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第17話
部屋に戻ると、三日間の旅の疲れと、一日中砦内を歩き回った疲労がどっと押し寄せてきた。
「ああ、疲れたぁ~」
オレはベッドに飛び込もうとした。しかし、隣にレオン殿下がいることを思い出し、寸でのところでベッドダイブを止めた。殿下の前でガキみたいなことをするところだった。危ない危ない。
オレは椅子に腰掛けた。レオン殿下も向かい側の椅子に座り、オレと向かい合わせになる。
「今日の視察で気付いたことは?」
レオン殿下が質問してきた。どうやら今日の視察について話し合う気らしい。
「ええと、そうですね。まず訓練の内容が基礎的すぎるというか……」
オレは思ったことを素直に言った。
「国境の砦なのに、あんな基本訓練だけじゃいざという時に役に立たないですよ。敵との実戦を想定した訓練がないのが不自然です」
レオン殿下は静かに頷いた。
「そのとおりだ。通常、国境砦では常に敵国からの襲撃を想定して訓練するものだ。だが、ここでは──」
「敵が来ないことを確信してるみたいな訓練内容でしたね」
オレが言葉を引き継ぐと、レオン殿下はまた頷いた。
「ここの兵士たちは、隣国との間に何らかの密約があることを知っているのではないかと、私は考えている。だからこそ、本格的な戦闘訓練の必要性を感じていないのだろう」
「なるほど……」
そう考えると確かに辻褄が合う。オレは顎に手を当てて考え込んだ。
「それと、倉庫の中の物資も少なかったな」
レオン殿下が、オレが気づかなかった新たな視点を提示してきた。
「兵糧や武器、薬などの備蓄が定められた量よりかなり少なかった気がする。そのため、明日は倉庫の調査を徹底的にやりたい。王国から支給されている物資の一覧と照らし合わせる必要がある」
「了解です。オレも手伝います」
オレがそう返事をした後、ふいに二人の間に奇妙な沈黙が訪れた。窓の外から、虫の鳴き声が聞こえてくる。
「……あの、レオン殿下」
沈黙を破って、オレは尋ねた。
「今日、外門のところで思い出したんですけど……1年前のあの事件、覚えてますか? ここで起きた戦いのこと」
尋ねた瞬間、レオン殿下の表情に翳りが見えたような気がした。
「もちろんだ」
「オレ、あの時のこと、毒のせいかあんまり思い出せなくて……。どんなことがあったんでしたっけ?」
レオン殿下は少し考え込むような表情をして、それから静かに話し始めた。
「あれは今日と同じように、この砦への定期視察の時だった。私たちが到着した直後、隣国ソルデーリアから逃げてきたという流民の一団が砦に助けを求めてきた」
「流民……」
そこまでは覚えている。確か、女性や子どもたちばかりの集団が、恐怖に満ちた表情でこの砦の門前に助けを求めてやってきたのだ。
「20人ほどの小さな集団だった。ヴァレンは『人道的判断』という理由で彼らを砦内に受け入れた」
その言葉に、オレは首を傾げた。
「ヴァレンが? あいつが人道的判断なんてするタイプには見えないけど」
「私も今ならそう思う。しかし当時は特に疑問に思わなかった」
レオン殿下は続けた。
「流民たちが入ってからほどなくして、隣国から軍隊が現れた。彼らは『逃亡した反逆者を引き渡せ』と要求してきた」
「それで殿下が交渉に入ったんでしたっけ」
記憶が少しずつ戻ってくる。レオン殿下が砦の外に出て行き、隣国の兵士たちと話をしていた光景が蘇えってくる。
「そうだ。しかし彼らは交渉に応じる様子はまるでなかった。むしろ、最初からやけに敵対的だった」
「そして弓が……」
「その通り。私に向けて矢が放たれた。そしてお前が──」
「オレが殿下を突き飛ばして、矢を受けた」
オレの脳裏に、あの瞬間の光景がフラッシュバックする。危険を感じた瞬間、体が勝手に動いていた。オレの背中に突き刺さる痛み。そして……それからが曖昧だ。
「その後どうなったんですか?」
「矢が放たれたことをきっかけに戦闘が始まった。私たちは砦の内部に引き返したが、いつの間にか敵はすでに城壁内に侵入していた」
「え、どうやって?」
「それは今でも謎だ。本来だったらここは城壁に囲まれた城塞砦だ。そうそう簡単に敵が侵入できるはずかない。それなのに、敵は内部にいた。まるで……」
「まるで、誰かが引き入れたかのように?」
レオン殿下がゆっくりと頷く。
「敵が城壁内に侵入しているという混乱の中、ヴァレンが突然、敵側と交渉を始めた。それは、流民を引き渡すのを条件で戦闘を中止してほしいという内容だった」
「そんな……」
レオン殿下の表情が険しくなる。
「不可解なことに、敵はその条件であっさりと引き下がった。通常、ここまで侵攻して優勢になった敵が、そう簡単に撤退するだろうか」
オレは首を横に振った。確かにそれはおかしい。
「王都に戻ってから、私はこの事件について調査を始めようとした。しかし、第二王子とその派閥の評議会議員たちにそれを阻止された。"流民を引き渡して解決したのだから、これ以上の詮索は無用"というのが彼らの主張だった」
「まるで、調べてほしくないことがあるみたいですね……」
オレは思わず体を震わせた。1年前の事件の顛末を聞く限り、この砦で何かしらの陰謀がうごめいているのはほぼ間違いないだろう。
「……セリル。その時の傷はまだ残っているのか?」
レオン殿下の突然の質問に、オレは少し戸惑った。
「ええ、少しですけど」
レオン殿下がじっとオレを見つめる。その視線に妙に落ち着かなくなって、オレは立ち上がった。
「見せましょうか?」
オレは上着を脱ぎ、シャツのボタンを外していく。左肩の辺りには、まだ薄く傷跡が残っていた。矢が突き刺さった場所は、皮膚が少し凹んでいる。
「ホラ、こんな感じです。オレにとっては自慢の勲章みたいなもんですよ」
オレは明るく笑った。騎士としての誇りだからだ。主君を守るために受けた傷なんて、これ以上ない誉れだ。
でも、レオン殿下は苦い表情を浮かべている。
「私のせいで、お前の身体に傷をつけてしまった」
「え、いや、こんなん大したことないですよ! オレはオメガですけど、男ですから。こんな傷、気にし……」
言葉が途切れたのは、レオン殿下が立ち上がって、オレの傷跡に手を伸ばしてきたからだ。彼の指先が優しくオレの背中の傷をなぞっていく。
「痕が残っているな……」
その声は、いつもの凛としたレオン殿下とは思えないほど、切なげな響きだった。
「本当に気にしないでください」
オレは言ったが、声が少し上ずった。
レオン殿下の指先が、傷跡をなぞり肩から背中へと移動する。その感触に、オレの身体に痺れるような感覚が襲った。
(な、なんだこの感覚……)
レオン殿下が触れているところが、妙に熱く感じられる。身体の奥底が疼くような感覚に加え、なぜか心臓がバクバクと鳴り始める。
その感覚に耐えられなくなって、オレは強引に話を切り上げることにした。
「も、もう遅いですし、明日は早いです! 寝ましょう、寝ましょう!」
オレは慌ててシャツを戻し、自分のベッドに逃げ込んだ。布団をすっぽりと被って、レオン殿下の視線から逃れる。
「……おやすみなさい!」
布団の中から、オレは精一杯明るい声を出した。でも、胸の鼓動は一向に収まらなかった。
「おやすみ」
レオン殿下の静かな声が返ってきた。
ランプの明かりが消え、部屋が暗闇に包まれる。でも、オレの頭の中は混乱したままだった。
(体に触れられただけなのに、なんでこんなに動揺してるんだろう……)
オレはその夜もまた、なかなか眠りにつけなかった。
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