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第2話
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事の発端は、一か月ほど前に遡る。
リンゼが生まれ育った魔法大国ルウタニアは一千年前、魔王の侵略から世界を守った四英傑の一人、大賢者ネファローシャが築いた国だ。
豊富な魔力を宿す霊山脈に囲まれた所柄、ルウタニアの国土は隅々まで魔力に満たされている。それゆえに大賢者がこの場所に国を興したと言い伝えられているほどだった。
魔力に恵まれた環境は大地やそこに育つ草木だけでなく、この地で生まれ育った人々の身体にも影響を及ぼす。ルウタニアの民は皆、生まれつき体内に膨大な魔力を宿し、それに耐えるだけの強靭な魔力回路を持っていた。
赤ん坊が言葉より先に魔力の操り方を覚え、ほんの小さな子供がおもちゃで遊ぶように魔法と戯れる。本来ならどちらも修練を重ねた魔法師にしかできないことだったが、ルウタニアの民にはこれが当たり前だった。
魔法を愛し、魔法に愛される――これがルウタニアが魔法大国と呼ばれる所以だ。
だが、なんであっても〔例外〕というものは存在する。
リンゼはその〔例外〕だった。
リンゼは生まれつき、魔力を持っていなかった。
異世界からの転生者なのに〔チート〕と呼ばれる特別な能力を持っていないどころか、この世界の人間が当たり前に持っている力すらない。出来損ないの役立たずだった。
魔力を持たない人間なんて、普通はあり得ない。
人は魔力がなければ死んでしまう――それが、この世界の常識だった。
魔力は魔法を使うためだけの力ではなく、人間の生命活動を維持するためになくてはならない力だからだ。
魔力がないのは、血液が流れていないのと同じ。
そんな状態で生きているリンゼが、両親の目には奇妙に映ったのだろう。
もしかしたら、自分たちとは違うものに恐怖を抱いたのかもしれない。
両親はリンゼのことを早々に手放した。三歳になってすぐのリンゼを、辺境の田舎町に一人で暮らしていた祖母のもとへ預けたのだ。両親の顔はそれ以降、一度も見ていない。
それから十年近く一緒に過ごした祖母も五年前に亡くなり、今は一人で暮らしていた。
生まれてすぐ医術師から『十歳まで生きられない』と言われたリンゼだが、今年で十八になる。今もリンゼの身体に魔力は流れていなかったが、健康状態に問題はなかった。
見た目だって、周りと何も変わらない。
珍しくもない焦茶色の髪に深青色の瞳。顔立ちはごく平均的で、わざわざ説明するような特徴もない平凡男子だ。同年代より少し身体が小さめだったが、それは同じように小柄だった父親に似てしまっただけで、魔力の有無は関係ない。
勉強が苦手なのも、前世と変わらなかったし……魔力がないことで他人より劣るところがあるとすれば、魔法が全く使えないことくらいだった。
「……まあ、それが大問題なわけだけどさ」
ベンチに座り、空に向かってぽつりと吐き出す。
普段は町はずれにある自宅からほとんど外に出ないリンゼだが、今日は半月に一度と決めている食料買い出し日ということで、久しぶりに町の目抜き通りを訪れていた。
目抜き通りといってもリンゼの住むアロゥナは辺境の田舎町なので、そこまでたくさんの店があるわけではない。いつもはあまり人が多い印象ではなかったが、今日は珍しく大勢の人で賑わっていた。
中央広場で、町民参加の魔法訓練が行われているからだ。
「この訓練、町の人はみんな参加してるのかなぁ」
買い出しを終えたリンゼはその訓練を、広場から少し離れた場所にある木陰のベンチに座って眺めていた。
赤茶色のタイルで舗装された広場には魔獣の形に切り抜かれた木製の的が複数置かれ、手持ちの杖を構えた人々がその前に並んで立っている。離れた場所から攻撃魔法で迅速かつ正確に目標の的を破壊する、結構本格的な戦闘訓練のようだった。
訓練に参加している中には祖母が贔屓にしていた商店の店主や、パン店の若夫婦の姿もある。まだ十歳にもなっていない小さな子供たちも大勢参加していたが、魔法が使えないリンゼのもとには訓練があるという知らせも届いていなかった。
「……町が大変なことになってるのも、知らなかったし」
ここ数か月、アロゥナ周辺では人が魔獣に襲われるという事件が多発していたらしい。
つい先週も隣町に繋がる街道で行商人の親子が突如現れた魔獣に襲われ、全員が重症を負ったのだという。ほとんど引きこもり状態で、町民と交流の少ないリンゼはそんな事件があったことすら全然知らなかった。
今回の訓練は、そういった魔獣被害から自分たちの身を守るためのものだった。
リンゼもできることなら訓練に参加したかったが、魔法が使えない自分が無理に混ざったところで足手まといになるのは目に見えている。
こうして離れたところから、こっそりと訓練を覗き見ることしかできなかった。
「――水球が三発、軌道はまっすぐ……当たるけど、的が壊れる威力じゃないな」
リンゼは、誰に聞かせるでもなく呟く。
じっと見つめていたのは、的の前に立つ青年の杖先に浮かぶ魔法陣だ。
リンゼが言い終わって三秒後、青年が生み出した魔法陣から水の攻撃魔法が放たれる。
頭ほどの大きさがある水球が三発、続けざまに的に当たった。しかし、ふよふよとゆっくり飛んでいった水球の威力はかなり弱く、的は少し揺れただけで壊れることはない。
「次の人は土魔法かぁ。地面から生える土槍が二本、後ろからってことは敵の死角を狙う感じにしたんだろうな。威力はそこそこあるけど……あれは当たんないな」
同じ的に向かって、今度は壮年の女性が魔法を撃つ。
またしてもリンゼが注目していたのは、その女性の構える杖先に浮かぶ魔法陣だ。
放たれた魔法の内容と結果はリンゼが予想したとおりだった。攻撃を外してしまった女性は恥ずかしそうに笑いながら、隣で見ていた連れ合いらしき男性の肩を叩いている。
「戦闘訓練っていうからもっと厳しい感じかと思ったのに、結構ゆるいんだ……あれで本当に大丈夫なのかな? 一人目の水魔法の人は球の大きさにこだわりすぎて威力がだめだめだったし、二人目の土魔法の人はあれこれ考えすぎたせいで攻撃が当たらないっていう本末転倒っぷりだったし」
二人とも攻撃魔法に慣れていないという以前に、魔法に無駄が多い気がする。彼らの描いた魔法陣には、その無駄がはっきりと現れていた。
「水球の人はまず水の特性を知るところからだな。水は質量があるから、攻撃に使うなら圧縮して密度を上げたほうが速く鋭く飛ばせるし、そのほうが制御もしやすいのに」
さっき見たばかりの魔法の改善点を、拾った木の棒で地面に書き連ねていく。
これは誰に見せるわけでもない。ただの自己満足だ。
「土槍の人に助言するなら、やっぱり槍の形状かな。まっすぐ生やすより地面から迫り上がるような角度をつけたほうが回避されにくいし、ちょこまか動いて当てにくい敵なら複数本の槍を扇状に出すとか、そういうのもよさそうだよな。まあ……あの人は動かない的を狙って外したんだけど」
自分ならどういう魔法にするか、あれこれ考えてみるのは楽しかった。
魔力のないリンゼじゃ実際に魔法は撃てないが、こうやってやり方を考えるくらいはできる。他人に迷惑はかからないし、これくらいは好きにしても怒られないだろう。
「……とはいえ、やっぱりちょっと虚しいよなぁ」
自分でも魔法を撃ってみたい――魔法への憧れは小さな頃からずっと変わらなかった。
なんなら前世から、魔法には憧れを抱き続けている。
「そろそろ帰ろっかな」
地面に書いた文字を靴底で適当に消して、リンゼはベンチから立ち上がる。
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