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第32話

「おじゃましま~す」  アドリアンは興味深そうな顔つきで屋敷の中に入っていく。王都育ちの彼にとってすれば、田舎貴族の小さな家が珍しいんだろう。グランツ家の屋敷は、貴族の家とはいえ両親の好みもあり平民の家とほぼ変わらない作りをしている。王族との血縁であるアドリアンからしてみれば、こういう家はなかなかお目にかかれないのかもしれない。 「ごめんなさい、客間のようなものはないんです。居間でよろしければ……」  アーサーが申し訳なさそうに言うと、アドリアンは少し考え込むような顔をする。 「いや、できればセリルと二人で話したいことがあるんだ。個室はある?」 「個室かぁ……。オレの部屋くらいしかないけど、それでいいか?」  オレの言葉に、アドリアンは頷く。 「あ、じゃあ僕はお茶を用意します」  アーサーはそう言って、台所のほうへと向かった。アドリアンを二階の自室へと案内している最中、下の階から母さんの騒がしい声が聞こえてくる。 「なんですって!? 王宮からの方!? アーサー、どうして先に言ってくれなかったの! すぐにお茶とお菓子を用意するわ!」  その声に、オレは思わずアドリアンの顔を見てしまった。あの騒がしい声は確実に隣にいる彼も聞こえたはずだ。案の定、アドリアンは母さんの声を聞いたからか、顔に笑みを浮かべている。 「すまない、君のお母さんを慌てさせてしまったみたいだ」 「いいよいいよ。あの人、騒がしいけどお客が来るのが大好きな人だから」  階段を上り切ると、オレはアドリアンを自分の部屋へと案内した。  オレの自室はベッドと机しかないシンプルな部屋だ。正直なところ、元々が子ども部屋なので大人二人がいるとちょっと手狭に感じる。オレはベッドに腰かけ、アドリアンには机の椅子に座るよう促した。  彼は机の椅子に腰かけると、興味深そうにオレの部屋を見回した。 「へぇ、なんだか落ち着く雰囲気だね。手織りっぽい布のベッドカバーとか、古い木材の香りとか」 「王宮に比べたら天と地ほどの差だろうけどな」 「でも悪くないよ、僕は好きだな。君はこういう環境で育ったんだね」  部屋を眺めるアドリアンの横顔がレオン殿下に重なって見て、オレは少しだけドキっとした。雰囲気はまるで違うけど、やはり血縁関係なんだなぁと改めて感じる。 「すみません~、お茶をお持ちしました!」  その時、ノックの音と共に母さんが入ってきた。手に持ったトレイにはお茶とお菓子が乗っている。髪はいつも以上に綺麗に整えられていて、明らかに取り繕った様子だ。 「申し訳ありませんわ。突然のご来訪に、このような粗末なおもてなしで……」  母さんは完全に貴族のお付きのような口調だ。 「いえいえ、お気になさらず。このお菓子、手作りですか? 美味しそうですね」 「はい! グランツ家の秘伝レシピで作った焼き菓子なんですよ」  二人の会話は弾んでいるようだったけど、オレは手短に会話を終わらせようと立ち上がった。 「ちょっと大事な話があるみたいだから、母さん、ありがとう」 「そう? じゃあゆっくりなさってね。何かあったらいつでも呼んでくださいね」  母さんがお茶を置いて出ていくと、部屋の中には俺とアドリアンだけが残された。  お茶を一口飲んで、アドリアンはほっとため息をついた。 「さて……」  アドリアンが二人きりになったことで、ようやく本題に入ろうとしている様子を見せる。オレもベッドに再び腰を下ろして、彼の話に耳を傾けることにした。 「僕がここに来たことで、何となく予想はしてるだろうけど」  アドリアンは口元に微笑みを浮かべながら、オレの目をまっすぐ見つめてきた。 「王宮のほうでカイル殿下の一件がようやく落ち着いてきたんだ。いろいろと裁判や取り調べで大変だったけど、とりあえず一段落ついた。だから、いよいよレオが君を王宮に呼び戻したいと言っている」 「そうか……」  予想していたとはいえ、実際にその言葉を聞くと、胸の奥がじんわりと熱くなった。レオン殿下は、ちゃんとオレを再び迎え入れてくれる気なのだ。 「手紙では状況を細かく書けなかったみたいだけど、カイル殿下は最終的に隣国との密約を認めて、収監されることになったんだ。ヴァレン・キルシュタインも同罪。東の砦で起きた事件の首謀者も彼らということで、レオンの名誉は完全に回復したよ」 「そっか、よかった……」  オレは心からそう思った。心の奥で、何かがふっと何かがほどけるような気持ちになる。レオン殿下の名誉が戻ったというその事実が、何より嬉しかった。  アドリアンはオレの反応を見て、少し表情を引き締めた。 「でも、セリル。ここで一つ確認しておきたいことがある」 「何?」 「君は、本当にレオの配偶者になる覚悟はある?」  その直球の質問に、オレは思わずつばを飲み込んだ。──配偶者、か。今まで「婚約者」という言葉は使われていたけど、「配偶者」という言葉はより生々しく、現実味を帯びて感じられる。 「……ああ、もちろんだ」  恥ずかしさで頬が熱くなるを感じながらも、オレははっきりと答えた。 「オレはレオン殿下が好きだ。今は自分の気持ちに確信がある。彼の傍にいたい」  アドリアンは驚いたような表情を見せたあと、にこりと微笑んだ。その表情には明らかな安堵の色が浮かんでくる。 「ああ、よかった。ここで君が首を縦に振ってくれなかったら、僕は王宮に帰れないところだったよ」  冗談めかして言うアドリアンだが、その言葉には本音も混じっているようだった。 「ところで、もう一つ言っておかなきゃいけないことがあるんだけど……」  アドリアンは少し言いづらそうな表情をした。 「同意を確認した後の事後報告で申し訳ないけど、君は王宮に戻ったら、即、レオンハルト殿下と結婚することになる」 「は?」  予想外の展開に、オレは思わず声を上げた。 「結婚って……今すぐに?」 「うん、ごめんね。これは君に拒否権、ほぼないんだ」  アドリアンは申し訳なさそうな表情で続けた。 「王族の決まりごとによると、君は既にレオと一度婚約をして破棄したことになっているから、再び婚約を結ぶことができないんだ。けど婚約を《《すっ飛ばして》》結婚することはできる。だから、急で申し訳ないけど王宮に戻ったらお披露目を兼ねた結婚式が待ってるよ」 「なんでそんな急に!?」  オレは動揺のあまり立ち上がってしまった。いくらレオン殿下と一緒になりたいと思っていても、こんな急展開は心の準備ができていない。 「待って待って、話が早すぎない?」  アドリアンも立ち上がり、オレの肩に手を置いた。 「落ち着いて、セリル」  彼は真剣な表情で言葉を続けた。 「王族との婚姻関係がない状態で、君を王宮に入れることはできないんだ。だから、すぐに婚姻して君をレオの配偶者にする必要がある」 「でも、だからってすぐに結婚式ってのは……」 「うん、それは僕も理解できる。でも、王族のしきたりはいろいろと面倒でね。婚姻するとなれば、大がかりな儀式やらお披露目が必要になってくるんだよ。だから本来は婚約期間のうちにそういったことの準備を少しずつ進めていくんだけど……」  なるほど、オレはその婚約期間がカイル殿下の事件により吹っ飛んじゃったから、準備なし突撃結婚式コースになるわけか。……勘弁してくれ。  オレは改めて、自分の胸に問いかけてみた。動揺は確かにある。でも、だからといってこの話を断りたいという気持ちは全くない。むしろ、これからレオン殿下と過ごせるという期待感のほうが高かった。 「……わかった」  オレは顔を上げてアドリアンを見た。 「結婚式でもなんでも受けて立つ! どうせオレたちは最終的にそうなるつもりだったんだし、時期が早まっただけのことだ」 「本当に?」 「オレはレオン殿下の傍にいたいんだ。突然のことで驚きはしたけど、それを理由にレオン殿下のもとを離れるなんてことは絶対にしない」  気恥ずかしさはあったけど、本音を伝えた。アドリアンは大きく息を吐き、肩の力が抜けていくのが見て取れた。 「よかった……本当に。レオも喜ぶよ」  アドリアンの安堵の表情を見て、オレも無意識に笑みがこぼれていた。

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