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2.「昔みたいに那生って呼んで」
朝、登校して教室内のテンションの差を僕はいち早く察知した。
文化祭の出し物が自分たちの思う通りに決まった陽キャグループはいつもより声に張りがあるのに対し、陰キャグループはそれを迷惑そうに見ている。
明らかにクラス内の温度差があった。
僕はその様子を窓際の一番後ろの席で観察している。こうやってみんなから離れてみるとより図式がはっきりとしていた。
いつも教壇から僕たちを見下ろす先生たちはこんな気持ちなのだろうか。
「炭酸にラムネ入れたらヤバいだろ」
「でもその動画がバズってさ」
「爆発してんじゃん」
三谷は廊下側の一番前の席に集まり、お馴染みのメンバーと談笑している。彼のグループは派手な人が多く、髪がピンク色だったり、アクセサリーをつけていたり、制服を着崩したりしている人ばかりだ。規律から一脱した彼らは、まるで世界の中心のように強い存在感を放っている。
昔から三谷の周りには人が集まる。砂糖に群がる蟻のように三谷那生という存在が惹きつけて止まないのだろう。
(そんなの昔からじゃん)
僕は机にデッサンノートを広げた。
(それより早く服のデザインを考えないと)
クラスは二分しているが劇に決まったのだ。なら全力でやるしかない。中途半端は性に合わないのだ。
ロミオとジュリエットの話はかの有名なシェイクスピアの悲劇である。
家同士が仲違いしているロミオとジュリエットが恋に落ち、二人で逃げ出すためジュリエットは死んだふりをするが本当に死んだと勘違いしたロミオが後を追うように自殺してしまう悲しい恋の話。
どういうイメージにしようか。ジュリエットは金持ちの娘だから上品なドレスもいいな、と三谷の顔を盗み見るとなぜか目が合ってしまった。
慌てて逸らすが視界のはしに三谷が僕の方に来るのが見えて、肩に力を入れて身構える。
「なにしてんの?」
空いている僕の前の席に座った三谷はこてんと小首を傾げる。ほんのり日焼けしている肌はきめ細かく艶があり、まつ毛が扇ように広がっていた。
真珠姉ちゃんと紅玉姉ちゃんが見たらメイクをさせてくれと飛びかかりそうなイケメンだ。近くで見るとよりわかる。
僕が呆けていると三谷は目尻を下げた。
「もしかして服のデザイン考えてんの?」
「あ、うん」
「さすが」
だがノートに視線を落とした三谷は「真っ白じゃん」と笑った。
昨日話の途中で逃げ出した僕を責めるどころか普通に接してくれている。あんなに態度が悪かったのに気にしていないのだろうか。
いや、あのときもそうだ。
中学に上がり、僕が三谷を無視しても、彼は一度も責めてこなかった。
嫌な記憶まで呼び起こしそうになり、僕はどうにかその思考を追いやろうと教室を見回した。
クラスメイト全員の視線が僕たちに向けられている。よくも悪くも三谷の存在は目立つ。みんな意識のどこかで彼の動向を気にしているのだろう。
それがクラス一の陰キャで友だちもいない僕と話しているのだ。不思議に思ったり、嫌な気持ちになる人もいるだろう。
特に三谷のグループからは嫌悪の鋭さが混じっていた。その中でも異彩を放つピンク髪の山内くんは殺気を滲ませて僕を睨みつけている。
背筋に冷や汗が伝う。なるべく目立たないように生活していた僕の努力がパアだ。
だがクラスの注目に気づいていない三谷は平然と頰杖をついた。
「演劇部の衣装を参考にしてみたらどうかな」
いい提案にぱっと顔を上げた。服を作るのは好きだが、それはぬいぐるみ限定だ。洋裁は経験がない。
「うん、見てみたい」
そう言うと三谷の目元がわずかに赤くなった。口元を大きな手のひらで覆うと、さっと立ち上がった。
「じゃあ俺も付き合うから。放課後な」
三谷は足早にグループの元へと戻って行った。
後から言葉を反芻して、はっとする。
(三谷も付き合うって言ってたよね?)
演劇部くらい一人で行ける。それがなぜ三谷も付き添う必要があるのか。
文化祭実行委員としての責任感を感じているのだろうか。
だが僕はすぐに三谷やクラスの視線のことを忘れ、舞台の衣装に胸を高鳴らせていた。
「これは……」
「想像以上だな」
あまりに酷い有様に僕は言葉を失った。隣の三谷も呆然としている。
放課後、僕は三谷と一緒に演劇部の部室に行った。段ボールいっぱい詰め込まれた衣装は適当に放り投げられたようにしわくちゃで、長年放置されていたようでカビ臭い。
僕と同じ衣装係の樋口さんは申し訳なさそうに手を合わせた。
「去年の先輩たちが乱暴に扱っててこの有様なんだ」
「そっか。これじゃ樋口たちも大変だよね」
「そうなの。文化祭用の衣装も一から作り直しで手一杯なんだ」
樋口さんの手首には針刺しが巻かれている。メジャーを肩にかけ、制服のスカートには糸くずがたくさんついていた。演劇部の衣装担当なのだそうだ。
さすがに言葉を失っている三谷はまた段ボールに視線を落とした。とてもじゃないが使えそうなものはない。
衣装の参考ついでに借りられそうなものを見るつもりだったらしい。だから僕に付き合ってくれたのだとここに来るまでに説明された。
(でもこれじゃあ着られないよね)
僕はハンガーラックにかけられた衣装に気づいた。赤とピンクのドレスと着物、それにくまの着ぐるみが皺一つない状態でかけられている。樋口さんがいま作っているものらしい。
この衣装の組み合わせでどんな劇をやるのかまったく想像がつかないけど。
三谷は腕を組んで首を傾げた。
「困ったな。まともなものがない」
「ロミオとジュリエットなら、現代風にアレンジして制服にしたら?」
樋口さんの提案にそれもいいなと思った。それなら衣装を作る手間を省けるし、お金もかからない。
(でもドレスなんてそう作る機会なんてないから作ってみたかったな)
そっとカビだらけの衣装に触れた。裏地もつき、フリルやボタン付けも完璧だ。樋口さんが愛情を込めて作ったのがわかる。
こんな雑な管理をされて辛かっただろう。
「……可哀想に」
ドレスをそっと撫でていると三谷に肩を掴まれた。
「翡翠はどうしたい?」
その問いに僕は大きく目を見開いた。
「僕が決めていいの?」
「うちの衣装係は翡翠なんだから、翡翠に決定権がある。あ、樋口もそうだったな」
「私は演劇部の方をやらなくちゃいけないからクラスの方は手伝えないよ。それでもよかったら東くんが決めてもいい」
二人の言葉に僕は迷った。漫画研究会の野元さんも文化祭に漫画を出すから忙しいと言っていたし、実質衣装係は僕一人だ。
一人で全員分の衣装を作るのは大変だろう。
でも胸が高鳴る。洋裁は僕がやってみたかったジャンルでもある。
「……僕、やってみたい」
「なら作ろう! 俺も手伝うから」
「ありがと。でも僕一人で作るよ」
「なんだよ〜俺じゃ足手まといだって?」
「だって三谷、昔から家庭科の成績悪いじゃん」
「そうだけど! そうだけども!!」
悔しそうに頭を抱えだす三谷が可笑しかった。昔から勉強とスポーツはできるけど、裁縫や美術の腕前はてんでダメだ。
僕はラックにかけられてあるドレスを指さした。
「樋口さん、一着借りてもいい? デザイン参考にしたいんだけど」
「それならデザイン本が図書室にあるよ」
「そうなんだ教えてくれてありがとう」
樋口さんにお礼を言うと彼女は驚いたように目を見開いて、ズレた眼鏡を直した。
「俺も一緒に行く。じゃあ樋口、ありがとね。演劇部、頑張れよ」
「……うん」
ぽっと桜のように頰をピンクにさせた樋口さんは照れくさそうに自分の髪を撫でた。三谷に惚れたのだろう。昔から罪づくりな奴だ。
演劇部室から図書室までは渡り廊下を通り、四階に上がらなければならない。校内は広いのでかなり距離がある。
まだまだ日差しの強さがあるが、校庭からは運動部が準備をしているのが見えた。サッカー部も倉庫からボールを出している。
「今日こそ部活だろ? 衣装係は僕だし、一人で行ってくるよ」
「翡翠に押しつけた責任として俺も付き合うよ」
「押しつけた自覚があったんだ」
「そりゃね」
思いつきで提案されただけだと思っていたので意外だった。
「本当に一人でやれそう? 野元はどうしたの?」
「漫画研究会の方が忙しいみたい」
「そういえば毎年漫画出してたな」
裏方をやる陰キャグループは部活動に参加している人が多い。うちの文化祭はクラスだけでなく部活や同好会も出店するので、人によって二つ掛け持ちになる。そうなると準備に手が回らない人が出てくるのだ。
もちろん例に漏れず手芸同好会も文化祭に出る権利はあるが、僕一人なので辞退した。お陰で時間は空いている。
野元さんと樋口さんは展示に票を入れていた。部活や同好会が忙しいから、すぐ準備の終わる展示の方がよかったのだろう。
別のものに均等に情熱をかけるのはなかなか難しい。僕にも似たような経験があるからよくわかる。
三谷が欄干に肘をかけ、校庭に視線を向けた。短く切り揃えられた黒髪が風に煽られてふわりと浮く。それを長い指で掻き上げる三谷の表情は暗さを孕んでいた。
不安になるのも無理はない。
十六対十五という僅差で劇に決まったせいで、反対派のグループは乗り気ではなかった。樋口さんや野元さんのような人は多い。教室の雰囲気でもわかる。
一週間ほど散々クラスで話し合ってきたが、タイムリミットがきて半ば強引に決定した部分は否めない。
でもそれは文化祭実行委員である三谷だけのせいではない。そんなことみんなわかっているが、どうしても誰かを責めたくなってしまう。その矢面に立つのは三谷だ。
だからこうして僕を手伝い、少しでも信頼を得ようとしているのだろう。
きっと僕以外の人にも声をかけて手を差し伸べているに違いない。
三谷にだって他にやることはある。部活に演技の練習、部活の出店準備、文化祭実行委員としての仕事など僕の想像以上に忙しいに違いない。
三谷の疲労が混じった風が僕の身体を通り抜ける。ぎゅっとこぶしを握った。
「僕は楽しみだよ。三谷のドレス作るの」
「本当?」
「うん。男物のドレスなんてそう作る機会なんてないし」
「……そっか。翡翠がそう言ってくれると少しだけ元気出た」
雨上がりの向日葵のようにぱっと華やいだ三谷の笑顔に心臓が跳ねた。その笑顔は子どものころから変わっていない。
封印していた感情が淡く胸に広がっていくのを感じ、僕はくるりと背を向けた。
「ほら、早く行こう」
「そうだね」
耳の縁が熱を持ち始めたのに気づかれないように僕は足を速めた。
樋口さんに教えてもらった本を借りて教室に戻ってきた。パラパラと読んでいるだけでも楽しい。
そんな僕を見ている三谷は目尻を下げた。
「本当に手芸が好きだよな」
「……まぁね」
「あのハンカチはまだ残ってる?」
「家にあるよ。もうだいぶ汚れちゃってるけど」
僕は三谷と仲良くなったキッカケを思い返した。
小学四年生のとき、初めてバラの刺繍に挑戦した。お気に入りの木綿のハンカチに不格好ながらも赤と黄色のバラを縫ったのだ。
仲良しの女の子たちにも褒めてもらえ、僕は誇らしげに使っていた。
だがハンカチをうっかりトイレで落としてしまい、それを見つけた男子に莫迦にされたのだ。
『こんな女っぽいやつ使ってるのかよ』
『返してよ!』
『女男が気持ち悪い』
その男は他の男子たちにも見えるようにハンカチを広げた。うわーキモっという声と共に次々と男子たちの手から手へとバトンのように繋がれて、最後は三谷の元にきた。
(こんな可愛いものを莫迦にするなんて許せない)
僕はイライラしながら三谷の手からハンカチを取り返した。呆気に取られている三谷はきょとんと首を傾げる。
『上手に縫えてるね。これ東が縫ったの?』
他の男子たちとは違い、三谷は興味深そうに問いかけてくれた。だが油断はできない。
毎日のように揶揄われてきた僕の心は警戒心でいっぱいだった。
『……そうだけど』
『可愛いじゃん!』
何度もすごい、器用だねと繰り返すので僕のハンカチを奪った男子たちは気まずそうにトイレを出て行った。
そのときからクラスの人気者である三谷はみんなの憧れの的で、その彼が貶さなかったのが面白くなかったのだろう。
裏表のない賛辞に僕は自信が持てた。人気者の三谷に認められたという事実が僕の背筋を伸ばしてくれる。
そこから三谷とは仲良くなり、一緒に遊ぶことが増えた。
あの日まではーー
「もう刺繍はやらないの?」
「いまは違うの作ってる」
「そっか。相変わらず翡翠は器用だな」
「三谷が不器用すぎるんだよ」
「てかなんで三谷って呼ぶんだよ。昔みたいに那生って呼んで」
僕の心臓は氷を当てられたようにひやりとした。こわごわと三谷に視線を向けると、彼は相変わらず人好きのする笑顔を浮かべている。
まるでそれが普通だろ、という顔は僕の恐怖を煽った。
「……呼び方なんてどうでもいいじゃん」
「でも苗字だと距離があるでしょ」
「このくらい普通だよ」
これ以上近づいてはいけないと僕の頭の中で警報が鳴り響く。
「ちぇ……まぁいっか。少しずつ翡翠の信頼を取り戻していくよ」
信頼ってどういうことだ?
僕が返事をするより先に三谷はエナメルバッグを肩にかけた。
「じゃあ部活行くな。帰り道、気をつけろよ」
「……うん」
三谷は小さく手を振ってから教室を出て行った。
頭の中の警報が鳴り止むまで、僕はしばらく三谷がいなくなった扉を見続けていた。
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