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4.「デートなんでちゃんと奢りますよ」
僕は布の種類に悩んでいた。
三谷の男らしい骨格を隠すために長袖にして、フリルもふんだんにあしらえたい。
ロミオ役の河野さんはクラスの女子で一番背が高く、僕と同じくらいだ。ズボンは女子用の制服にしてもらい、既製品のシャツに胸を隠すためにフリルをあしらい、ベストを作る予定でいる。
(かなり布を使うから綿がいいかな。でも皺になりやすいんだよね)
僕は家庭科室でスマホで検索しながら生地をどうするか頭を悩ませていた。
「三谷、いけ!」
窓の外を見るとちょうどサッカー部はミニゲームをやっているようだった。オレンジ色のビブスを着た三谷が味方からパスを受け、一気に駆け上がりシュートを決める。
家庭科室は一階にあるのでグラウンドがよく見えるのだ。
三谷のゴールに黄色い歓声が離れた僕の方にまで聞こえてきた。
グランドを囲うフェンスのように女子たちが並び、一年生から三年生まで全学年の女子が三谷の活躍に注目している。
「すごいな」
相変わらずのモテっぷりだ。
小学生のときから変わっていない。いや、年々増しているだろう。
古傷がまた痛む。僕は胸に手を当て、中学時代を思い出した。
僕は昔、三谷が好きだった。
バラの刺繍を褒めてもらえ、僕の好きなものを否定しない三谷に簡単に恋に落ちた。
好きな気持ちを隠したまま友情を育んでいたけど、陰キャの僕と人気者の三谷が仲良くしているのを気に食わない女子グループがいた。小学校が別地区の女子たちで、三谷に熱をあげていた子たちだ。
その中の一人に「女子にハブられるか三谷と話さないかどちらか選べ」と脅された。
いまなら子どもの戯言だと笑えるだろう。でもそのときの僕は笑いごとではなかった。
僕は男子と混じってドッチボールをするより、女子と化粧品や最近のトレンドの話をしている方が楽しかった。
姉二人と育ってきたので自然と女子が好きなものを僕も好きになっていたせいだろう。
それに僕に近づく男子は意地悪な子が多く「女男だ」と揶揄ってくるので嫌気が差していた。
乱暴で口の悪い男子の集団に放り込まれたら生きていけない。
でも三谷だけは違った。いじめられる僕を助けてくれ、慰めてくれた。三谷の隣は綿に包まれているように居心地がよかったのだ。
だから三谷を裏切るような真似はしたくない。
返事をできないでいるとその女子がカウントダウンを始めた。僕には懇願する時間もない。
そして僕は三谷を捨て、自分を守った。
事情を知らない三谷は何度も声をかけてくれたが、僕は全部無視した。しばらく続いたが一年の夏休みが明けると三谷からも距離を取られるようになったのだ。
けれど罪悪感から僕は女子と話すこともやめ、まるで贖罪のように孤独を貫いている。
それは偶然同じ高校に進学しても変わらず、もう二度と三谷の人生に関わるつもりはなかったのに
(神様は意地悪だ)
また三谷と関わってしまった。もう彼への好意はなくなったと思っていたのに、宝箱に大事にしまわれたままの「好き」は光りを取り戻そうとしている。
(でもまだ引き返せる。このまま文化祭を無事に過ごせればそれでいいんだから)
がらりと扉が開く音に顔を上げるとユニホーム姿の三谷が立っていた。
「よかった。まだいた」
くしゃと笑う三谷を僕は信じられないものを見るように目を向ける。
「グラウンドから翡翠の姿見えたから一緒に帰ろうと思って」
肩にかけたタオルで汗を拭う三谷の頬は上気し、髪も汗で濡れていた。
空は紫色に変わり、太陽が沈んでいる。かなり長い時間家庭科室に居残っていたらしい。
静かな教室に僕の心臓の音が張り裂けそうなほど鳴っている。どくどくと鼓膜を震わせる音が三谷にも届いてしまうんじゃないかと逃げるように椅子を引いた。
「なにしてたの?」
「……生地の種類を選んでた」
「そっか。値段ってどれくらい?」
「ものにもよるけど一メートルで千円くらいかな。高いものはもっとするけど」
「幅があるんだな」
「そうだね。結構フリルで布使うから考えないと」
「てか俺がこんなフリル着てキモくない?」
「そんなことないよ。三谷の顔はきれいだしから色も白にすればアンニュイな雰囲気がだせる」
「翡翠がそう言ってくれると自信持てるわ」
汗で濡れた前髪をうっとおしそうにかきあげる指先に見惚れてしまう。どうしてそんなささいな仕草が絵になるのだ。
また僕の心臓は騒ぎ出してしまいそうになり、慌てて違う話題を振った。
「予算ってどのくらい使えそう? 布買いに行こうと思ってるんだけど」
「衣装に出せるのは一万くらいかな。いける?」
「う〜ん。そうなるとこの辺は削減しようかな」
僕は再びデザインを描き直した。衣装の隅にビーズや刺繍を施して高級感を出そうと思ったが、金がかかるから無理だ。
やはり無地で通すしかない。
「布、いつ買いに行く?」
「夏休み前には行こうと思ってるけど」
「じゃあ今週の土曜日は? 部活が休みだから一緒に行く」
「平気だよ。いつも行ってるし」
これ以上やさしくしないで欲しい。僕は三谷を捨てて保身に走った酷い奴なのだ。
三谷は心配そうに眉尻を下げている。
「でも荷物大変だろ?」
「慣れてるから平気。他の衣装係の人にも声をかけるつもりだし」
「……わかった。じゃあ手が足りなくなったら絶対言えよ」
「うん」
もちろん樋口さんたちを誘うつもりはなかったが、僕は平気で嘘を吐いた。紙で指を切ったような鋭い痛みが胸を刺す。もう平気。慣れている。
貼りつけた笑顔を向けると三谷はなんとも言えない表情をしていた。
「……重い」
土曜日になり、僕は日暮里繊維街へと足を伸ばした。日暮里から三河島までの通りに洋裁用の布やキルティング素材、ボタン・リボンなどの店がずらりと軒を連ねる天国みたいな手芸専門の商店街だ。
最近ではコスプレ衣装を自作する人も多いようで、竹下通り並みに若い人で溢れている。
お気に入りの店舗を見て回っているうちにあれこれと買ってしまい、気づけば両手で抱えきれないほどの量になっていた。
エコバックの持ち手が指に食い込んで痛い。リュックにもパンパンに入っているので、後ろにひっくり返りそうになる。でも重みの分だけ幸せが入っているのだと思うと我慢できる、が。
僕は照りつける太陽を睨みつけた。
「暑い……夕方に来ればよかった」
進級してから体育祭や試験と忙しく、なかなか繊維街に来る時間がとれなかった。そのせいで昨日は遠足前のように興奮して眠れず、朝早く来てしまったのだ。
そうして買い物を済ませるとちょうど昼過ぎになり、一日で一番暑い時間になってしまった。
灼熱の陽光が頭頂部を焦がしていく。帽子を被っていないのでダイレクトに皮膚がジリジリと焼かれる。
(お腹も空いたしどこかで休みたい)
いつもは買い物を終えたらすぐ帰ってしまうので、食事処がよくわからなかった。スマホで調べたいが荷物で両手が塞がっている。かといってエコバックを地面に置いて布が汚れるのも嫌だ。
完全に詰んでいた。
ボタン屋さんの軒下で途方に暮れていると人並みをすいすいと避ける背の高い男が視界に入った。目が合うとぱっと笑顔を向けられた。
「お、やっぱいた」
「三谷?」
黒いキャップに白いシャツとストレートパンツというラフな恰好の三谷がなぜか僕の目の前にいる。
そういえば土曜日は部活が休みで買い出しを手伝うと言ってくれたが、断ったはずだ。まさかここまで来るとは思わず、僕は鯉みたいに口をパクパクさせた。
「朝、翡翠の家に行ったんだよ。そしたら日暮里にいるっておばさんが教えてくれてさ」
「でも繊維街は広いのに」
「勘だよ」
「そんな行き当たりばったりな」
「でもこうして会えたじゃん」
三谷は悪びれる様子もなく白い歯を覗かせた。頭がいいくせに向こう見ずなところはなおっていないらしい。
「てか量すごいな。翡翠のもあるの?」
「せっかく来るならついでに買いたいなって思って」
布やレース、リボン、ビジューなど目ぼしいものを片っ端から買った。夏休みに入る前に仕入れて作り置きしておきたかったのだ。
三谷は僕が肩に下げていたエコバックをさらりと持ってくれた。ふっと右肩が軽くなる。
頭にぽんと帽子を被せられた。
「腹減らない? 近くに和食屋さんがあったから行こう」
僕が返事するより早く手を繋がれてしまった。
三谷の手が汗ばんでいる。少し上にあるうなじをみると玉の粒のような汗が浮かんでいた。
(もしかして僕を必死に探してくれたのかな)
繊維街は広く、店の中も複雑に入れ組んでいるので待ち合わせをしないと人と会うのは難しい。
僕に会いたくて休日を棒に振ってまで探してくれたのだろうか。
(そんなわけないだろ)
僕は甘い思考を追い出すように頭を振った。
三谷は文化祭実行委員としての責任感でここまで来てくれたのだ。僕に会いたかったからではない。布を運びたくて仕方がなかったのだ。
けれど期待で膨らむ胸をどう抑えればいいのか、僕にはわからない。
三谷が調べてくれた定食屋はメイン通りから外れた一角にあったお陰で昼時でも並ばずに入れた。
店名が『WABON』というだけあり、和食メインの定食屋だけど、デザートや飲み物も豊富に取り揃えてあるらしい。
木の温かみを感じさせる店内はおばあちゃんの家に来たような懐かしさがあった。座敷の座卓は精巧な彫刻が施され、長年使われてきたのか蜂蜜色に艶を帯びている。パッチワークデザインの座布団はこげ茶色で統一されていて、オシャレだ。
(かなり僕好みだ)
僕は和風テイストのものが好きだ。初めて作った和裁は父さんの浴衣だし、ぬいたちにも着せたいと思っていくつか生地も買ってある。
い草の匂いを肺いっぱいに吸い込むと気持ちが落ち着く。
若い従業員の女性に座敷を案内され、僕たちは腰を下ろした。
「よくこんなお店知ってたね」
「電車乗ってるときインスタで調べた。翡翠、和食の方が好きだったよなぁって」
三谷は照れくさそうに頬を掻くのを呆然とみつめた。
僕は肉より魚の方が好きで、和食を好む年寄りみたいな味覚を持っている。それを憶えてくれていただけでなく、場所まで調べてくれた三谷の気遣いが嬉しい。
嬉しい、けど怖くなる。
(三谷にやさしくされると自覚しちゃうから嫌なんだよ)
僕の想いと裏腹に三谷はニコニコとメニュー表を広げて見せてくれた。
「ここ、魚料理旨いらしいよ。アジの干物とかサバの味噌煮とか」
「本当だ。あ、値段も良心的」
メニュー表に書いてある価格を見て、ほっと胸を撫で下ろした。予定より買い過ぎてしまったので持ち金はあまりない。
「デートなんでちゃんと奢りますよ」
「デ、デデデデデート!?」
なにがどうしてそうなったのか。急にページが吹っ飛んでしまったかのような話の展開に僕は目を白黒とさせた。
「そんなに驚くこと?」
「そりゃデートって言われたら誰だってそうなるよ」
デートという単語が気恥ずかしくて小さくなってしまう。身体を炙られているような恥ずかしさのせいで冷房で冷めたはずの体温を上昇させる。
「ま、それは置いといて休日に文化祭のために動いてくれただろ。それに電車賃もかかってるし。そういう細かい費用はクラスから出せないから。実行委員としての感謝の気持ちだと思って好きなもの食べてよ」
三谷がすらすらと話すので事前に考えていたことなのだろう。
(僕に気を使わせないようにしてるんだな)
三谷のやさしさに胸が苦しくなってしまう。でも気づかれないように笑顔をつくった。
「じゃあ遠慮なくご馳走になるね」
「その方が俺も嬉しい」
「だけど三谷は食べれるものある?」
「俺はこれ一択よ!」
三谷が壁に貼られたメニューをばんと叩いた。そこには「唐揚げ定食、大盛り」と太文字で書かれている。
「相変わらずだね」
「やっぱ肉だよ、肉。翡翠も肉の良さがわかればいいのに」
「僕はおじいちゃんだから脂っこいもの苦手なんだよ」
「花の高校生とは思えないセリフだな」
つんと唇を尖らせた三谷に笑ってしまった。好みや趣味嗜好はいつも真逆なのだ。
「結構買ってたけど、いまなにか作ってるの?」
「ぬいぐるみの洋服だよ」
「へぇ、写真ある?」
「あるけど……見たいの?」
「うん。俺、翡翠が作るもの好きだよ」
真正面から受けた「好き」の破壊力に意識が吹っ飛んでしまいそうだ。
僕のことではなく、僕が作ったものが好きだと言ったんだ。勘違いするなよ、と自分に言い聞かせる。
座卓にスマホを置いて、僕はフリマサイトの写真を見せた。
「こういうの」
「もしかして売ってるの?」
「そう。趣味も兼ねてね」
僕はいわゆる推し活用のぬいぐるみの服を作っている。通称ぬいと呼ばれるもので、人気アニメキャラや有名アイドルなどをデフォルメ化した手のひらサイズのぬいぐるみだ。
お出かけ先やイベント、ライブに行ったらぬいと一緒に撮るのが流行っている。
好きな人を着飾りたいという人は結構多く、ぬい用の服は需要が高い。
スマホをいじっていた三谷が指を止めた。
「これ可愛い。コアラのやつ」
「手に磁石を仕込んでるからくっつくんだ。二体あれば抱き合うこともできるし、鞄の取っ手にぶら下げることもできるよ」
「よく考えてるんだな」
三谷の賛辞に僕は鼻が高くなった。別に自慢したいわけではないが、やっぱり褒められると嬉しい。
「夏休みの間にたくさん作ろうと思って素材を買ってたらこんなに増えちゃって」
エコバック二つにリュックがパンパンに膨らんでいる。少し買い過ぎたかもしれない。
「劇の衣装もあるのに平気?」
「慣れてるから大丈夫」
型紙の大きさや形は微妙に異なるけれど、やることは同じだ。切って揃えて縫う。その繰り返しで想像していた通りのものが作れる。
この魔法のような時間が好きだ。
「作るのはわかるけど、売るのは手間じゃない? バイトしないの?」
「うち、バイト禁止だからさ」
「あ〜確かに翡翠んち、そういうこと言いそう」
僕の両親は特別厳しいわけでも緩いわけでもないが、学生の間は勉強に本腰を入れて欲しいという考え方なので時間や体力を拘束されるアルバイトには反対だ。
でも僕は手芸が得意なので、スキマ時間に服を作って売ることには目を瞑ってもらっている。もちろん成績は落とさないよう勉強も頑張っているが地頭がよくないから中の下をキープしていた。
「また翡翠んちの唐揚げ食いたいな」
「母さんのは美味しいからね」
僕の母さんは手軽で美味しいをモットーにしている料理研究家なので主婦層に絶大な人気を誇っている。
母さんの作る唐揚げは脂っこくないので僕の好物の一つだ。
ちなみに父さんはカメラマンで母さんの料理本を出版する際の写真をすべて撮っている。世界中を飛び回り、主に星空や自然を主軸に撮影している。賞も何度も取っている売れっ子だ。
そんな芸術家肌の家系に生まれたからか、僕は幼少期からなにかを作ることが当たり前として育ってきた。
可愛いものが好きということもあり、手芸にのめり込むのにはそう時間がかからなかったと思う。
「お待たせしました。さばの味噌煮と唐揚げ定食大盛りです」
話していると料理が運ばれてきた。美味しそうな匂いに口の中に涎が広がる。
さばの味噌煮はしっかりと味がしみこみ、柔らかい身で美味しい。生姜が後味をさっぱりとさせてくれて食欲を掻き立ててくれる。
「よくそんなにきれいに食べられるよな」
「そうかな」
「俺、骨取るの苦手。だからいつも肉料理ばっかなんだけど」
「慣れれば平気だよ」
少し大雑把なところがある三谷はちまちまと魚の骨を取るのは苦手らしい。僕は細かい作業が好きなので小骨まで丁寧に取るのが好きだ。
「一口食べてみる?」
「いいの?」
「はい」
僕は一口分にさばを切り分けて、骨を取ってから三谷の口元に差し出した。
でもなぜか三谷は目をぱちくりとさせ、僕とさばを交互に見ている。
「どうしたの?」
「本当にいいのか」
「一口食べられたぐらいじゃ怒らないよ」
そんなに心が狭い奴だと思われていたのは心外だ。
三谷の頬がわずかに赤い。どこか緊張している様子に僕は首を傾げた。
僕たちはじっと見つめ合ったまま固まっていると周りの席の人たちのクスクスと笑っている。
「カップルなのかな」
「食べさせようとして可愛いね」
その言葉にようやく自分が大胆なことをしていることに気づいた。
いつも真珠姉ちゃんたちにせがまれてご飯を食べさせていたので、クセになっていた。
「あ、ちが……これは」
「いただきます!」
三谷は僕の手を掴み、餌に食いつく魚のようにパクリとさばを食べた。その目元もわずかに赤らんでいる。
僕の失態に乗ってくれたのだ。
「確かに美味い」
「……ごめん」
「むしろラッキーだわ」
「そんなに魚好きだったっけ?」
「ちげぇよ。鈍感」
ピンとおでこを突かれて首を傾げた。三谷の言うことは難しくてわかりづらい。
でもきっと悪い意味ではないのだろう。三谷は人を貶めるようなことを言わない人だ。
僕たちはデザートまでしっかり食べて、満腹で帰路についた。
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