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第2話 薄明の空にみる夢

 桃慈(とうじ)春橙(はると)とベットに寄り添って座っていた。ぼんやりと二人、窓の外を見ている。  オレンジ色の夕日を受けて、雲がピンク色に染まっていた。ピンク、水色、混じりあった藤色。  言葉もなく、ただ美しい空を見た。  隣に、春橙(はると)が、愛する人がいるということが、桃慈(とうじ)の心を満たした。  春橙(はると)となら、たとえ川に流れ込むヘドロだろうと、満ち足りた気持ちで見ていられると思った。  夢の世界が美しければ美しいほど、桃慈(とうじ)の心の空虚さは増した。  桃慈(とうじ)の頬を涙が流れた。一度流れ出した涙は、己の意思では止められそうになかった。  止まれ!止まってくれ!  たとえ夢の中でも、現実を思い出させるものは存在させたくなかった。 「とーじ」  この少し間延びした呼び方がたまらなく好きだった。 「どうした?泣いてる?」  心配そうにのぞき込む春橙(はると)の目と、涙に濡れた桃慈(とうじ)の目がかち合う。 『このまま時が止まったらいいのにって、思ったんだ』  桃慈(とうじ)は星の数ほど願った言葉を飲み込んだ。  そうしたらもう迷わない。もう間違えたりしない。  何でもないというように、微笑むと 「来てくれたんだ」 「約束だから」  春橙(はると)は言った。 「覚えてたの?」  春橙(はると)はとっくに忘れていると思っていた。 「当たり前だろ!」  口をとがらせて、桃慈(とうじ)を横目で睨みつけた。  慌てて謝りながら、春橙(はると)のくるくる変わる表情にいつも視線を奪われていたことを思い出していた。 「とーじこそ、忘れてたんじゃねーの?  ……あの約束」  飼い主に叱られた犬のように、うなだれて桃慈(とうじ)をときおり盗み見る。  これじゃまるで……  桃慈(とうじ)は浮かんできたあぶくを慌てて打ち消した。  期待してはいけない。期待した分、だめだったときの反動は大きい。だったら、期待なんてはじめからしてはいけない。  桃慈(とうじ)がこれまでの経験で培ってきた処世術だった。  本当に?  ショックを受けるのを怖がって、自ら大切なものを遠ざけて、その結果がこれじゃないか。  桃慈(とうじ)の横で唇をとがらせたまま、足の爪をいじる春橙(はると)を見つめた。これが夢なら、醒めてしまう前に目に焼き付けておきたかった。  明るい茶色の虹彩は、日本人には珍しい透明感で、油断するといつまでも見ていたくなってしまう。春橙(はると)から不審がられることもよくあった。つるりとした肌は、にきび一つなく、髭も薄い。髭さえ生えればワイルドな男になれると、同級生の毛深さを羨ましがっていた春橙(はると)をほほえましく思う。実際はうっとうしいだけだと桃慈(とうじ)なんかは思うのだが。 「覚えてる」  本当は一瞬だって忘れたことはない。  そう言ったら、春橙(はると)はどんな顔をする? 「ほんとかよー。  じゃあ、何があったか言ってみそー」  夢の中でくらい、甘い春橙(はると)をみせてくれてもいいのに。そう思いながらも、混じり気のない春橙(はると)に安堵している自分もいた。 「むかーし、むかし。  あるところに、とうじという子どもがおってな……」 「ふざけてんな」  春橙(はると)が楽しそうに笑う。  桃慈(とうじ)は語り始めた。  長い話になるかもしれないが、かまわない。  春橙(はると)が楽しんでくれるのならば、他に何が必要だろう。桃慈(とうじ)は、たとえ己の命であれ喜んで差し出すだろうと思った。

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