20 / 37

第20話

「──セリル!」  声が聞こえる。 「セリル! どこにいる!?」  遠くから誰かが叫んでいる気がする。でも、もうオレの意識はほとんど泥の中だ。熱に浮かされたような感覚で、現実と幻想の境界がぼやけている。 「セリル! 答えろ!」  その声が少しだけ近づいていく。 「セリル!」  突然、目の前に誰かが現れた。視界はぼんやりとしていて、はっきりとは見えない。けれど、金色の髪と深い青の瞳だけは、くっきりと分かった。 「レオン……殿下……?」  オレは力なく呟いた。目の前に立っているのは間違いなくレオン殿下だ。でも、いつもの冷静沈着なレオン殿下とは雰囲気がまるで違う。その表情には、オレが今まで見たことのない焦りの感情が露わになっていた。 「セリル! 大丈夫か!?」  レオン殿下がオレの肩を掴んで揺さぶる。その手はいつになく震えていた。 「殿下……ここに……探してた倉庫が……」  オレはかろうじて言葉を絞り出した。 「馬鹿者! 今はそんなことを言っている場合か!」  レオン殿下の声が頭上で響き渡る。珍しく狼狽したような声だ。オレは弱々しく目を細めた。 (レオン殿下も、こんなに怒ることがあるんだな……)  内心でそう思いながら、オレはなんとかして体を持ち上げる。 「どうして……ここに……?」  オレの質問に、レオン殿下は続けた。 「夜中に目が覚めたら、お前がいなかった。部屋に残された匂いから、お前がヒートになったのではないかと思った。外に出るとヴァレン・キルシュタインが何やら焦った様子で誰かを探していた。おそらくお前のことだろうと見当がついた」 「ヴァレンは……どうしたんですか……?」  オレの質問に、レオン殿下は吐き捨てるように言った。 「死なない程度に黙らせておいた」 (殿下って、そういうこともするんだ……)  オレは驚いた。いつも冷静沈着で、感情を表に出さないレオン殿下からは想像できない言動だ。  レオン殿下はさらに言葉を続ける。 「お前の匂いを辿ってここまで来た。扉が内側から閉められていたから、斧で叩き壊した」 (斧で……?)  思わず笑いが込み上げてきた。完璧主義の殿下が斧を振るって扉を壊すなんて、想像するだけでおかしい。  だが、オレが笑おうとした瞬間、強い疼きがオレを襲った。ヒートの発作だ。オレの意識がはっきりしてきたからか、再び強い情欲がオレの意識を支配しようとしてくる。 「くっ……!」  急激な劣情の波が身体を駆け抜けていった。全身がジンジンと痺れ、息が詰まりそうになる。笑いは途切れて、喘ぎ声に変わった。 「あっ……! んっ……くそっ……」  目の前のレオン殿下の姿が、異常なまでに鮮明に見える。彼の香り、体温、全てがオレの感覚を刺激する。 (ヤバい……このままじゃ……)  どんどん淫らな欲望が膨れ上がってくる。目の前のレオン殿下のことが欲しくて欲しくてたまらなくなり、強い乾きがオレを襲う。 (こんなんじゃオレ、殿下を襲っちゃう……!)  そう思ったオレは、必死にレオン殿下から離れようとした。這うようにして後ずさりする。 「どうして逃げる?」  レオン殿下が、当惑したように尋ねた。 「殿下、お願いだからオレから離れて……このままじゃオレ……」  言葉が途切れる。喉が渇いて、声がうまく出ない。オレは頭を振り、何とか意識を保とうとした。 「オレはいま、ヒートでおかしくなってます。殿下のことが欲しくて欲しくてたまらないんです。近づかないでください……!」  レオン殿下の表情が一瞬だけ驚いたように見えた。しかし、次の瞬間──彼はオレに向かって歩み寄ってきた。 「やめてくださいってば!」  オレは手を伸ばし、近くにあった薬品の瓶を掴んで投げつけた。しかし、ヒートでうまく力が入らず、瓶はレオン殿下の遥か横を通り過ぎていく。 「近づかないで……!」  今度は手近にあった食料の袋を投げる。これも見事に外れた。 「だめだ、だめだってば……!」  オレはさらに倉庫の棚にあったものを次々と投げつけた。ヒートで弱った身体で必死にもがく。でも、どれもレオン殿下には当たらない。 「やめろ、セリル」  レオン殿下の声は低く、しかし穏やかだった。彼は着実にオレに近づいてくる。 「お願いします……こないで……」  オレは壁に背中をつけて、もう逃げ場がなくなった。レオン殿下がオレの前に立ち、両手でオレの手首を掴んだ。 「離して……殿下……」  オレの声は悲痛な響きを帯びていた。 「お願いします……勘弁してくださいよ殿下……」  全身に熱が走る。レオン殿下の手の感触だけで、オレの中の欲望がさらに膨れ上がっていく。 「オレは殿下に、こういうことは好きな人としてほしいんです。義務感とか責任感とかじゃなくて……ちゃんと大切な人と……」  言葉は途中で途切れた。  レオン殿下の唇がオレの唇を塞いだからだ。 「っ……!」  驚きでオレは目を見開く。レオン殿下のキスは信じられないほど深く、強く、オレを求めるように|貪《むさぼ》ってくる。 「んっ……!」  突然のことに、オレは逃げ腰になった。だけど、レオン殿下はオレの両手を頭上で壁に押しつけ、身体全体でオレを拘束する。逃げられないようにした上で、再度オレにキスをした。 「ん……うぅ……」  疼く身体が歓喜に震える。熱が内側から爆発するように広がっていく。抵抗するつもりだったのに、気づけばオレはレオン殿下のキスに応えていた。 「あっ……ん……」  殿下の舌がオレの口内を蹂躙する。激しいキスに息も絶え絶えになった。レオン殿下の唇が離れた隙に、オレは荒い呼吸を繰り返す。  そうして何度か深いキスを繰り返した後、レオン殿下はオレの目を見つめて呟いた。 「……私が大切だと思うのはお前だ」  レオン殿下の声は低く、しかし揺るぎない強さを持っていた。 「私が欲しいと思うのはお前だけだ」  その言葉に、オレの胸の奥が熱くなった。レオン殿下に求められているという事実が、オレの身体の情欲をさらに加速させる。 「殿下……」 「レオンでいい」  彼はそう言って、オレを壁に押し付けた。その目に普段の冷静さはなく、欲望の炎が燃えているように見えた。 「レオン……」  初めて、オレは殿下を敬称をつけずに呼んだ。その親密な響きに、ヒートじゃなくても頭がクラクラしそうだった。 「オレ、レオンが欲しい……狂いそうなくらい……」  半ば泣きながら、オレは呟いた。必死に理性を保とうとしているけれど、だんだんと崩れていくのがわかる。  レオンはただ「わかっている」と告げ、オレの身体を優しく抱きしめた。その温もりに包まれると、不思議と少しだけ落ち着いた気がした。しかし同時に、劣情はさらに膨れ上がる。 「レオン……助けて……」  オレはレオンに懇願するように手を伸ばした。もう限界だ。このままでは壊れてしまいそうだ。 「……ああ、今、助けてやる」  強すぎる快楽に流れたオレの涙を、レオン殿下の指先がそっと拭う。そして、彼は再びオレの唇を塞ぐと、オレを静かに倉庫の床に押し倒した。

ともだちにシェアしよう!