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第1話 絶望
朝はくる。誰の元にも平等に。
朝がくることに絶望すると言ったのは、どの作家だったか……。
当時は突き抜けたネガティブ思考に笑ってしまったが、今はその気持ちがよくわかる気がする。
佐藤桃慈 は窓際に配置されたベットの上で、さすような光から逃れるように目を閉じた。
安らげるはずの実家で、目を閉じても穏やかな眠りは訪れない。ここ数日、桃慈 はほとんど眠れていなかった。
東京の大学に進学し、一人暮らしをはじめたのが、去年の4月のことだった。
去年は忙しさを口実に実家に戻らなかった。
戻れば、会ってしまえば決意が鈍る。
何度も何度諦めようと思った。でも、名前を呼ぶたびに、呼ばれるたびに、決意は角砂糖のように簡単に崩れ去った。
だから、距離をとった。
幸い、桃慈 は勉強ができた。余計なことを考えないようにするためには、勉強は有効だった。知識をつめこんで、余白をなくした。
実際に大学生活は忙しかった。奨学金を免除してもらうためには、学力をキープしておく必要があるし、シングルマザーである母に仕送りをさせるわけにはいかず、アルバイトもしていた。
大学2年目の夏休み、桃慈 は実家に帰ってきていた。今年も実家には帰らない予定だったので、アルバイトのシフトをたくさん入れていた。バイト先から何度も着信が入っていたように思うが、スマホの電源はしばらく前に充電が切れてそのままだった。
春橙 が死んだ。
その連絡がきたときのことを桃慈 はよく思い出せない。母からだったようにも、同級生の誰かだったようにも、笑えることに春橙 本人からだったようにも思うのだ。
覚えているのは、目の前のうどんがぶよぶよとした何かに変わっていくのを見ていることしかできなかったこと。真っ白だった麺は、薄汚れてぬらぬらと光っていた。まるで、怪物のはらわたのようだと思ったのをよく覚えている。それから桃慈 はどうしてもうどんが食べられない。
どれだけ強く願ってもどうにもできないことというのが存在する。そのことを桃慈 が初めて知ったのは、まだ両親の仲が良かった頃のことだった。
桃慈 は父が大好きだった。大きくて強い父は、テレビのヒーローみたいにかっこよかった。
桃慈 はあるとき父に尋ねた。
「おとうさん、ぼくのことすき?」
父は嬉しそうに笑いながら、大好きだと言った。桃慈 は重ねてこう尋ねた。
「いちばんすき?」
「いちばんはお母さんかな。桃慈 は2番目」
幼い桃慈はむきになって何度も何度も父に聞いた。何度聞いても父の答えは変わることはなかった。
今思えば、なんていうことのない父子の会話だ。夫として妻を一番に愛することは大切なことのように思えるし、息子への愛情と妻への愛情は比べるようなものではない。
むきになる息子を軽い気持ちでからかったのかもしれない。
ただ、それが桃慈 にとって、人生初めての挫折となったのも事実だった。
そして、母をいちばん好きだと言った父は、あっさりと2人を残して家を出て行った。
春橙 も俺を置いていくのか。
違う、春橙 を置いて行ったのは俺だ。俺が耐えられなかったんだ。
どうして、春橙 から離れた。そばにいれば、春橙 は死ななかったかもしれないのに。
何度も何度も沸き上がる自責の念は、繰り返し桃慈 の心を切り裂き、新鮮な血を吹き出させた。
理性では論理が破綻しているとわかっていても、心は納得してくれない。
春橙 とたくさんの時間を過ごしたこの部屋で、桃慈 は生きながら腐っていくような苦痛を味わっていた。
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