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★第1話,第2話 特別だよね
つい3日前、今瀬 秋 は、地元の兵庫県から一人、ここ東京へ上京してきた。
わざわざ引越しの手伝いに来てくれていた両親も昨晩帰ってしまい、まだあちこちに積み上げられているままの段ボールを一瞥し、秋は入学式のため新たに進学する高校へ向かった。
秋が入学したのは、都内で有名な芸能科のある高校だ。
テレビや映画で活躍する多くの芸能人が出身校として上げるこの高校には、売れっ子の卵が多数集まってくる。
秋はまだ"芸能人"という肩書きを背負うには似つかわしくない、駆け出しのシンガーソングライターだ。地元で開いたワンマンライブには精々70人ほどが集まる程度、そんな無名の秋がこの有名な芸能科のある高校に進学できたのは、運よく拾ってもらった秋の所属する大手芸能事務所の力に他ならない。
秋は馴染めるかなあ、と不安になりながら、恐る恐るといった様子で、その高校の校門をくぐった。
時間より随分早めに学校に着いてしまった秋は、芸能科の生徒らが待機する教室へ向かう。
すでに教室には多くの生徒が待機していて、さすが芸能科、といった様子で、その生徒のほとんどが整った容姿をしていた。
生徒らはそれぞれ用意された教室の椅子に座り、ただじっと時を待っているようだ。
まるで互いを品定めするかのように静かに生徒らの視線は交差し、それは秋にも例外ではなく、教室の扉を開いた瞬間、生徒らの視線が一斉に秋に注がれた。
秋は思わずぺこりと頭を下げたが、それに生徒らは特段反応せず、そうしてすぐに視線を外してそっぽを向いてしまった。
秋はその異様な空気感に思わず息を呑んだ。
そんな折、秋が逃げるように腰掛けた教室の隅、隣に座っていた一人の男子生徒が声を掛けてきた。
同じ新入生で、名前を高野 快斗 と名乗る彼は、「なんだか緊張しちゃうね」と砕けた柔らかい話口調で秋に言った。
高野は名前を名乗った後、ダンサーとして事務所に所属し、今はレッスン生としてアーティストのバックダンサーとして主に活動をしていると話し、「まだデビューもしてないのにさ、こんなとこ来ちゃっていいのかなあ」なんて少し不安そうに笑った。
秋はそんな高野に強く共感の気持ちが湧き、「俺も全然売れてないのにさ」と縋るように返し、そうして続く会話の中で二人はすぐに意気投合した。
そうして高野とお互いの身の上話をしているとあっという間に時間が過ぎ、入学式の開始を知らせる校内放送に従い、秋らを含む新入生たち生徒は入学式の会場である体育館へ移動した。
体育館にはパイプ椅子が大勢並べられており、パイプ椅子の座面には、生徒ら一人一人の名前の書かれた入学式の案内が置かれていて、秋は自分の名前を見つけ、その指定された席へ腰を下ろした。
その案内にペラペラと目を通していると、体育館のステージに上がった職員の一声により、やっと入学式が始まった。
秋の隣はまだ、空席のままだった。
そうしてしばらく経った頃、遠くの後ろの方で生徒らの一部がなぜかざわつき始めた。
ステージに立った職員はそれを一瞥し、静粛に、と生徒らに注意をしたのだが、その声は止むことなく、むしろ増していってこちらに近づく感覚があった。
そうして秋が思わず振り返った時、その声の原因であるだろう一人の生徒がこちらに歩いてくるのが目に入った。
秋は、その人を見て、思わず目を丸くしてしまった。
その青年が、あまりにも美しかったからだ。
先ほど教室にいた生徒らも揃って美形であったが、それとはまるで違っていた。
まるで精巧な絵画のように一ミリの狂いもなく目鼻などのパーツが置かれ、シャープな輪郭で構成されたその顔には余計な余白が一切なく、驚くほど小さい。
目はくっきりとした平行の二重で、吸い込まれそうな程に大きな瞳をしている。その瞳は黒々としていながらもどこか光に透けて蒼みがかっていて、淡く色づいた唇の赤、その色バランスは計算され尽くしているようだ。
柔く色素の薄い茶色い髪は柔らかいウェーブを描き、しかしきっちりと整えられている。
背はスラッと高く、まっすぐに長く伸びた足と小さな顔のせいか、彼に更なる異次元感を与えていた。そしてそんな彼が纏った制服はまるで彼だけのためにデザインし仕立てられたように見えるほどだ。
人間と表すにはどこか違和感があるほど、彼だけがこの空間に存在していない幻覚なのではないかと思えるほどに、彼は恐ろしいほど整った容姿をしていた。
秋が呆気に取られていると、彼は、秋の目の前を通り、秋の隣の座席に腰を下ろした。
周りの視線がその彼に集まっている。
いまだざわつく生徒たちに、再び職員は静粛に、と注意をした。
そうしてやっと、それらの視線は再び舞台上へ移った。
それでも秋は、彼から目を離すことが出来なかった。
体育館に差し込む光の全てが彼を照らすために存在し、また、小窓から吹き込む風は彼の髪を心地よく揺らすために存在しているのか、という錯覚を起こすほど。
彼は案内をチラッと確認した後、目線を舞台へ移した。
秋はその視線の動きと瞬きにさえ、何故かどきりとしてしまった。
長いまつ毛が上下する様を、息を呑んで見てしまう。
動いている――。
そんな当たり前のことに驚きの感情が湧いてくる。
ふと、秋の視線に気づいたのか、彼がこちらに顔を向け、彼の視線と秋の視線が交差した。
秋は途端にまるで石のように動けなくなり、ただじっと彼を見つめることしかできない。
そうしてしばらく視線が交わった後、彼はふわりと口角をあげ、秋に向かって小さく会釈をした。
その仕草に、秋の心拍数は異様に早まった。
そうして彼が再びその視線を舞台上に戻してからも、秋はただ呆然と彼に視線を向け続けてしまった。
――
入学式が終わると、クラスごとにホームルームがあった。
秋は教室に移動してからもチラチラと彼を意識してしまう。
黒板に張り出された席順通りに秋が着席すると、彼もまたその席順を確認し、秋の一つ前の席に座った。
担任の先生に促され、生徒らは一人ずつ自己紹介をしていく。
事務所名やこれまで出た作品などを自己紹介に交えるものもいたが、彼は順番になるとスッと席を立ち、「壱川 春 です。よろしくお願いします。」と簡素な自己紹介をして、小さく微笑みながら静かに席に座った。
秋は彼の話す様と初めて聴く彼の声にすっかり気を取られ、教師に何度か促されて次が自分の番だとやっと気付き、慌てて立ち上がった。
その様子にクラスメイトたちはくすくすと笑い声をあげる。
秋は自身の名前と、シンガーソングライターをやっていることを慌てた様子で話し、また慌てたように席に着いた。
――
ホームルームが終わってすぐ、彼―壱川春 の周りには人だかりが出来ていた。
秋はピンときていなかったが、春 はすでに地上波のドラマや映画に出演しており、このクラスの中では売れっ子らしい。
そんな彼と一言話そうと、クラスメイトたちが集まっていたのだ。
春はそれらの全てに、にこやかに愛想良く接していた。
秋はそれを呆然と眺めることしか出来ない。
そうしてただじっと春を眺めていると、先ほど仲良くなった高野がふと秋の元に来て、秋の視線の先にちらりと目をやり、「すごいねえ、THE芸能人って感じじゃない?」と小さな声で耳打ちするように秋に言った。
秋は春に目線を残しながら「凄い、顔、だよね」と呟くように言った。
それに高野はあはは、と声をあげて笑い、「いや確かに、凄い顔だよね。同じ人間とは思えないよね。みんな綺麗だけどさ、ちょっと…特別―だよね」と言った。
――――――
入学してしばらく経って分かったことは、春はとても物静かで無口で、決して自分からは人に話しかけたりしないことだ。
けれど常に彼の周りには吸い寄せられるように人が集まり、春はいつも人の中心にいて、けれど、その輪の中でもニコニコと微笑んでいるだけで、自ら話し出すようなことはなく、黙って聞き役に徹していた。
その目立つ容姿とはどこかギャップのあるものだった。
秋は春のことを入学式以来ずっと気になっていたが、
それは決して特別なことではないようだった。
誰にとっても、春は興味を惹く特別な存在だった。
秋は席が前後で近いことを良いことに、隙を見てことあるごとに春に話しかけた。
最初こそその容姿に驚いて呆気に取られていたが、他の生徒たちに対する春の柔和な対応に、秋も勇気を出して話しかけてみたのだ。
すると春は他の人へと同じように、秋にも分け隔てなく優しく返答をしてくれた。
そうして興味のままに秋はたびたび春に多くの質問を投げかけたが、そのほとんどの質問に「んー…」と考える仕草をした後、「今瀬くんは?」と優しく聞き返され、それに秋が答えると、「そうなんだ」と微笑まれ、質問に対する春の回答のないまま会話が終わる、というのがいつもの流れで、だから、秋は一向に春のことを知れずにいた。
春は、同じ事務所だという舛井 光里 、そして春と過去に共演歴があるという松山 淳 と、よく一緒に行動していた。
そこに秋と、秋が入学式で仲良くなった高野の二人が参入していくようになり、休み時間などはよくその五人で行動を共にするようになっていた。
その五人でいる間も春はあまり多くを話さず、穏やかにただいつもニコニコと微笑んでいた。
一緒に過ごしている時もそうでない時も、秋はつい春をよく目で追っていたが、春には隙がなかった。
春は常に見られていることを理解しているかのようだった。
無防備な姿は一切見せず、ただいつも、小さな微笑みを浮かべていた。
――――
――――
そうして目まぐるしく日々が過ぎ、入学して一ヶ月が経った。
その日、秋を含む新入生らは、学校行事である二泊三日の校外学習へ向かった。
行き先は京都。
1日目は京都の寺社仏閣の見学、2日目は自由行動、3日目は帰宅といったプログラムだ。
生徒たち同士の親睦も目的に入れられたこの校外学習では、学校側により決められた数人ずつの班に分けられ、校外学習のプログラムは基本、その班ごとに行動することになっていた。
班は名簿順で分けられているようで、苗字の名簿が続く秋と春は、ごく自然と同じ班に組み分けられた。そして宿泊する宿の部屋割りも同じように名簿で組まれ、春と秋は宿泊する宿も二人で一緒になった。
秋はそれに思わず心を躍らせた。
1日目の午後。
生徒らが訪れたのは、有名な芸能の神が祀られた神社であった。
参拝を済ませ、神社内を歩く中で、秋は春に話しかけた。
「この神社、来たことある?」
すると春はふっと視線を秋に向け、ふわっと微笑んで言った。
「随分前だけど、あるよ」
「そうなの?1人で?」
「ううん、事務所の人と来たよ」
「へえ、そうなんだ!俺は初めてでさ」
「そうなんだ」
そう言って春はまた優しく微笑み、目の前の社務所に目線を向けた。
秋も同じように目線を移す。
芸能神社らしく、芸事に関するお守りがいくつも並んでいる。
秋ははっと思いついたように、春に提案した。
「ねえ、お守りをさ、お互い買い合わない?」
その提案に少し不思議そうな表情を浮かべた春に、お守りは自分で買うよりお互い買い合うほうが効果があるらしいよ、と秋が言うと、春は素直にその提案を受けてくれ、秋の選んだ揃いの芸事のお守りを互いに買いあった。
そうして授かったお守りを手に取り、秋はそれを天高くかざして言った。
「一生大事にする!」
すると、春は少し首を傾げて、また少し不思議そうな表情で、言った。
「.…お守りって…一年で神社に返すんじゃなかった?」
春のその言葉に、秋は拗ねたように言った。
「関係ない!春が買ってくれたやつだから!」
そう言ってすぐ、秋はあ、でも…と控えめに尋ねた。
「…春は来年返しちゃう?」
すると春はまた小さく微笑み、言った。
「僕も持っておくね」
その春の答えに秋はパッと表情を明るくさせた。
そうしてまた神社をぐるぐると徘徊してしばらく経った後、その後に予定されている神社へ向かうバスに生徒らは乗り込んだ。
走るバスの中、隣に座る春を秋はちらりと盗み見る。
窓の外に目を向けた春のその様子はまるで映画やドラマのワンシーンのようで、つい秋はじっと見つめてしまう。
そうしてふと、春がその視線に気付いたのか、秋に目を向けた。
秋はその視線に思わずびくり、とする。
春は少しだけ口角をあげ、どうしたの?とでも言うように、少し顔を傾けた。
秋は咄嗟に首を横に振る。
すると春は小さくまた微笑んでから、また窓の外に目線を映した。
秋は自分の鼓動が少し早くなったことに気付く。
…やっぱり凄いんだな、芸能人って。
ただ目があっただけで、男の自分もどきどきさせてしまうなんて。
そう秋は思ってから、ふっと嬉しくなった。
まだ”芸能人”とはおおよそ呼べない自分に、春は対等にお守りを買い合ってくれた。
願いが叶うといいね、と言って、春が手渡してくれたあのお守りには、きっと、とんでもないパワーが籠っているだろう、と、春に与えられたどきどきを思って嬉しくなったのだ。
そうして秋は頬を緩め、お守りを取り出そうと、かばんを漁る。
そうして秋の表情はどんどんと曇っていった。
お守りが、ない――。
秋は次第に焦り、ガサガサとかき回すように鞄を漁った。
しかし、どこを探しても見つからない。
ついにどこにもない、と分かると、秋は顔面蒼白になって大きなため息を漏らした。
「――どうしたの?」
その声にパッと顔を上げる秋。
声の主である春に視線を向けると、春は少し心配そうにこちらを見つめていた。
秋は事情を話そうとしたが、しかしそれを咄嗟にやめ、少し吃りながらなんでもない、と春に言った。
すると春はじっと秋を見つめて様子を伺うようなそぶりをした後、しかしそれ以上詰めることなく、そっか、と言い、また視線を窓の外に戻した。
自分から言い出して買ってもらったくせに、しかも一生大切にする、なんて言ったお守りを、買ってもらって数十分のうちに失くしてしまった――なんて、言い出せるわけがない。
そうしてもう一度だけ、と再び鞄を漁ってやはり見つからないお守りを思って、秋はガックリと項垂れた。
――
「…ここだ」
あれから心ここに在らずといった様子で校外学習の1日目のプログラムを終えた秋は、宿に戻って深夜、春が寝たのを確認し、1人、お守りを探すために宿をこっそりと抜け出した。
運良く神社は宿から徒歩でなんとか迎える距離で、秋は土地勘のない中、街頭のない道をひたすら歩き、そうしてやっと神社に辿り着いた後、神社の地面に張り付くようにして必死にお守りを探す。
そうしてやっと神社中を周り1時間が経つ頃、秋は意気消沈してガックリと項垂れる様に神社の境内にあった段差に座り込み、大きなため息をついた。
「…ダメだ……ない…せっかく買ってくれたのに…」
ああ…と弱々しく秋は声を漏らし、そうしてしばらくただ項垂れた後、諦めて帰ろうと地図を見るために携帯を取り出した。
しかし、カチカチ、と電源ボタンを押すが、反応しない。
秋はえぇ…?と情けなく大きな声を上げ、何度繰り返しても画面がつかないままの携帯に再び大きく項垂れた。
土地勘のない秋には地図なしでは宿に戻るすべもない。
「…終わった…」
そう力なく呟いて、秋は真っ暗なその神社にぐでん、と寝転んだ。
そうして視界に入った空は、黒々と雲ひとつなく、澄み切った空にはいくつか星が浮かんでいた。
「…ははっ、きれ〜…」
そうして半ばヤケクソで乾いた笑いを上げ、また再び大きなため息をついた。
とその時。
ザクザク、と神社の砂利が遠くで鳴ったのが聞こえた。
秋はその音にバッと勢いよく身体を起こし、音の方向に身体を向けた。
徐々に近づいてくるその人影は手元にライトを持っており、秋はその光が眩しくて思わずギュッと目を閉じた。
そうして目を閉じている最中、その人が声を発した。
「…今瀬くん?」
聞き覚えのある声に驚いて秋が咄嗟に目を開ける。
眩しさに目が慣れてそこに姿を現したのは、他でもない、春だった。
秋は大きく目を見開いたあと、堪らず顔をくしゃりと崩して、泣きべそをかきながら春に飛びついた。
春はそれにおお...と小さく声を漏らして動揺を見せつつも、しかし優しい声で尋ねた。
「どうしたの?何かあったの?」
秋は安心感で堪らず流した涙を必死に拭い、鼻を啜りながら言った。
「…ごめん…あのさ…」
そうして秋は酷く落胆した表情で、春が買ってくれたお守りを無くした、と告げた。
すると、春は「そっか」と優しく相槌を打った後、
「じゃあ明日、また買いにこよっか」と秋に言った。
その提案に秋は思わずパァッと顔を明るくしたのだが、しかしすぐに、いやでも…と、再び表情を暗くして言った。
「明日自由行動だし…春も見たいところあるだろうし…」
すると春はふわりと笑い、優しい声で言った。
「僕、京都が地元だから別にないよ、行きたいところ」
秋は驚いて聞き返す。
「えっ、京都出身なの!?え…初めて知った!」
春はまた、ニコリと微笑んだ。
「じゃあ普段は関西弁?」
「んー…家族と話すときはそうかな」
秋は春を覗き込むように言った。
「え、聞きたい」
「急に言われても難しいな」
春は少し困ったような笑顔を見せ、続けて言った。
「今瀬くんも関西出身だよね?」
その言葉に、秋は思わず目を丸くした。
自分のことを知って、覚えてくれていることに感動したからだ。
「すごい、覚えてくれてるやん!」と秋が思わず関西弁で返事をすると、春は少しはにかみながら、「覚えてんで」と、同じように関西弁で返事をした。
その頃には秋の涙はすっかり引っ込んでいた。
そうしてその後、春に連れられ宿に帰り、お互いがベッドに入った後、秋は、そういえばさ、と春に声をかけた。
春がふっとこっちを伺ったのが分かる。
「春も俺のこと、名前で呼んでよ」
春は何も言わないで、ただこちらを見ている。
その反応に秋は不安になり、春に尋ねる。
「てか…俺の下の名前…知ってる?」
「秋、だよね」
春はそっと微笑んで返事をした。
秋はふっと笑顔をこぼした。
「同じ季節の名前やな」と秋が嬉しそうに言うと、春はまたふわっと微笑み、「そうやな」と少し笑って言った。
試しに、春、と秋は呼びかけてみる。
すると春はふわりと微笑むだけで、何も言わない。
「えぇ…言ってよ、春も」
「…やだよ」
春は小さく笑いながら言った。
「なんでよ〜!…恥ずかしい?」
「…まだ呼び慣れてないから」
「じゃあ明日ね」
「…うん」
「楽しみにしてるから!」
秋がそう言うとまた春は小さく微笑み、そして瞼を閉じた。
秋はその顔を少しだけ眺めた後、自分も目を閉じた。
そうして翌日、春は約束通り、秋にお守りを買い直してくれた。
お金は払う!と秋は言ったのだが、「それじゃ意味ないよ」と春はお金を受け取ることはしなかった。
秋は神社のすぐそばにあったアイス屋を指さし、言った。
「お礼にアイス奢らせて!甘いもの好き?」
すると、春は「好きだよ」と秋に微笑んでそう答えた。
その言葉に、秋はなぜかどきりとした。
それを誤魔化すように、味どうする?と秋が尋ねると、春はじっとアイスが並べられたケースを見ながら、うーん…、と小さく声を上げた。
悩むそぶりを見せる春に、秋はそっと提案してみる。
「抹茶は?ほらここ京都だし」
すると、春は少し眉をひそめて、再びうーん…と小さく言った。
その表情を見て、秋はもしかして、と春の顔を覗き込んだ。
「…抹茶苦手?」
すると春は困ったように笑い、小さくうん、と言った。
「京都出身やのに?」
秋がそう関西弁で冗談っぽく春に言うと、春も、京都やのに、と同じように冗談めかして返事をした。
秋はそれに、なんだか心がくすぐられるような感覚を覚えた。
結局、春はバニラ味を選び、秋は抹茶味を選んだ。
二人並んでそばのベンチでアイスをつつく。
秋はイタズラっぽい顔で、ほら一口、と自分の抹茶味のアイスを差し出した。
すると春はじっと秋の目を見てから、徐にアイスをスプーンで掬い、口に入れた。
表情を変えずに、アイスを溶かすように口を動かす春に、どう?と秋は尋ねる。
「…苦い」
確かにアイスは本格的な抹茶が使われていて、風味が豊かだ。
しかし、苦いと言えるほどではない。むしろ、秋にとってはかなり甘く感じた。
秋はその春の言葉に思わず吹き出した。
ム、と口角を下げ苦い顔をする春を見ながら、秋は笑いながら言う。
「お子ちゃまだ」
春は表情を変えず、じっとまだ口に残ってあるであろう抹茶に少しだけ眉を寄せている。
「これで苦いなら、コーヒーとかも飲めない?」
春は渋い顔でこくりと頷いた。
秋は春の意外な一面を知って嬉しくなり、続け様にじゃあゴーヤは?ピーマンは?などと、苦味のある食べ物を挙げていく。
春はそのほとんどに、小さく眉をひそめて首を振った。
秋はそれにケラケラと笑って反応した。
すると春が少し目を細めて、秋は?と尋ねた。
俺は…と言いかけて、秋はハッと春を見た。
「…秋って呼んだ?!」
すると春は小さく笑って言った。
「呼んだよ」
秋は嬉しくて、思わずにこぉ、と大きく笑い、もう一回!もう一回!と嬉しそうにねだる。
しかし春は困ったように微笑んで、用事が出来たら呼ぶね、と言った。
そうして、秋は小さく笑う春の横顔を見て、思わず微笑んだ。
春の少しずつの自己開示が、たまらなく嬉しい。
もっと、春のことを知りたい。
秋はそう思った。
秋は頑なに名前をもう一度呼んでくれない春に、ついに諦めてアイスを食べ進めていると、ふと、なぜ昨日神社まで自分を探しにくることができたのか、と不思議に思った。
そしてその理由を尋ねてみた。
すると春は何ともないように言った。
「…たまたまだよ、コンビニに行きたくて、外に出ただけ」
「あ…え、でも…もっと近くにコンビニあったよね?」
すると春は少し迷った仕草を見せた後、
「少し気になったから」と言い、控えめに話し出した。
部屋に戻ってから鞄をひっくり返して何かを探しているようで、お守りの紙の袋を何度も確認してたから、お守りがないのかな?と気づいて、と。
「夜遅く部屋を出ていったから…それにずっと帰ってこなかったから…
神社って暗いし探せるのかな、と思って」
秋は思わず尋ねる。
「心配…してくれたの?」
すると春は小さく笑い、それには何も言わず、アイスを一口すくって食べた。
そして笑って言った。
「…やっぱりバニラ、美味しい」
秋は、春が自分のことを見ててくれていたという事実に、猛烈に嬉しくなった。
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