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第28話

 王宮内の医療室は、王族専用というだけあって想像していたよりも広かった。床は鏡のように磨き上げられ、周囲の棚には沢山の器具や薬がびっしりと並べられている。騎士時代に何度かお世話になった、雑多なもので溢れた宿舎の医務室とは大違いだ。  オレは自分がこの場にいていいのかと躊躇いながらも、その中へと足を進めた。室内にはすでに数人の人影がある。第一王子フリードリヒ殿下と第二王子カイル殿下、そしてレオン殿下の三人だ。彼らはそれぞれ距離を置いて、治療室の壁際に佇んでいる。  部屋の隅には白髪の初老の男性──おそらく王族専用の主治医だろう——が、何やら医療器具のようなものを整えていた。その傍らには、見慣れた顔もある。アドリアンだ。彼はオレの姿を見つけると、オレに向かって軽く手を振った。  アドリアンの姿を久しぶりに見て、オレは少しだけ緊張がほぐれるのを感じる。  昨夜、レオン殿下との話し合いの際、彼から王族の決まり事について説明を受けた。その説明によると、どうやらオレは王宮を出る前に、とある「検査」を受けなければならないらしい。  その検査とは、王族との婚約がなにかしらの理由で解消された場合、その者が懐妊──つまり王族との子どもを宿していないかを確認するためのものなのだという。  正統ではない王族の庶子ができることで、いたずらに王位継承争いが激化することを防ぐことが目的らしい。その意図はわかるが、オレはあまり気乗りがしなかった。この検査はその性質上、当事者以外の立会人が必要なのだそうだ。だからこそ、レオン殿下以外の王族であるフリードリヒ殿下とカイル殿下がこの場に呼ばれているのだ。  視線を巡らせると、レオン殿下は部屋の隅で腕を組み、オレを静かに見つめていた。その表情からは彼の感情は何も読み取れない。  昨夜、レオン殿下はこの検査の場を利用して、カイル殿下に対して何か行動を起こすと言っていた。しかし、具体的に何をするつもりなのかは聞かされていない。  オレは緊張をほぐそうとその場で深呼吸をした。すると、王族の主治医らしき男の傍にいたアドリアンがオレの元へと近づいてきた。 「セリル、久しぶり。……緊張してる?」  アドリアンは声音を落としてオレに話しかけてくる。 「まあ、それなりに」  オレは苦笑いを浮かべた。こんな大勢の前で妊娠の検査なんてごくごくプライベートな診察を受けるのだから、緊張しないわけがない。 「今回の検査は公正性が必要だから、いろんな立場の人が同席することになってる。本当は僕が検査できればよかったんだけど、僕はレオの身内だから公平性に欠けるってことで王族の主治医も呼ばれたんだ。……少し居心地悪いかもしれないけど、我慢してね」  オレは頷いた。検査をするのは主治医のほうだろうが、アドリアンが傍にいてくれるだけでも気持ち的にだいぶ違う。  彼はオレを検査用の椅子に案内した。そこで服を脱ぐよう指示される。予想はしていたとはいえ、やはりいろいろな人が見ている中で検査するのか。オレはしぶしぶその場で服を脱ぐ。  脱いだ服をアドリアンが受け取った際、オレは気になっていたことを小声で確認を取ってみた。 「……アドリアン、レオン殿下が何をしようとしてるか、知ってる?」  アドリアンはその質問にくすりと笑うと、人差し指を立てて唇に当てた。 「秘密だよ。楽しみにしておいて」  そう言って、ウインクをする。……こいつ、確実に知ってるな。オレは内心でため息をついた。 「それでは、これより懐妊の検査を始めます」  王族の主治医が厳かな声で宣言した。なんだか雰囲気が儀式っぽい。  まるで見世物になった気分だ。第一王子は心配げな表情を浮かべているが、第二王子カイルの目には明らかに好奇と侮蔑の感情が見て取れる。 「まず、質問から始めます」  主治医の男は淡々とした声で尋ねた。 「あなたは、レオンハルト殿下と懐妊の可能性がある行為をしたことはありますか?」  部屋の空気が張り詰めた。王子たちの前でこのような質問に答えなくてはならないなんて。耳まで熱を持つのを感じる。だが、こんな場でさすがに嘘はつけない。 「……あります。東部の砦の視察の際に」  オレは視線を床に落とし、小さな声で答えた。 「へえ」  壁際で立っていたカイル殿下が口を開いた。 「東部の砦で? 任務中によくそんな余裕があったものだ。国境警備より婚約者との戯れが大事だったなんて。そんなことをしていたのなら、砦が敵に落ちたのも納得だな」  その言葉にオレの内側で怒りが燃え上がった。違う、そんなわけじゃない。だが、言い返したところで状況は変わらない。オレはぐっと唇を噛み、黙り込んだ。 「触診を開始します」  主治医の冷たい手が腹部に触れた。その触り方はあまり丁寧とはいいがたく、強い力でおへその下あたりを圧迫したかと思うと、次は見たことのない器具を腹部に押し付けてきた。器具の異様な冷たさに、オレはつい身震いしてしまう。 「オメガの男などを診るのは初めてです。女性とは構造が違って厄介ですな」  主治医は嫌悪感を込めた声で言いながら、執拗にオレの腹部を指で何度も押してきた。不快感と痛みで気持ち悪くなってくる。 「もう少し丁寧にしてもらえません……?」 「黙りなさい。正確な診断のためには必要な処置です」  主治医の言葉はまるで思いやりが感じられない。この人、オメガが嫌いなのか……? 「待ってください、道具で魔素の流れを測れば、懐妊の検査は十分可能なはずです」  主治医の行為を見かねたのか、アドリアンが治療する彼の手を掴んだ。主治医は手を止め、アドリアンを不機嫌そうに見返す。 「確かにそうですが、触診による確認も重要です。特に彼のようなオメガの男性の場合、通常の方法では判定が困難で……」  主治医が言い訳じみた説明をしている最中、第二王子カイルが一歩前に出た。 「この医者が断定できないというのなら、確実な方法を取ってはどうだろう。懐妊していないことを証明するため、彼に堕胎薬を飲ませてみるのはどうか?」  オレは耳を疑った。何を言っているんだ、こいつは? 「王族には、お前のように王子を誑かして子を成そうとする者を排除するために、古くから伝わる特殊な薬がある」  カイル殿下は高慢に続けた。唇の端をわずかに吊り上げた笑みには、残酷な愉悦が滲んでいた。 「ご指摘の通りです」  主治医が即座にカイル殿下に同意する。 「この薬は強力で、胎児だけでなく母体にも影響が出る可能性がありますが、これを使えば確実に懐妊ではないとの証明になります」  オレは言葉を失った。これはもはや検査ではなく、拷問だ。 「待ってください!」  アドリアンが声を荒げた。 「そんな薬を使えば、セリルの身体に取り返しのつかない影響が出るかもしれません!」  彼の言葉に、カイル殿下は冷笑を浮かべる。 「気にすることはない。どうせここで懐妊が分かれば、婚約を破談されたこいつは堕胎するしかないんだ。結果は同じだろう?」  カイルは残忍な笑みを浮かべて続けた。 「それに、これは砦を奪われた原因を作った者への当然の報いだ。いうなれば罰のようなもの。何も問題はない」  そう言って高らかに笑い始めたカイルだったが、その笑い声は奇妙な形で途切れた。彼の顔色が急に変わり、体がふらついたかと思うと、その場に崩れ落ちる。 「カイル殿下!」  主治医が悲鳴のような声を上げ、カイルの元へと駆け寄った。  カイルの状態は明らかに尋常ではなかった。顔は蒼白で、冷や汗を流し、全身が痙攣している。息も荒く、苦しそうに床に伏していた。  すると、今まで静かに成り行きを見ていたレオン殿下が静かに動き出した。彼は何も言わず、ゆっくりとカイルに近づいていく。レオン殿下の顔は、いつもと違う冷ややかさを帯びていた。  レオン殿下はカイル殿下の目の前までやってきて、彼を見下ろしつつ、静かに告げた。 「──ようやく、効いてきたようだな」

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