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第10話 AUTHENTICA
女性トイレの個室の扉を閉めたとき、京子の口から自然と大きな吐息がもれた。
清浄とは言い難い臭気を胸いっぱいに吸い込む。
「オープンスクール実行委員会」での顔合わせを無事に終えた放課後、教室に戻る前に寄った三階のトイレ。
ふだん使用しない特別教室棟のトイレは、ひっそりとしていて人の気配がなかった。
京子は一日中好奇の視線、好意的とは言い難い視線、そしてクズ先輩ファンからの刺すような視線にさらされていた。
クズ先輩からファンの女子たちに通達があったようで、直接的な干渉はないものの、敵意のこもった視線だけを向けられるというのもなかなかに恐ろしいものがある。
とても人望があるようには思えなかったが、クズ先輩はファンたちをよく統率していた。
京子はトイレの個室の扉に寄りかかりながら、私は何もわかっていないのかもしれない……とぼんやり天井を見上げた。
教室の戸を開けた京子の心臓がドキリと跳ねた。
誰もいないと思った教室に人影があったからだ。
その人影は浅く机に腰かけるようにして、窓の方を向いていたが、人の気配に驚いたようにこちらを振り向いた。
「あれ!」
京子は別段親しくもないクラスメイトに笑顔を向けた。
京子の意志とは関係なく表情筋が笑顔を形作る。それは京子が生きていくうえで身に着けた仮面のようなものだった。
「まだ帰ってなかったの?」
京子は窓の外に目を向ける。すっかり日が落ちて暗くなっている。
京子につられるように桃慈 は、外に目を向け、また京子に目線を戻した。
「立花さんこそ、ずいぶん遅いんだね」
「私は実行委員だから……」
ああ、と桃慈 はさして興味もないようにうなづいた。
他の男子であれば妙な展開にならないように警戒するところではあるが、桃慈 にはそういった気配がなく、京子にはその無関心さが心地よかった。
「じゃあ、また明日ね」
京子が帰り支度を済ませていたカバンをつかむと、カバンについたお気に入りのメンダコが大きく揺れた。
「立花さん。駅まで一緒に帰ろう」
カバンを手に桃慈 が京子に歩みよってきていた。
京子はとまどって動きを止めた。
正直桃慈 からの申し出はありがたかった。
若い女というだけで夜道の危険度は跳ね上がる。
でも……
桃慈 は京子の返答を待たずに教室の出口に向かっていた。
「……佐藤君まで変な目で見られるよ」
桃慈 がこちらを振り向く気配を感じたが、京子は顔を上げられずにいた。
何でもないように笑わなければと、頭では最適解がわかっているのに、どうしても体が動かなかった。
黒くて長い髪がうつむいた京子の表情を隠してくれていた。
「人の目」
その声の温度は京子をはっとさせた。
「それってそんなに大事?」
そのときの桃慈 の表情と声を京子は一生忘れないだろうと思った。
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