思い出せずに段ボールを漁っていると、見慣れない手帳を発見する。 「これ……」  本と一緒にまとめて放り込んでいたようだ。  表紙には可愛らしい犬のロゴがついていて、めくってみて驚く。 そこには、綺麗な字で、皇くんの日記が書かれていた。 〇月×日──晴れ。スパゲティ、味は甘め 〇月×日──曇り。ドッグランで先生とアレクと遊ぶ。楽しかった 「〇月×日──晴れ。アレクに飛びつかれて先生が尻もちをつく。笑ったら、睨まれちゃっ……う、ぅっ……」 気づかないうちに涙が溢れていた。そこにはアレクとボクと皇くんの幸せな日々が綴られていた。 「皇くん……っ、会いたいっ──!」 彼はずっとボクに好きだと全身で伝えてくれていた。 今度はボクの番だ。もう一度ちゃんと伝えたい。 だがそう決心したものの、どこに住んでいるのかすらボクは知らない。 「カルテには書いてたと思うけど、さすがに無理だよな……」  個人情報を勝手に見るわけにもいかない。どうしたものかと思っていると、ふいに看護師の言葉を思い出す。 『困ったことがあったら連絡してください』 「連絡……」  ボクは急いで携帯をタップする。 あの子なら、何かいい知恵を貸してくれる気がした。 「あ、心堂先生? ちょうど良かった。連絡しようと思ってたんですっ!」 「え?」  電話に出るなり、慌てた様子の看護師にボクは嫌な予感がしてしまう。 「落ち着いて聞いてください。皇くんの家、炎上してます」 「え、火事!? は、早く消防車をっ!」 「そうじゃなくてっリンク送るんで読んでください!」  恐る恐るリンクを開いて見ると、そこには家の住所から家族構成、昔の写真まですべてが晒され、〝変態一家〟だの〝鬼畜〟だのあることないこと叩かれていた。 「うそ、どうして──」 「田舎ですもんね。ネタになれば何でもいいんでしょう」 「行かなきゃ……」  ボクは何かに突き動かされるように車のキーを握る。 「ファイトです! 先生!」 「ありがとうっ! また後で」  電話を切り、アクセルを踏む。  なんて声を掛けたらいいのか分からない──許してもらえるかも分からない。  それでも謝って、今度こそちゃんと好きだと伝えたい──!  晒されている住所に到着し、ボクは唖然としてしまう。ひどい落書きにゴミが散乱し、そこから腐った匂いが漂っている。なんだかわからない液体もそこら中に飛び散り、ボクのせいなのだと思うと、足が震え、逃げ出したい気持ちになる。 (弱気になるな。何を言われても謝るって決めただろ!)  そう自分に言い聞かせ、不安を押し殺してチャイムを押す。  ピンポーン──  しばらく待っても反応がない。留守かもしれないと思いながらももう一度押す。  ピンポーン、ピンポーン── 「……はあ、留守かあ……」  出直そうと思って踵を返した時だった。家の中から悲鳴と物が激しく割れる音が聞こえ、ボクは咄嗟に玄関を開け、中に飛び込んだ。 「ちょっと、アンタ、何を勝手に」  中から母親が出て来てボクを全力で止める。 「今悲鳴が──皇くんの悲鳴ですよね? 何があったんですか? 彼は無事なんですか?」 「ちょっと、この犯罪者っ! 警察呼ぶわよっ!」 「構いません」 「ッツ」  とにかく確認させてくださいと力づくで入っていき、声がした奥の襖を勢いよく開ける。 「──ッ! 皇くんっ!」 「せん……せっ……」  髪はむしり取られ、真っ赤な血が畳を濡らしている。すぐ隣には興奮しきった男が立っていて、ボクを憎しみの籠った目で激しく睨みつけてくる。 「お前か。息子を誑かした変態はっ! お前のせいで、うちはいい笑いモンだっ!」 「……申し訳ありませんでした」  ボクは膝を付き、頭を下げる。 「謝って済むと思ってんのかっ!」 「思いません。後でいくらでも訴えるなりして頂いて結構です。でも今は……」  ボクは自分の不甲斐なさに泣き叫びたくなるのを堪える。違う方法で彼と向き合っていたら、こんな目に遭わせずに済んだのに──。 「彼の手当てをさせてください。お願いしますっ!」  ボクは頭を下げた。 ボクもきっとこの男と変わらない。  だからこそ、もう二度と間違えない。 「お願いします!」 「っつ……もう要らねえよっ! 二度と戻ってくんな!」  そう言って乱暴に襖を閉め、出て行く。 「ッツ! あ、ありがとうございます」  ボクは急いで彼を担いで車に乗せ、近くの病院に運んだ。  大怪我には違いなかったが、命に別状はなく、治療が終わってからは麻酔でよく眠っていた。 「……んせ、先生?」 「皇くん! 良かった……良かっ……うぅっ」  目が覚めた彼を見て、ボクは張り詰めていた糸が切れてしまった。 「皇くんっ……ごめん、ボク、ほんとにひどいことを──」  泣きながら謝るボクに、皇くんは笑って首をふる。 「なんで謝るの? 俺は幸せだったよ……先生の大切な犬になれて──」  そう言って微笑む彼に、胸が締め付けられる。確かにあの両親の虐待に比べればマシかもしれない。だが、あんなものは愛なんかじゃない。  ボクは震える声で懺悔を続ける。 「……ドッグフードしか食べさせてなかった……」 「うん」 「服だって上だけで……トイレも、そのまま──」 「うん」 「ずっと四つん這いで、体中痛かったはずだっ──それでも?」 「うん。幸せだった。例えアレクの代わりでも」  そう言ってまたほほ笑む。 「ッツ……それはッ」  違うと言えなかった。ボクはアレクを失った喪失感に耐えられなくて彼に責任をなすりつけるような形で利用したも同然なのだ。 でも今は──。 どう伝えたらいいのか逡巡するボクに、皇くんが悲しく微笑む。 「気にしないでよ、先生……俺はアレクを利用したんだ。どうしても先生と一緒にいたくて──」 「…………」  そんなことは嘘に決まっている。彼がどれほどアレクを大切にしていたか、傍で見ていたボクには痛いほどわかる。 でもそれをどう伝えればいい? ちゃんと彼に届けるにはどうすれば──。 「先生さえ良ければ、もう一回催眠を──」 「ッツ! バカっ!」 「──ッツ!?」  気づいたら、抱きしめていた。 「心堂、せんせ──?」 「もうそんなもの、必要ないんだよっ!」  ボクは何をしていたんだろう。彼が悲しい顔をしているというのに、綺麗に届けようなんて──。 「ッツ……ボクだって、ずっとキミから逃げてた。居心地のいい関係を壊したくなくてっ……キミに甘えて、酷いことも言った……」  支離滅裂でもいい──とにかく自分の想いを届けたい。 「先生……」 「ボクも、キミが好きなんだ。愛してるっ──!」  最後の方は涙声で震えてしまった。俯くボクに彼の声が優しく響く。 「……先生。顔上げて」 「……やだ」  ぐちゃぐちゃに汚れている顔を見られたくなくて渋っていると、両肩をそっと押された。 「っつ……」  さっきまでの微笑みはなく、彼の目が不安そうに揺れる。 「……その、許してくれるの? アレクのこと──」  語尾が小さく、最後は涙で震えていた。 ボクは彼の頭をそっと撫でて答える。 「……許すも何もキミは悪くない。むしろ一緒に受け止めて欲しい」 「ッツ……」 「ボクと一緒に──」 「うん……うん!」  ようやく彼に年相応の笑顔が戻る。 「先生……大好き、愛してる」 「ボクもだよ」 「もう絶対、離れないでよッ」 「うん。約束する」 ボク達は抱き締め合い、柔らかく、優しいキスを交わす。  退院したらどこに行こうか──いや、きっとどこに行っても、何を見ても彼となら楽しいだろう。

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