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第7話 学校
それから一年という月日が流れ、自分でも驚くほどよく喋るようになっていた。
しかし相変わらず笑うのは苦手である。
公爵家の人たちはできないことを叱ったりせず、成長した部分を見つけては褒めてくれた。
胸の奥のむず痒い感じはだんだんと暖かさへ変わってきていた。
リリアンは伸び放題だった髪を切り揃え、毎日リボンで一つに結ってくれている。短くは切らず、肩下くらいの長さで真っ直ぐに揃えてくれた。
「本当に艶のある綺麗な髪ですね。毎朝こうして髪を梳くのが楽しみなんですよ」
「いつも助かっています。自分では何もできなくて……今日はブランディーヌ様に呼ばれているので身なりを整えておかないといけません」
「あら、ブランディーヌ様に呼ばれるなんて久しぶりですね、何かお話を?」
「それが分からないんです。書斎に来てくれとだけ言われています」
「大切なお話なんですね。ブランディーヌ様が書斎に呼ぶときは、大抵が重要なお話ですよ」
「そう……ですか……」
この一年でバース性は発症していない。
いつ、その話をされるかと内心ドキドキして落ち着かないのは事実としてあった。
もしも発情期が始まれば、隔離しなければならない。
十四歳になってもその気配は全くないが、きっと発症してもおかしくない年齢にはなっている。
まだブランディーヌからどんな話をされるのかも知らされていないが、第二次性についてではないかと、そう思っていた。
エリペールがディディエに勉強を見てもらっている間に、僕は書斎へと向かった。
「失礼します」
緊張の面持ちで書斎のドアを開けると、ソファーへ座るよう促された。
「今日はあなたに提案があるの」
ブランディーヌは開口一番、本題を切り出す。
どうやら身構えていた内容とは違うと安堵したが、それでは他にどんな話があるのだろうと、顔を上げ、ブランディーヌと視線を合わせる。いつも通り、自信に満ち溢れた威厳たっぷりの表情で微笑み、こちらを見ていた。
僕が一度深呼吸をしたのを確認すると、ブランディーヌが話し始めた。
「今年、エリペールは学校の初等部に入学するのだけれど、あなたも一緒に通う気はない?」
「僕が……ですか……」
思いもよらない提案に、しばし呆然としてしまった。
「実は学校側には既に交渉してあるの。それで、あなたにその気があるなら受け入れてくださると言ってもらっているわ。学校へ行けばここよりもより広い知識を入れられる。それに、そろそろ沢山の人が集まる場所に慣れていかなくちゃね」
学校にどれくらいの人が通っているのか想像もできないし、知らない場所へ行くのは恐怖心が勝つ。
エリペールの付き添いで街へ出るのも気が張って、帰ってきてからどっと疲労が押し寄せるくらいだ。
ブランディーヌは良い提案をしたと思っているようだが、日々の変化に対応できない僕には試練だと感じた。
それでもYESとしか言ってはいけない。
大丈夫、エリペールがいる。自分に言い聞かせ、頷いた。
家庭教師のディディエはとても教えるのが上手い。おかげで字だって書けるようになっている。
それでも学校へ行けというのは、きっとディディエだけの勉強では足りないのだろう。ただでさえ勉強とは無縁の生活で、人の何倍も知識が乏しい。エリペールの付き添いとしてこれからも仕えるならば、教養は必要不可欠と言えよう。
ブランディーヌは他の子供よりも八歳も年上の僕が、エリペールの同じ年の子供に混ざるのが嫌なのではないかとも気使ってくれていた。でもこの機会を無碍にもできず、人の中に入るのが怖いなどというくだらない理由で断るなど、とてもじゃないが言い出せなかった。
「僕は……学校に行かせてもらえるなら……行きたい……です」
「じゃあ決まりね」
表情がパッと明るくなったのを見て、この答えが正解だったのだと認識した。
エリペールに話すと、凄く喜んでくれた。
「では一緒に通えるのだな! ずっと一緒にいられるではないか。じつは私は学校へかようのが不安だったのだ。ともだちができるか、勉強についていけるか、先生から気に入ってもらえるか。でも、マリユスがいるなら何も怖いことなどない」
飛び跳ねた勢いで抱きつかれ、床に尻餅をついてしまった。
不安? 怖い? エリペールでもそう思うのか?
こんなにもしっかりしているのに。
そういえば本当は人見知りをすると、以前ブランディーヌが言っていたのを思い出した。
公爵邸でエリペールを取り巻く人は大人ばかりで、習い事へ行ってもそれほど他の子供達と雑談を交わす時間はない。
平気そうに見える。いつも余裕があるように見える。でも実は違っていたのだ。
六歳の子供でも、不安を隠し頑張ろうとしている。
「僕も、エリペール様がいるから心強いです」
この時は嬉しかった。
本当に二人でいれば頑張れると思わせてくれた。
しかし、いざ学校へ通い始めると、周りからの対応はエリペールと僕ではまるで違っていたのだ。
教師にしか話していないはずである、自分がオメガであるということ、そして公爵家に買われた奴隷だったということが学校内で知れ渡っていた。
堂々と歩くエリペールの後ろからついて行く姿を、生徒はクスクスと嘲笑して遠巻きに指差す。
「あの人が、そうみたいよ」
「小柄だけど、凄く歳をとっていると聞いたぞ」
「奴隷なんですって。同じ制服を着てるのが恥ずかしいわ」
「穢らわしい」
「奴隷だったなんて……大人しそうに見えるけれど、実際は違うかもしれないな」
「なんだか気持ち悪いわ。話しかけられたらどうしましょう」
中にはわざと聞こえるように言う人もいたが衝撃的すぎて何も反応が返せない。
奴隷だったのもオメガも、年が離れているのも全て事実だ。そこからありもしない発想が生まれてもおかしくない。言い返す権利など与えられていない気がした。
黙って下を向いて歩く。
やはり、学校へ来たのは間違っていたと気付いても、もう遅い。
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