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13.「最初で最後の恋だよ」

 二日目はバスで大阪に移動してそのあとは班別行動だ。  (やっと今日一日は那生といられる)  班行動の日は山内くんたちとは別になるので、羽が生えたように心が軽い。  班別行動は事前に決めていた大阪城や歴史博物館などの歴史に触れる各所を巡ることになっている。  修学旅行と言ってもお遊びではないので、きっちりと歴史を学び、学校に帰ったらレポートを提出しなければならない。  博物館の係りの人から話を聞き、メモを取ったり、元々考えていた質問をしているとあっという間に昼の時間になった。  「昼ごはん、どうしよっか」  「マクド行こうよ」  「そんなの東京にあるやん」  野元さんたちはエセ関西弁を使いながら、どこで食べようかとスマホで探してくれている。  その様子を眺めている那生はどこか元気がない。肩を落とし、溜息を吐いている。  「疲れた?」  「あーうん。話聞いてるだけって眠くなるよな」  「そうだね。でもまだ午後もあるから頑張らないと」  「ん」  那生は生返事をして、鈍色の空を見上げた。夕方から雨になる予報らしく、湿り気を帯びた風がびゅうと吹く。  (いつもの那生と違う)  昨晩から那生の元気がない。単に慣れない旅行に疲れているだけな気もするが、なんとなく引っかかる。  昼ごはんは野元さんセレクトのお好み焼きを食べ、僕たちはその日の行程を早めに終えてホテルへと戻った。  今夜も泊まる部屋は那生と二人きりだ。みんなといると平気だけど、二人だけになるとなんとなく気まずい。  (きっと僕がダメなんだ)  友だちとしても恋人としても僕は欠点だらけなのだろう。那生が呆れてしまっても仕方がない。  ふと、那生に過去に彼女がいただろうかと考えた。僕が知る限りにはそんな人いなかった、はず。  でもあれだけモテ街道を堂々と歩いている那生が恋人の一人や二人、いてもおかしくない。  河野さんのような美人に惚れられるくらいだ。きっと僕が知らないだけで、たくさん告白されてきただろう。 (その中でいいなと思う人はいたはず)  那生の隣に河野さんを簡単に描けるのに、僕だと友だちという枠組みから抜け出せない。明らかに見劣りしている。  そう思うと靄はどんどん重くなっていき、僕は追いやるように深く息を吐いた。  「はぁ〜僕では荷が重かったのかも」  那生のことは好きだ。一緒にいると楽しい。  でも那生は? 僕と同じ気持ちだろうか。  (そういえば今日は一回も那生の笑顔を見ていない)  班別行動で一日一緒にいたけど、那生が笑っている様子はなかった。はにかむような無理して作っただけの笑顔のような気がする。  (本当は山内くんや河野さんと同じ班がよかったのかな)  ぼんやりとベッドに座っているとざぁざぁと雨粒が窓を叩いていた。風も強く、街路樹の木が左右に揺れている。  僕のネガティブに追い打ちをかけるような天気だ。  「那生、遅いな」  那生は山内くんたちのところに行く、と言って三十分ほど前に出て行った。それも嫌々見送ったのだ。きっと気づいていたに違いない。  いまは夜の七時。あと十五分ほどで点呼が始まる。  様子を見に行くため僕は部屋を出た。  (確か山内くんの部屋は三個隣の角部屋だったよな)  三つ隣の部屋の前に立つが中から物音一つしない。人の気配も感じられず、嫌な汗が背中を伝った。  三、四階フロアは僕たちの学校が貸し切っており、女子は上の階だ。もちろん異性の部屋に行き来してはいけないというルールはあるが、何人か隠れて行っているらしい。  (まさか、那生も?)  河野さんの顔が浮かび、胸の中が外の雨に負けないくらい荒れ狂う。  黒い靄が渦を巻き、僕ごと飲み込もうとする。  「あのさ、那生」  後ろにあるラウンジから声が聞こえた。部屋は暗く、自販機だけの明かりが漏れている。僕は忍び足で近づいた。  向かい合った那生と河野さんの姿があり、はっと息を呑んだ。  「やっぱりどうしても好き。諦めきれない」   河野さんのストレートな言葉に僕は固まってしまった。そのまっすぐな想いは流れ星のように眩しい。  瞬間、僕の目から涙がほろりと零れた。  胸の中にずっと燻っていた靄の正体がやっと気づいた。  嫉妬だ。  付き合っているのは僕なのにどうして那生は河野さんを優先するの?   どうして僕と一緒にいてくれないの?  僕はずっと腹が立っていたのだ。  那生が河野さんとお似合い?  なにをそんな莫迦なことを言ってるんだ。那生をもう誰にも譲らない。好きなものはどっちも手に入れるって決めたじゃないか。  「だっ、だめ!!」   突然乱入した僕に那生と河野さんは目を丸くしている。僕は涙を拭って河野さんと対峙した。  「僕も那生が好きだもん」  「わ、私だって好きよ!」  「僕の方がずっとずーっと好きだよ」  「そんなの私だってーー」  「二人とも落ち着いて」  那生に宥められて僕たちは肩で息をしながらようやく口を閉ざした。河野さんの目が猛獣みたいに光っている。  いつも那生の前では愛くるしい小動物みたいな笑顔を浮かべていたのに、敵対する僕に牙を向ける姿は本当に好きなのだとわかった。  「河野、ごめん。俺、翡翠と付き合ってるんだ」  「……知ってる」  河野さんの返答に僕と那生は顔を見合わせた。  「見てたらわかる。那生が翡翠っちを見ているように私はずっと那生のこと見てたから」  河野さんは乱暴に目元を拭った。  「クラス行動のときや移動中はわざと那生を呼びつけてた。翡翠っちが嫉妬してるのわかってていい気味って最初は思ってたんだけど……那生はいつも翡翠っちのこと気にしててしんどいだけだった」  言葉に詰まった河野さんはずずっと洟を啜る。  「嫌な女だよね。でもなに振り構ってられないくらい那生が欲しかったんだ」  「ごめん」  「いいよ。全部私が悪い。翡翠っちも嫌な思いさせてごめん」  「そんな、僕は」  河野さんは突然うわー! と叫んだ。まるで悲しみをぶつけるような絶叫に僕たちはただ圧倒された。  叫び声が止んで顔を上げた河野さんはいつも通り可愛らしい笑顔に戻っている。  「あーここまで玉砕するとさすがにすっきりするわ。なんかやっと踏ん切りがつくよ」  まだ目には涙が溜まっているのに河野さんは無理やり口角を上げた。その強さが眩しい。  「点呼も始まるし戻るね。じゃ!」  隣にある非常階段から戻っていった河野さんを見送るとしんと静かになる。  ラウンジには窓もないから自販機のじじっという音だけ大きく聞こえた。  「翡翠って結構大胆なことするよな」  漂っている緊張を解すように那生は笑い、僕も釣られて声をあげた。  「すごく必死だったから」  「だめ! って子どもみたいだったけど嬉しかったよ」  那生の手が僕の髪を撫でてくれた。心地よい手つきにうっとりと目を細める。  (すごく安心する)  那生に触れられると嬉しい。  一緒にいると幸せになれる。  どうしてこんな単純なことが僕にはわからなかったのだろう。  校門で手を繋ぐカップルが脳裏に過る。ただ自分たちの存在を主張したいのではない。好きだから触れて存在を確かめて慈しみたいのだ。  那生の手がするすると降りてきて、親指の腹で僕の涙を拭ってくれた。  滲んだ世界でも那生の顔は凛々しくてかっこいい。  「俺が好きなのは翡翠だよ」  「知ってる」  「本当はちゃんとわかってないだろ」  那生はちょっと拗ねたように唇を尖らせた。可愛い。  (こんな姿、誰にも見せたくないな)  胸に生まれたのは紛れもない独占欲。  那生を独り占めにしたい。  他の誰にも触れさせたくない。  僕だけのものだ。  「那生に言ってないことがあるんだ」  「なに?」  「僕も那生が好き!」  目を見てはっきりと告げた。那生から告白してもらえたとき、僕は自分の気持ちを伝えられていなかった。  那生は睫毛の際までぱっちりと目を大きくさせている。  「本当は修学旅行中ずっと嫉妬してた。どうして山内くんたちの方ばっか行っちゃうのって」  「それは」  「僕のせいだよね?」  那生はぐっと息を呑んだ。図星なのだろう。  「中学のとき、僕が理由も言わないで那生を避けたらから?」  「……俺が弱いからだよ」  那生の大きな手が僕の頬を包み込んでくれる。かさついて、大きくて温かい。愛しいと初めて思った。  「元々、人と付き合いが苦手なんだよ。だからいつも相手の言う通りにしてた。そうすればみんな勝手に良い方に考えてくれるから」  昔の行いを悔いている那生の表情に胸が締めつけられた。  「元々翡翠が男子とうまくいってないのは知ってた。間に入ればよかったのに、どうすれば正解なのかわからなかったんだ」  「那生は僕の刺繍を褒めてくれたよ」  那生の形のいい喉仏がゆっくりと上下した。  「可愛いって。いいなって。僕はその言葉にたくさん救われたんだよ」  僕の好きなものをありのまま受け入れてくれた。女男と揶揄うことなく、いつも僕のことを優先させてくれたのだ。  「そっか」  今日初めて見る那生の笑顔に泣きそうになる。ずっとこの顔が見たかったのだ。  どんどん熱を持つ頭は湯でも沸かせそうだ。目を合わせるのも恥ずかしいのにそらしたくない。  身体の中心に甘い疼きを感じ、僕は那生の袖を引っ張った。  「……ぎゅってして欲しい」  「嫌じゃないの?」  「うん」  やさしく、壊れ物を扱うような手つきで那生に抱きしめてもらえた。大きな背中に腕を回し、那生の匂いを鼻孔いっぱいに吸い込んだ。ちょうど那生の胸に耳が当たるので心臓の音がよく聞こえる。  「俺が触るの嫌だと思ってた」  「どうしてそう思ったの?」  「昨日、真珠ちゃんと電話してるの聞いちゃって」  ーーなにって……ほら、ハグしたりとか二人きりじゃないとできないことあるじゃない  ーーそれってしなくちゃいけないの?  確かにこれだけ聞いたら嫌なんだと思われても無理はない。  「一緒にいるだけで満たされるのにこれ以上の幸福があるなんて知らなかったんだよ」  なんて幼稚なのだ。  恋愛初心者の僕のせいで那生を傷つけてしまった。  「はぁ~よかった。嫌われたのかと思った」  「僕も那生に飽きられたのかと思った」  「んなわけねぇよ」  こつんと額と額をぶつけられ、視界が滲むほど那生との距離が近い。透き通るような黒い瞳に魅入られる。  「僕の恋は那生だけだから、慣れてなくてごめんね」  「俺もだよ」  「嘘!? 他に付き合ったことないの?」  「ないよ」  「……そうなんだ」  声が少し上擦ってしまう。那生の初めての恋人になれて嬉しい。  それが顔に出てしまったのだろうか、那生は目尻を下げた。  「最初で最後の恋だよ」  「ん……僕も」  お互いの熱が冷めることなく、しばらくの間抱き合ったままでいた。

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