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第33話
それから慌ただしく王都に行く準備が始まった。
「ちょっと待って! 明日出発って聞いてないわよ!」
母さんの声が家中に響き渡る。アドリアンの説明を受けて、そのままオレたちは王都への準備を始めることになった。結婚式が控えているから家族も一緒だ。
ちなみに、もう翌日には出発するとのこと。何もかもが急すぎる。
「これだから王族は……もっと下々の事情とかも考えてほしいもんだわ……」
母さんはブツブツ言いながらも、足早に衣装部屋へと向かっていった。文句を言いつつも、内心では王子の花嫁(?)となる息子のためにルンルンで準備をしている様子が見て取れる。
テキパキと右往左往する母さんの横で、父さんはというと……。
「セリルの結婚式か……」
父さんはただ呆然とそう呟いただけで、それからしばらく動かなくなってしまった。昔は歴戦の戦士だった父も、こういう急展開には慣れていないらしい。キャパシティオーバーしてしまっている。なんとも父さんらしい反応だ。
一方のアーサーは、オレより慌てているようだった。
「兄さん! この服でいいと思います? あと、これとか持っていくべきでしょうか?」
「いや、そんな本を持っていっても仕方ないだろ……」
アーサーは貴族の流儀やマナーについて書かれた本をいくつか持っていこうとしていたので、オレは止めた。オレと違って勉強熱心なのはいいことだが、正直、今さら本を読んだところでという感じだ。
うちの家族がバタバタと準備を進めるなか、アドリアンはひとり落ち着き払っていた。彼はこの大騒ぎの中、屋敷の庭にあるベンチに座り、お茶を楽しんでいる。さすが貴族の血筋というか、こういうことに慣れているのか、もしくは彼が周りの雰囲気に流されない大物タイプなのかどちらかだ。
「アドリアン、オレたちの準備、間に合うかな?」
オレが不安になってそう尋ねると、彼は悠然と答えた。
「大丈夫だよ。馬車は広いし、足りないものは王都で揃えればいい。なんなら手ぶらで向かってもいいぐらいだよ。もっとリラックスしなって」
「いや、リラックスなんて無理ですよ……」
「あれ、緊張してる?」
「そりゃあするでしょ、いきなり結婚式なんて言われたら」
アドリアンはクスリと笑った。
「そうだね。でも、レオも同じくらい緊張してるはずだよ。君のことを、ずっと待ってたからね」
突然そんなこと言われて、オレは心臓が止まりそうになってしまう。今までは「いつか迎えに来てくれる」と思っていれば良かったけど、いざ「今から会いに行く」と思うと、期待と不安で心臓がバクバクと高鳴っていくのを感じる。
どんな顔をして会えばいいんだろう? 再会したらなんて声をかければいいんだろう? 「久しぶり」とか「会いたかった」とか、そんな台詞を口にするのは恥ずかしすぎる。でも何も言わないのも変だし……。
「ああもう、考えても仕方ない! とにかく準備だ!」
オレは自分の荷物をまとめることに専念した。正直、あまり持っていくものはない。前回の婚約の時もあんまり持っていかなかったしな。
時が過ぎるのは早いもので、気づけば夜になっていた。家族全員が王都に行くとあって、屋敷はしばらく留守になる。近所に住む庭師の老人夫婦に頼んで、不在中の屋敷の世話をお願いした。
オレはなかなか寝付けなかった。明日からの生活、レオン殿下との再会、そして結婚式……。考えれば考えるほど、眠気が吹き飛んでいく。
(……ワクワクしてるのか? 不安なのか?)
枕に顔を埋めながら呟いた。今の気持ちは、たぶんどっちもだ。オレは両方の感情を胸に抱えたまま、なんとか無理やり眠りについた。
翌朝、オレたちは早めに起きて最後の準備に取り掛かった。とはいえ、時間がないので最低限のチェックだけだ。足りないものは王宮側が用意すると言ってくれているし、そこは素直に甘えることにする。
朝食を食べ終わる頃には、アドリアンが馬車の準備ができたと告げに来た。
「みなさん、お待たせしました。馬車の準備ができました」
オレたちが荷物を持って外に出ると、そこには豪華絢爛な馬車が待っていた。
「うわぁ……」
思わず声が漏れる。純白の馬車に金の装飾、エルクレスト家の紋章が描かれた特別な馬車だ。通常の乗合馬車とは比べ物にならない豪華さである。
「この馬車、エルクレスト王家専用のものなんですよね?」
アーサーが目を輝かせて質問する。彼は王族に関する知識があるようで、馬車や紋章のことも知っていたようだ。
「いや、これはエルクレスト家の分家、つまり僕の家のものだよ」
アドリアンの答えに、オレたちは驚いた。これでも分家の馬車なのか……。
「さあ、乗ってください。王都までは少し時間がかかります」
アドリアンに促されて、オレたちは馬車に乗り込んだ。内装は外観に負けず劣らず豪華だ。ふかふかのクッションに、タペストリーのような壁掛け。窓には薄手のカーテンまでついている。
「きゃああ! 信じられない!」
母さんが両手を広げて喜びの声を上げた。普段は庶民的な暮らしを好む彼女だが、さすがにこの豪華さには目を見張ったようだ。まるで少女のような声を上げている。
「花嫁はオレなのに、母さんの方が喜んでる」
そう冗談を言うと、母さんはさらに声を上げた。
「そりゃあ、王子様の花嫁だもの! しかも、うちの息子が! こんな豪華な馬車でお迎えされるなんて! あぁ、最近本当に人生何が起こるか分からないわね!」
母さんの興奮は収まりそうもない。父さんは相変わらず黙って座っていたが、目に浮かぶ笑みから、彼もオレの結婚を好ましく思っているのは間違いないだろう。
馬車は王都に向かって出発した。
車窓から見える景色は懐かしい。レオン殿下の婚約者として、この道を通ったのがついこの間のことのように思い出される。
「アーサー、大丈夫か?」
弟に声をかけると、彼はうつむいたまま小さく頷いた。いつも弟はこういった場ではちゃんとした態度を取ることが多いのだが、さすがに王宮に行くとなってプレッシャーを感じているのだろう。
「……アーサー君って、王宮に興味ある?」
アドリアンがそっと話しかけた。アーサーがおずおずと顔を上げる。
「は、はい……」
「どんなところに興味があるの?」
「えっと……王宮の図書館とか……あと、アドリアンさんのいらっしゃる研究室にも興味があります」
「ふふっ、いい着眼点だね。実はね、王宮の図書館はエルクレスト王国最大の蔵書数を誇るんだよ。中には魔素に関する古い文献もたくさんある」
アーサーの表情が一気に明るくなった。
「本当ですか!?」
「もちろん。もし興味があれば、僕が案内するよ。今回の滞在中に、図書館や僕の研究室も見せてあげられるかもしれない」
「ありがとうございます! とても嬉しいです!」
アーサーは目を輝かせながら、アドリアンと話をするようになった。二人は魔素や研究のことについて、オレには理解できない専門的な話を始めた。どうやら彼らは昨日のうちにアーサーの特殊体質のことを話し合ったみたいで、いつのまにか、すっかり仲良しな雰囲気になっている。
オレは窓の外を眺めながら、なんだか複雑な気持ちになった。アーサーが打ち解けられて良かったとは思う。でも、何だろう、この感覚。
(なんか、弟を取られた気分だな……)
そんなことを考えながら窓の外の景色を眺めていると、段々と王都が近づいてきた。平地になり、辺りの集落が増えてきた。
「ああ、あそこに見えてきましたよ!」
アーサーが指さす方向に目をやると、遠くに王都の輪郭が見えてきた。巨大な城壁に囲まれた白い都市。その中心にそびえる王宮の尖塔。懐かしい光景だ。
数時間後、馬車は王都の城門に到着した。ここを通り過ぎれば王都の中だ。
門をくぐった瞬間、オレたちの馬車は大きな通りに出た。そこで予想外の光景が目に飛び込んできた。
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