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第6話
こんなものはゲームにもなかった。リンゼは「すごい、すごい……」と小声で繰り返しながら、壁に刻まれた魔法陣を指先でなぞる。
「もっと怯えるかと思ったが、そんな反応とはな」
「!!」
隣から話しかけられるまで、レファーランが隣にいることを忘れてしまっていた。
勢いよく振り返ったリンゼの顎に、レファーランが長い指を添える。
「貴様はずいぶんと変わっているらしい」
そう言いながら、視線が合うようにリンゼの顎を持ち上げた。
――え、ちょっ……これって、顎クイ!?
今まで誰にもされたことがない、恋人がするような仕草に焦る。
無表情でリンゼを見つめるレファーランにそんなつもりがないのはわかっていたが、それでも変な汗が止まらなかった。
――王様、距離感バグりすぎてない?
王族というのは皆こういうものなのか、それともこの王が特別なのか……リンゼには判断がつかない。
「貴様はこの場所が恐ろしくないのか?」
こんな体勢で問うことではない気がするが、レファーランはいたって真面目な様子だった。リンゼは動揺を落ち着けてから口を開く。
「怖くないのは、王様と手を繋いでるおかげじゃないかな……たぶん」
扉が開いたときは足が竦むほど怖かった。それが怖くなくなったのは、レファーランと手を繋いだ瞬間からだ。だから、そうじゃないかと思って答えたのだが。
――俺……もしかして、恥ずかしいこと言った?
言ったそばから、リンゼは後悔していた。
手を繋いでいるから怖くない……なんて小さな子供が言う台詞だ。じわじわと恥ずかしさが込み上げ、耳まで熱くなってくる。
「……そうか」
しかし、レファーランの反応はあっさりしたものだった。
答えに納得した様子でリンゼの顎から手を離すと、視線をおもむろに壁の魔法陣へと向ける。その彫刻のように美しい横顔に、リンゼはまた見惚れていた。
壁を見つめたまま、王がゆっくりと唇を動かす。
「――貴様には、この封印を解いてもらう」
「え…………」
淡々と告げられた言葉にリンゼは一瞬固まった。すぐ我に返って、首を横に振る。
「いや、それは無理だって。俺には魔法が使えないし」
「貴様に魔力がないのは知っている。実際に封印を解く工程は私がやるので問題ない。貴様にやってもらいたいのは、ここにある魔法陣をすべて解読し、封印を解く方法を見つけることだ――それならばできるだろう?」
疑問形だが、レファーランの言葉には「できない」と言わせる気のない強い圧があった。
「ここにある魔法陣を、全部……」
リンゼは改めて、封印の間をぐるりと見回した。
そこまで広くない空間だが、この場所には数え切れないほどの魔法陣がある。魔法陣は壁だけでなく、天井にまでびっしりと隙間なく刻まれていた。
それだけではない。封印の間の中央には、石でできた巨大な祭壇が鎮座している。
その表面に刻まれている細かな彫刻もすべて魔法陣のようだ。
――あの祭壇すごく嫌な感じがする。あれって、もしかして……。
「中央の祭壇は、魔王を封印する要だと伝えられている。近づいてみるか?」
「……っ、嫌だ!」
レファーランの提案に、リンゼはぶんぶんと激しく首を横に振った。祭壇には絶対に近づきたくない。繋いだままのレファーランの手を、ぎゅっと握って強く訴える。
レファーランはしばらく黙ってリンゼを見下ろした後、すっと目を細めた。
「安心しろ。無理強いさせる気はない――今はな」
最後の一言が不穏だったが、今はその気がないと知って、リンゼはほっと息をついた。
――いや、安心してる場合じゃないんだって!
物騒な仕事を押しつけられたことに変わりはない。
魔王の封印を解くなんて、正気の沙汰とは思えなかった。
この封印のおかげでこの国……いや、この世界は平和を保てている。
一千年前に四英傑が魔王を封印していなければ、この地は人の住める場所ではなくなってしまっていたはずだ。
せっかく手に入れられた平穏を、どうしてこの王は壊そうとしているのだろう。
「私がなぜ国を滅ぼそうとしているのか、不思議か?」
王の瞳には、やはり心を読む力があるのだろうか。
ほんわりと妖しげに発光して見える金色の瞳から、リンゼは目が離せなかった。
「そうだな、教えてやろう……いや、貴様には見てもらったほうが早いか」
レファーランはそう言うと、天井を指差した。
指先に導かれるように顔を上げたリンゼは天井に目を凝らす。そこに刻まれている、ひときわ大きな魔法陣を無意識に読み解いていた。
「――標的を限定した魔力吸収魔法? 吸収した魔力は……祭壇に流れ込んでる?」
「やはり、あの魔法陣がそうだったのだな」
「っ!」
これまでずっと無感情に近かったレファーランの声に、明確な感情が宿っていた。
激しいまでの怒りと殺意……そして、それとは別のもう一つ。
――王様の声、震えてた。それに、手も……。
繋いだままの手が、わずかに震えている。
レファーランはまるで仇を見るような目で、天井の魔法陣を睨みつけていた。
「この上に何があるか、貴様にはわかるか?」
「…………」
「玉座だ。王のために用意された椅子の下に、この封印の間は存在している。そして――天井にはあれが刻まれている」
天井の魔法陣は魔力を吸収し、下の祭壇へと流し込む魔法式で構成されていた。
しかも一つだけではなく、周りに刻まれた複数の魔法陣が同じ働きをしている。極めて強力な魔法ということだ。
「もしかして……この魔法陣は王様の魔力を吸収して、祭壇に流すためのもの?」
「そのとおりだ。魔力を捧げ、魔王の封印を維持することこそが、王に課せられた使命。だからこそ王族の中で最も魔力の多い者を王とする決まりがある」
そういえば、ルウタニアの王位継承にはそんな決まり事があった。
田舎に暮らす平民の自分には関係ないことだと、あまり気にしたことがなかったが……まさか、その決まり事の裏にそんな事情があったなんて。
「ルウタニアの歴代の王が短命であることに、貴様は気づいているか?」
「言われてみれば……俺が知ってる王様はみんな、四十歳までに亡くなってる」
この国の平均寿命は前世の日本に比べれば短いが、それでも六十年以上はある。そうだというのに、歴代の王の寿命はその三分の二にも届いていなかった。
「前の王様なんて、二十六歳で亡くなったって……その理由って」
リンゼはもう一度、天井を見上げた。そこには魔力を吸収するために刻まれた魔法陣がある。これだけ大量の魔力を吸われ続けた場合、その人はどうなってしまうだろう。
――魔力がなければ、人は生きられない。
この体質で生まれてから、何度も聞かされた言葉だった。リンゼはそれに当てはまらなかったが、普通の人間は魔力がなければ生きられない。だとしたら、減ってしまうだけでも相当なダメージになるんじゃないだろうか。それこそ――早死にしてしまうほどの。
「その前王というのは、私の双子の弟だ」
「…………え」
静かに告げたレファーランは、なおも天井の魔法陣を睨みつけていた。
その理由がわかった気がしたが、さすがに直接尋ねる勇気はない。
「……どうして、こんな無茶な封印魔法なんか」
「かつては、そうでもなかったのだろう。しかし長い年月により、封印の一部が朽ち、綻びが生じ、封印の維持に必要な魔力は膨大なものとなった。そのため、王は国を守るための生贄にならざるを得なくなったのだ」
「王様が、国を守るための生贄に……」
こんな恐ろしいものが城の地下に隠されていたなんて……まだどこか信じられない気持ちのほうが大きい。リンゼはもう何も考えられなかった。
「私に、国と心中する気はない」
レファーランは、きっぱりと言い放つ。
「こんな国など――私がこの手で滅ぼしてやる」
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