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終幕 されど人生は続く
あれからの僕たちの生活は、決して大きく変わることはなく、ゆっくりと死にゆき、そして生きていくばかりだった。愛を確かめあったとて、人生は続く。
「……ほんとに消しちまうの」
「僕が一度捨てたいだけ。それはちゃんと累が持っててよ」
「…………わかった」
インターネットから遮断されたPCのフォルダに、無数に残る没データ。ここで生きた二年間、わけも分からず書き散らしていたものたち。
僕はそれを全てフォルダから削除することにした。
累がどうしてもというから、累にだけ印刷したものを渡した。累は大量のコピー用紙を抱え、泣きそうな顔をして僕のマウスカーソルを見守っていた。
フォルダを右クリックして、削除。緑色のバーが左へ向かって満ちた時、累は小さく悲鳴をあげた。
「……章、これから、小説は」
「書かないと生きられないのはもう性分だから変えられない。でも秋津怺としてじゃなく、なにか別名義を考えて……それで、出すことにする。僕はさ、ずっと、僕のことばかり書いてきたけど、もっと……落ち着いて……違うものが書けるように、なりたいと思う。そんなこと出来るかは、わからないけど……」
「……なれる、章なら」
「そう、か」
「いつかはなれる。すぐじゃないかもしんないけど、大丈夫だと思う」
「じゃあ、大丈夫か」
「うん」
短い返事だけ残した累は、紙の束をデスクに置き、僕の頬を撫でて静かに唇を寄せた。
触れ合う、肉。柔らかくて温かくて、やさしく繰り返し重なる唇。
「……章」
「うん」
「俺も、ホスト、辞めるかも」
「そうか」
「いま、店の人に相談してる。別の仕事紹介してくれる人いませんかって、バーテンとか不動産屋とか……そういうの、探してる」
「そうだったの」
「俺、今更、ちゃんとできるわけないし、多分今より稼げるわけないけど」
「大丈夫だと思う」
「そ、っか」
「累なら……大丈夫」
「ありがと、でも」
「大丈夫」
僕は離れかけた累の肩を引き寄せて、抱きしめて、もう一度キスをした。こちらから舌も入れてやる。生ぬるくて、生の味をした、温度を分け合うようなキス。
「累、セックスしようか。お風呂も僕が洗うから」
「……いいぜ、そうしよ」
僕らの非言語コミュニケーションは、より進歩していると思う。なんといったって僕は、悪夢に引き摺られたとしても────いつでも帰ってくることができるようになった。
「ごめんなさい!た、すけて、るい!やだ、もう……や、やだ!や、あ、やあッ……」
「シノ!落ち着け、ほら、俺だ。荻原累だよ、こっち見て」
累は暴れる僕の手を握り、じっと辛抱強く話しかける。やさしく頬を撫でられて、柔らかい声に包まれて、累のフェロモンを感じる。すると、だ。僕は帰ってくる。秋津怺は死に、篠塚章として。
「……あ、るい、累だ」
「うん、そうだよ。累でーす。もうお前が怖いもの、なんもない」
「ほんと、だ、ふふ、累だ……」
一気に弛緩する身体は、この時だけふわりと累へオメガの誘引香を放つようになった。たまになら快楽も拾う。累の手に頬を擦り寄せて、はあ、と吐いた息は熱く甘く、まるで乙女のようで。
「続ける?やめとく?」
「続けよう。いい感じだから。もうちょっと激しくしてもいい、許可する」
「りょーかい」
累と揺れて、たまには体位という言語を変えて、また揺れる。魂が一緒になって揺れるとき、僕は性的な快楽よりももっと獣の安らぎを覚える。
「……累っ、るいっ、なんか……っ、あ、あ、変だ、変になって、きたぁっ」
「大丈夫、だいじょぶッ……だから。章、いいこ、いいこ」
「んっ……!ふ、ううッ、ううっ……」
累に頭を撫でられながら、腹の中を蹂躙されると変な気持ちになる。性的快楽の萌芽が僕の目の前で踊る。僕はそれに手を伸ばして、触れる。
「あっ、累、累……もう、は、むりだ、累、出せるか」
「出せるッ……いいの、イクよ、俺、章、」
「うん、おいで、累、おいで……っ」
ばちん!と頭の中でなにかが弾ける。どくんっ、どくんっ、腹の中で脈動する累というアルファの男根。絶頂と呼ぶにはあまりにも初歩的で、でも今の僕には最大の快楽である、熱の爆発。ゆっくりと意識が解けて、思考を手放して、ベッドに沈んでいく。この微睡みの中で、汚れた身体で抱きしめあっている時が、今の僕にとっての至上の幸福と言えるものだった。
「……あのさあ、章」
「なに」
「集荷の人、明日の昼前にくるから」
「……例の盗作CD?」
「に、にやにやすんなよ。ホントに俺、ちゃんと恥として七年抱えてたんだから」
「一枚ぐらい僕にくれてもいいだろう。なんだって全部リサイクルに出しちゃうんだ」
「俺がヤだから」
「そうか、じゃあしょうがないな。でもね累、僕はあれ、ちゃんと僕へのラブレターだと思ったよ」
「……聴いたのか、」
「残念ながら聴いた。ちゃんと箱の中に戻したけどね」
「ッ……クソ、このっ、このばかっ、文学オタクっ、あー、なに?現代文学の若き原石ッ」
「ばかっ、それはずるいだろう!なんで僕のそれっ、イジるんだっ、このっ……ふざけるなっ……ふっ、ふふ、はっはっは」
「ひひ、ふ、あは、はははッ」
明日はCDの集荷が終わったら、久しぶりに僕は外へ髪を切りに行く予定だった。念の為累に着いてきてもらうが、きっと大丈夫だろう。
生きていくしかない。されど人生は続く。痛みもなにもかも、独りで抱えて生きていくしかないのだ。
けれどその隣で、同じように痛みを抱えて生きている者がいるのなら───共に歩んでいけるのなら、素晴らしくてみっともない人生の続きを、僕はまだ、静かに書いてゆける。
【無声劇場 了】
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