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第23話

砦はあっさりと隣国の手に落ちた。  砦から撤退する際、帰り道の馬上でふと振り返ると、砦の石壁が東の山々の間に小さく見えた。今頃はソルデーリア帝国の旗がはためいているんだろうと思うと、悔しさが込み上げてくる。  使者との話し合いの末、レオン殿下は砦の明け渡しを決断した。  すると、なぜか使者はその場でルーンベインとその解毒薬についての情報を教えてくれた。恐らく、彼は砦の中にルーンベインとその解毒薬が保管されていることを知っていたのだろう。その情報を元にアドリアンと隠し倉庫を調べたところ、確かにそれらしき薬剤が見つかった。  騎士団員たちは解毒薬を飲むことで、なんとか体調を持ち直すことができた。撤退までの3日間の猶予をもらえたため、彼らの回復を待ってから撤退することができたのは不幸中の幸いだったと言えるだろう。砦の兵士たちも全員引き連れての撤退だ。  撤退の際、ソルデーリア帝国が約束通り手を出さなかった。おかげで王都までの撤退はつつがなく進んだが、その帰路は重苦しい沈黙に包まれていた。  レオン殿下の表情は硬く、彼の心の内を推し量ることはできなかった。彼はただ前を見据え、黙々と馬を進めていた。  王都に戻ったオレたちを待っていたのは、予想通りの厳しい非難だった。 「砦を敵にやすやすと明け渡すとは何たることか!」  王宮評議会室に怒号が響き渡る。その声の主は、大軍事顧問官のジョゼフ・ハイドマンだ。第二王子派の筆頭として知られる上流貴族である。  オレは王宮の議会室の壁際に立ち、その場の空気を身に染みて感じていた。壁には王家の紋章が掲げられ、カーテンの隙間から差し込む陽光が、円形に配置された木製の机と椅子を照らしている。オレはレオン殿下の護衛騎士という立場で参加しているため、発言権こそないものの、この重大な会議に参加することが許されていた。 「隣国の軍がやってきたからといって、ただ降伏するとは! 我が国の威信はどうなる!」  ハイドマンはレオン殿下を指差しながら叫んだ。彼の顔は怒りで赤く染まり、白髪交じりの口髭が興奮で震えている。 「祖先たちが血と汗で築き上げた砦を、ただのひとつも戦わずに引き渡すとは。これほどの恥辱はない!」  レオン殿下は黙ったまま、非難の言葉を受け止めている。彼は言い訳をせず、ただただ非難を浴び続けていた。その姿を見ていると、オレの胸の内で言いようのない怒りがこみ上げてくる。  殿下の兄、第一王子フリードリヒ殿下は心配そうな表情で弟を見ている。彼の目には明らかな同情の色が見えているが、立場上、レオン殿下を表立って庇うような発言ができないのが見て取れた。彼は何度か口を開きかけては閉じ、思い悩んでいる様子だ。 「まあ、こういう結果になるのは予想できましたよ」  にやりと笑いながら口を開いたのは、第二王子カイル殿下だ。彼はゆったりと椅子に座り、どこか余裕を感じさせる顔つきだ。 「オメガの婚約者に目がくらんで、目の前の務めもまともにこなせなくなってしまったのでしょう」  カイル殿下の言葉に、評議会のメンバーの一部の視線がオレに突き刺さる。 (こいつ……砦の兵士たちを懐柔し、隣国と裏でつながっていたくせに!)  でも、その怒りを口に出すことはできない。証拠がないのだから。オレはなんとかその思いを心の中に閉じ込めた。 「彼の婚約者を見れば分かるでしょう。オメガの男を婚約者に選ぶという時点で、まともな判断力を疑うというもの。しかも、そのオメガを常に傍にはべらすため『護衛騎士』などという前代未聞の地位を与えるとは。明らかに権利の乱用です」  その言葉に、今まで黙って非難を受け続けていたレオン殿下が声を上げた。 「今回の責任はすべて私にある。セリルに咎はない!」 「……砦を失った者の言葉に、どれほどの重みがありましょう」  カイル殿下が皮肉たっぷりに言い放つ。  ここで、評議会室の奥に座る威厳ある人物——国王陛下がついに動いた。彼が手を上げると、部屋全体が静まり返る。 「十分に議論は聞いた」  王の声は低く、しかし部屋中に響き渡った。 「レオンハルト、今回の砦陥落の責任は重い。おまえに一か月の謹慎を言い渡す」  レオン殿下は王の言葉に深く頭を下げた。 「また、今回の砦陥落の責任を取らせるため、近いうちに軍事指揮権も剥奪する」  この言葉に、レオン殿下の肩がわずかに震えたのが見えた。軍事指揮権の剥奪とは、随分と重い処断だ。彼が動揺するのもおかしくない。 「──父上、ひとつお伺いしたいのですが」  ここで、カイルが口を挟んだ。 「第三王子の婚約者、セリル・グランツの件をどうなさいますか?」  王は少し考え込んだ後、冷ややかな視線をオレに向けた。その視線にレオン殿下の面影を感じる一方で、オレは冷や汗が出るのを感じた。レオン殿下以上に鋭い視線だ。 「このような事態になった以上、おまえたちの婚約を認めるわけにはいかない」  王はゆっくりと言い切った。 「婚約は白紙撤回とする」  オレの世界が一瞬だけ止まったような気がした。見せかけの婚約と言え、それが終わるということは……オレがもう王宮にいられなくなるということか? 「……かしこまりました」  レオン殿下は深々と頭を下げたが、その声は震えているように聞こえた。 「──評議会はこれにて終了する」  王の宣言とともに、その日の会議は幕を閉じた。

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