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3.「好きな人からモテないと意味ないし」

   期末試験を終え、文化祭に向けての準備が本格的に始まった。放課後、部活や塾など予定がない生徒を中心に少しずつ進めようと三谷が昼休みに提案していたのだ。  でも実際に残ったのは主演組全員と僕と樋口さん、野元さんの衣装係のみである。熱量の差は明らかだ。  僕たちをよそに、出演組は黒板前で台本の読み合わせを始めた。脚本は演劇部から借りられたらしい。  素人感満載の棒読みは酷いものだ。恥ずかしさが混じる中途半端な演技は見ている僕たちに寒気を与える。  それは山内くんたちも感じているのか照れ隠しのようにクスクスと笑い合って読み合わせが何度も中断している。  「あぁ! ロミオ……あなたはどうしてロミオなの」  「ウケる〜三谷まじうまい」  「ほら、止めないでこのままいくぞ」  「はーい」  三谷が指示すると主演組は台本に向き合い、再び読み合わせを始めた。時折笑ってしまっているがなんとか続けている。  残された僕たち衣装係は顔を見合わせて困惑してしまった。僕は元々クラスの誰とも話さないし、友人もいない。ぼっち街道を邁進する僕と同じ係になってしまい申し訳なさが勝る。  それに二人は部活動の準備の合間に来てくれたのだ。少しでも役に立とうと僕は引き出しから図書室で借りた本とデッサンノートを広げた。  「衣装はこんな感じにしようかと思ってるんだけど、どうかな」  二人はちらりと本に視線を向けたあと、ぱっと顔を輝かせた。  「これ、東くんが描いたの?」  「下手だけど……なんとなく想像できる?」  絵には自信がない。デッサンは自分がわかればいい設計図みたいなものだからあまり力を割いてこなかった。  緊張した面持ちで見ていると野元さんは高い位置で結んだポニーテイルを大きく揺らした。  「下手じゃないよ。すごくわかりやすいし、想像できる。ね、樋口ちゃん」  「そうね。東くん、手芸得意なの?」  「えっと、うん。結構好きなんだ」  二人に褒められて、恥ずかしい。きっとただのお世辞なのだろうけど、それでも単純な僕は嬉しくなってしまう。  ジュリエットのドレスは天使のように白い生地でレースを多くあしらい、ロミオは貴族らしく胸元にフリルのついたシャツとベストを作るの予定だ。  脇役の衣装は演劇部から借りた衣装を手直しして使えそうなので、メイン二人の衣装に力を注げばいい。  でもさすがに一人で十六人分はきつい。  これをどう振り分けたようかと悩んでいると野元さんが手を挙げた。  「でもせっかくで申し訳ないけど、私は同好会の出品の準備もあるから手伝えないんだ」  「私も演劇部の衣装を作らなくちゃだし」  二人の表面上は申し訳なさそうな顔をしているが、心のうちは面倒だとひしひしと感じる。  褒めてもらえた気持ちが風船のようにしゅんと沈む。僕をその気にさせようとしていた魂胆が透けて見えてしまった。まるで種明かし後に見る手品のように現実を突きつけられる。  (でも二人が忙しいのは最初から聞いていたことだし)  僕はうんと大袈裟なくらい大きく頷いた。  「わかった。じゃあ僕が作るよ。河野さんの採寸だけやってもらっていいかな?」  「もちろん」  落としどころを提案すると二人は乗ってくれた。  さすがに女子の身体に触るのは抵抗があったので助かった。採寸さえしておけば、あとは自分のペースで作れるからむしろやりやすいかもしれない。  台本の読み合わせが終わってから主演の二人に声をかけるといいよと頷いてくれた。  女子は人の目もあるので更衣室に移動してもらった。  残された僕と三谷は教室の隅に移動したが、残った出演メンバーの好奇の目が背中に刺さる。  「服は脱いだ方がいい?」  「こ、このままでいいよ」  「俺の鍛えた筋肉見てもらおうかと思ったんだけど」  「筋肉なんてどうでもいいよ」  ドレスを着て隠してしまうのだから意味はない。けれど体操服越しでも三谷の身体のラインはうっすらとだがわかる。  サッカーが好きで小学生のときは休み時間のたびに校庭でボールを蹴っていた。いまもサッカー部のエースストライカーとして活躍しているらしい。  おちゃらけているように見えて三谷は努力家だ。その姿を一切人に見せようとしないストイックな一面もある。  だから周りからは天才児だと持て囃されるのだろう。  「三谷、脱ぐの?」  「おーい、三谷のヌードショーが始まるぞ!」  「バカっ! そんなんじゃねえよ」  三谷の抗議を無視してまくしたてる山内くんたちのせいで他クラスからも人が集まってきてしまった。ドアの窓越しに女子が様子を窺っている。  さすが学年一の人気者だ。  「やっぱ俺らも更衣室行こう」  三谷に手を取られ、廊下を出た。後ろでは「減るもんじゃないだろ」と山内くんの野次が飛んでいるが三谷は無視している。  繋がれた手を振りほどけないまま更衣室に着き、ようやく手が離されたときには手が汗ばんでいた。  (きっと三谷の手は僕の汗でべちゃべちゃになってる)  僕はポケットからハンカチを出した。  「ごめん、手汗酷かったよね。これで拭いて」  「俺の汗だから気にすんな」  三谷はそう言ってくれ、自分の体操服に手のひらを擦りつけて笑った。  (相変わらずやさしいな)  鼻の奥がつんとして、胸が苦しくなった。僕が泣いていい立場じゃない。一生懸命に笑顔を貼りつけた。  「さすが三谷モテるね。更衣室まで誰か覗きに来るかな」  「ただ揶揄われてるだけだよ」  「揶揄うだけで他クラスから見に来ないでしょ」  三谷は眉を寄せて笑った。  「でも好きな人からモテないと意味ないし」  きんと鼓膜が嫌な震え方をした。  「……好きな人いるんだ」  「まぁね。振り向いてもらえないけど」  まさか三谷ほどの男でも落とせない女がいるのだろうか。  頭脳明晰、スポーツ万能、サッカー部の部長でリーダーシップもある。胸焼けしそうなモテ要素満載なのに。  その女は見る目がない。それとも理想がエベレストより高いのだろうか。  学年の可愛い女の子たちを想像すると苦しくなってしまう。誰も彼もが三谷の隣にすんなりとおさまる。  そうだよな、と動揺が諦めに変わった。  「時間もないし採寸しようか」  「誰とか訊かないの?」  「三谷が誰を好きでも自由だろ」  「……そういうさっぱりしたところが翡翠らしいね」  「それは遠回しに貶してるの?」  「まさか、褒めてるんだよ」    (本当は誰かなんて知りたくないだけだよ)  だって僕が三谷に選ばれるなんて未来はあり得ないんだから。  気分が沈みそうになり、僕は気持ちを切り替えるためにポケットからメジャーを出した。  「腕広げて」  「はいはい」  三谷の肩から手首までの長さや首回りなどを入念に計測した。呼吸する度上下する胸板の厚さや上腕二頭筋の張りに僕の心臓は騒ぎ出す。  男らしく成長した身体は僕が知っている三谷ではない。薄くてえのきのようにひょろりとしていた昔とは雲泥の差だ。  離れている間の三谷の情報は入らないようにしていた。だから僕からすれば小学生からいきなり高校生の三谷が現れた感覚になる。  それがこんなに逞しく成長していたらときめかない方が無理だ。  でもその気持ちにブレーキをかける。  「腕は七十三センチ、股下は……八十七センチ。ムカつくくらい足長いな」  「お褒めにあずかり光栄です」  「身長もすごい伸びたよね」  「いま一八三センチかな」  「うわ……モデル体型じゃん」  三谷の背は高いとは思っていたが数値化にするとより人形のようなバランスの良さだ。  創作者としては腕が鳴る。素材がいいと士気はぐんと上がるものだ。  「じゃあ胸囲も測りたいからまた腕広げて」  「こう?」  「そのままじっとしててね」  両腕を水平に広げてもらい、僕は両脇の下にメジャーを入れ背中に腕を回そうとしたが届かない。  僕の身長は一六九センチなので三谷とは十四センチも違う。当然胸の長さも違うのだ。  「ちょっと屈んでもらえる?」  「このくらい?」  三谷が膝を曲げてくれると視線の高さが近くになる。線を引いたようなぱっちりした二重と黒曜石のような瞳が間近に迫る。薄い唇に目がいってしまい、慌ててそらした。  「翡翠、顔真っ赤だよ」  「……暑いだけ」  「確かにここ冷房効いてないもんな」  にっと白い歯を覗かせる笑顔の眩しさに目がやられそうになる。この至近距離でもろに食らってしまい、僕の羞恥心は限界まで駆け抜けてしまいそうだ。  「でもそれだけ?」  こてんと首を傾げて上目遣いをするあざい三谷に僕の心臓は跳ね馬の如く暴れまわる。  カッコいいだけでなく小悪魔的な要素もあるなんて反則じゃないか。  「それだけ! 測るよ!!」  「そんな大声出さなくても聞こえるよ」  ふっと三谷の空気が軽くなる。その自由奔放さに僕はしばらく落ち着かない気持ちにさせられた。

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