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第1話

     プロローグ 「――罪人、共に国を滅ぼさないか?」  見惚れてしまうほど美しい形の唇が、邪悪に歪んでいる。  耳に心地よい低音で囁かれた言葉の意味が即座に理解できず、リンゼは深青色の瞳をぱちぱちと何度も瞬かせた。頭の中は大量のクエスチョンマークで埋め尽くされている。  ――なんて? 今のは……聞き間違い?  後ろ手に拘束され、硬い床に両膝をついた体勢のまま、リンゼは呆然と正面に立つ相手を見上げる。見開いた瞳に映っているのは、稀代の芸術家が生涯をかけて作り上げた最高傑作だと説明されても納得できてしまうくらい、恐ろしく整った男の顔だった。  銀に近いプラチナブロンドの髪がシャンデリアの煌めきを反射し、冷たい光を放っている。見つめた相手を心を奥底まで見透すかのようだ。  現在進行形でその金色に囚われているリンゼの背筋にも、ぞくりと悪寒が走る。  伏し目がちにリンゼを見下ろしたまま、ゆっくりと口を開いた。 「私に従い、国を滅ぼせ」  さっきの言葉は聞き間違いだと思いたかったのに、男が再度紡いだ台詞が現実を突きつける。リンゼは緊張感に耐えきれず、男から目を逸らすように宙に視線を彷徨わせた。  ――この人、うちの国の王様……だよね? そんな人が『国を滅ぼせ』って言った?  内容が衝撃的すぎて、全然頭に入ってこない。  この場所が、ルウタニア王城内にある謁見の間だということはわかっている。  リンゼを地下牢から連行してきた騎士たちが、扉の前でそう説明していたからだ。  そういえば粗相をするなとも言われた気がするが、何をすれば粗相になるのだろう。ここには咎める人間がいないので確認のしようがなかった。  広すぎる謁見の間にいるのは、眼前に立つ若き王とリンゼの二人だけだ。  ――俺って一応、罪人のはずだけど……そんな俺が、国で一番偉い人と二人きりになって大丈夫なのかな。  罪人という立場であるリンゼの手足は、拘束用の魔道具できつく縛められている。  こんな状態で王を害するなんて、どう頑張ったとしても無理だったが……だとしても、この状況はまともじゃなかった。  ――まあ……拘束されてなくても、この王様に勝てる気はしないけど。  麗しい美貌にばかり気を取られてしまいそうになるが、王は顔だけでなく体格にも恵まれている。一九〇近い長身で、手足はすらりと長い。しかも、それらを無駄だと思わせないくらい鍛えられた体躯をしていた。腰に佩いた長剣は飾りではないということだろう。  王といえば〔賢者〕の称号を持つ魔法師でもあるはずなのに、杖だけでなく剣も扱えるなんて、天はいったい、この王に何物を与えたのか。  ――一人にそんなにたくさん与えられるんだったら、俺にも一個ぐらい分けてくれたらよかったのに。  あまりの格差に不貞腐れた気分になってくる。  ――それに、なんかいい匂いもするし……ずるすぎない?  王が纏う香の匂いだろうか。豪奢な外套の裾が揺れるたび、花に似た爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。一か月近く、じとっとしたカビ臭い地下牢に閉じ込められていたリンゼにとって、久しぶりに嗅ぐいい香りだった。  心地よい香りを胸いっぱいに吸い込んでから、リンゼは改めて王の顔を見る。  ――作り物みたいに綺麗な顔してる……これが同じ次元の人間とか信じられないなぁ。CGだって言われたほうがまだ納得できるって。そういえば、買えなかった新作ゲームの敵キャラがこんな感じの綺麗な顔してたっけ。  ついつい現実逃避が捗ってしまった。  ふと、頭をよぎったのは、リンゼがこの世界に生を受ける前の記憶だ。  リンゼは異世界からの転生者だった。  前世、こことは違う世界で別の人間として生きていた記憶がある。  魔法がない代わりに科学が発達した世界の〔日本〕という国で二十歳まで生きた記憶だ。  今、この危機的状況にあまり現実感が持てないでいるのも、前世の記憶が影響しているのかもしれなかった。  ――っていうか、現実逃避ぐらいしかできることないんだよな……この状況。  ここから逃げ出すのはどうやったって不可能だ。王に質問したくとも、口にがっちり咥えさせられた口枷が邪魔するせいで呻くことくらいしかできない。  だからといって王の顔ばかり見つめているのが変なのはわかっていたが、なぜだか目が離せなかった。こんなに美しい人をリアルで見るのが初めてだからだろうか。  ――たぶん……それだけじゃない気がするけど。  王も、一度もリンゼから視線を離さなかった。ずっと冷え切った表情をしているが、リンゼを映す金の瞳の奥には強い感情が揺らめいて見える。王の瞳に魅入られてしまう理由は、その瞳に宿る感情のせいじゃないかとリンゼは思い始めていた。 「頷くならば拘束を解いてやろう。断るならば――どうなるかは言わずとも理解(わか)るな?」  いつまでも答えを出さないリンゼに痺れを切らしたのか、王が凍てつくような声色で告げる。おそらくは最後通告というやつだ。  ――今のって……断ったら殺すって意味?  その疑問はすぐに解消された。王が腰布に差していた短杖を手に取り、先端をこちらに向けたからだ。こんな至近距離から魔法を撃とうとするなんて――杖先に現れた魔法陣を見て、リンゼは驚きに目を見開く。  ――わあ、すごっ……風の攻撃魔法陣だ。かまいたちみたいに、風の刃が飛び出すやつじゃん。背面に結界の魔法陣が重ねがけしてあるのは、自分を守るためかな?  リンゼは魔法陣を怖がるどころか、身を乗り出して観察していた。  魔力によって生じた髪の毛ほどの細い光の糸が編み上げた繊細な白色の魔法陣。王の生み出した魔法陣はリンゼがこれまで見たどの魔法陣より、美しく緻密なものだった。  その気品ある見た目は、王の印象とも重なる。  ――すごい……めちゃくちゃ綺麗。  呆然と見惚れてしまうのも仕方なかった。もっと近くで見てみたくて、リンゼは無意識に魔法陣へと顔を近づける。すると、杖の先端がリンゼと距離を取るように動いた。  リンゼが顔を近づけた分、王が一歩後ろへ退いたのだ。 「罪人……貴様、自ら命を絶つ気か」  戸惑いを含んだ声で問われ、リンゼはハッと我に返った。あと数センチまで迫っていた魔法陣がどういう意味を持つものか思い出して、さーっと血の気が引いていく。  ――そうだ……これは、俺を殺すための魔法だった。  魔法陣の美しさに夢中になっている場合ではなかった。鋭利な風の刃が皮膚や肉を斬り裂き、全身が血で赤く染まるところを想像し、ぶるりと身を震わせる。 「死を望むというのが答えか?」  王の問いに、リンゼは慌てて首を横に振った。 「牢で処刑を待つ身だった貴様にわざわざ選択肢を与えてやったのだ。慎重に選べ」 「――――っ!?」  王が重ねて告げた真実が、リンゼをさらに混乱させる。  ――処刑って……俺、殺されることになってたの?  初めて知る内容だった。牢でおとなしくしていれば、そのうち解放してもらえるものだとばかり思っていた。それなのに、自分はいずれ殺される身だったなんて。  ――嫌だ! こんなところで死にたくない。  死なんて望むはずがなかった。リンゼの表情の変化から何かを感じ取ったのか、王が杖の先から魔法陣を消す。 「では――私に従うか?」  選択肢なんて、最初からなかったのだ。生き延びたいのなら頷くしかない。  少し間を置いてから、リンゼはこくりと頷いた。

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