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第17話 マリユスの葛藤
翌朝、すっきりと目覚めたエリペールに起こされて目が覚めた。
「珍しいな、マリユスの寝起きが悪いのは初めてな気がする。眠れなかったのか?」
「いえ、大丈夫です。昨日読んだ本の続きが気になってしまい、今後の予想を考えていたら寝るのが遅くなってしまったのです」
「パトリス先生のところで読んだという本だな。それはまた直ぐにでも研究室へ行きたいと言っているようだ」
「いえ、そんなことはありません。こうして自分なりの予想をするのも楽しみ方の一つなんですよ。そう言えば、パトリス先生がエリペール様も誘ってみてはどうかと仰ってました。図書館にはない本もあって楽しいので是非行きましょう」
エリペールは眉根を寄せたがマリユスの誘いならと、渋々了承してくれた。
「リリアン、朝湯の準備を頼む」
「先に準備を済ましておりますので、いつでも入れますよ。浴室に別の侍女がいるはずです」
「そうか、分かった。着替えを後から持ってきてくれ」
「畏まりました」
エリペールが部屋から出たタイミングを見計らい、リリアンを呼び止める。
「どうなさいました?」
「ちょっと、その……訊きたいことがあるのですが、良いですか?」
「私に答えられるなら何なりと」
「えっと……エリペール様の想い人は随分前からいたのでしょうか」
僕からの質問にリリアンは目を瞠り、両手で口を押さえた。
「そんなの、子供の頃から決まってますよ! マリユスさん!!」
愚問すぎると笑われてしまった。
やはり知らないのは自分だけで、従者にまで知れ渡っていたと知る。
「エリペール様は、ちょっとは独占欲が強い一面もあるとは、マリユスさんも見ていて感じていると思いますけれど。でもそれは、とても大切に思っているからこそですよ」
にっこりと微笑んだ。
僕も会ったことがあるような口振りが気に触る。
まさか、この屋敷内に? 公爵邸に出入りする人は多すぎて見当もつかないが、意識してないところで挨拶くらいは交わしているかもしれない。
リリアンは嬉しそうに、エリペールが意中の人をどれだけ好いているかを語っているが、何も頭に入ってこなかった。
そもそもキスだって練習でしているだけで他意はない。百も承知で引き受けた任務だ。
自分から訊いておいて、聞くんじゃなかったと後悔した。
「マリユスさん、どうかなさいました? 顔色が悪いですが」
「いえ、大丈夫です。エリペール様のお着替え、僕が持って行きます」
落ち込んではいけない。
リリアンと共に祝福しなくてはいけない場面だった。自分ではない他の誰かだと言われ、頭を殴られたほどのショックを受けている場合ではない。
最初からエリペールは僕に恋愛感情など向けてはいなかったのに、僕は自分でも気付かないうちに、彼と触れる時間が長くなるほど、心を占領されていたのだと気付いた。
しかしあくまで自分の中にしかない、形のないものである。
本人にさえ暴露しなければ良いのだ。そうすれば迷惑をかけたり困らせたり、嫌われなくて済む。
『慣れ』とは怖い。
石積みの塔で過ごした日々は完全に色褪せ、番人の顔すら思い出せない。
公爵邸で過ごす時間の方が短いのに、モノクロの世界が色鮮やかに塗り替えられ、感情というものが生まれてしまった。
YESと言ってひたすら下を向いていたあの頃の感覚には、戻れない。
「いけない。僕にはエリペール様に仕えるという大事な任務を言い渡されている。ご主人様の言うことが全てで、自分の欲など捨ててしまわなければ……」
激昂して壁を叩く。湧き出る感情を抑えなければ、エリペールに向ける顔がない。
貴族の屋敷で住めているのさえ奇跡なのだ。あの日、天と地がひっくり返った。それを自ら元に戻す行為は愚行でしかない。
深呼吸をして精神を整える。
浴室へ着替えを届けると、廊下でエリペールの支度が整うのを待った。
前を通り過ぎる従者たちと挨拶を交わしているうちに、どうにか平常心を取り戻した。
「マリユス、今日早速、出向かうとしよう」
「どこへです?」
「パトリス先生の研究室だ。私も連れてこいと申したのだろう?」
「は……はい! 直ぐに先生の授業の確認を致します」
「後で構わない。先に朝食だ」
さり気なく僕の背中を支え、ダイニングへと向かう。
「珍しいですね」
「何がだ?」
「エリペール様が意見を変えるだなんて」
「変えてなどいない。行かないとは一言も言っていないだろう」
「そうですが、顔が嫌だと物語っていたので。無理強いは致しませんし、断っても先生は怒ったり成績に影響させたりしないと思いますよ」
「パトリス先生に会いたいのではない。ただ、気になるのはマリユスがどんな様子で研究室で過ごしているかだ」
右上に視線を送る。
エリペールは寝ている以外の時も、僕が左側にいる方が落ち着くらしい。
僕がじっと見詰めていると、不意にエリペールもこちらを見た。
「黙り込んで、何かおかしなことを言ったかな?」
「いえ。そうではなくて……僕に興味を持ってくださったのが嬉しく思ったのです」
「変なマリユスだな。私は昔から君のことしか見ていない」
一日中、付き添っているのだから当たり前の発言であるが、それでも嬉しかった。
「はい」口元が緩むのをなんとか抑え、返事をした。
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