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第24話 今はまだ……。

 本能ではアルファを求め、頸を噛まれたくて無防備に晒している。  しかし頭の片隅でずっと冷静な自分がいて、公爵子息との結婚が許されるとは思えないでいた。  頸を噛んでしまえば後戻りができない。  勢いだけで番になりましたなど言って、誰が祝福してくれようか。  エリペールは迷わず行動に出るだろう。  彼に甘えて、なんでも許される歳ではない。僕はもう二十八歳にもなる。  なんのためにブランディーヌが仕事を与えてくれたのか、考えれば分かる話ではないか。  エリペールの番として最初から認めてくれているのなら、発情期用の隔離部屋を準備するはずはないのだ。 「マリユス、私の全てを受け入れ、私だけのものになりたまえ」  振り返り仰ぎ見た先で、開いた口の中に犬歯が光る。  ———噛まれる———  力の限り腰を打ちつけ、痙攣させながら勢いよく白濁を飛沫させた。  長く続く吐精の中で、エリペールは身震いをしながら小刻みに息を吐き、呼吸を整える。  背中に覆い被さりながら頸だけを狙って、その牙を剥いた。 「っく……ぅ……」  歯が鋭く突き刺さり、真っ赤な血が流れる。  それは頸ではなく、マリユスの手だった。  マリユスは絶頂を味わいながはも、反射神経で両手を頸に隠したのだった。  手の甲から激痛が全身に波紋する。  呻りながらキツく歯を立てていたエリペールが少しずつ我に返り始めると、ようやく力を抜いた。  口が離れると、そこには血まみれになった僕の手が目に入る。 「……マリユス……なぜ……」 「……番になりたかったです。今すぐ、求めてもらえるままに。でも、そうするには貴方は位が高すぎるのです」 「この状態で、まだそんなことを気にしていたのか」 「決して怒らないでください。これが貴方のために僕ができる精一杯なのです」 「私は……私は……、ようやく……」  エリペールが声を震わせる。  抱かれている間、幸せしか感じなかった。  光の世界へ導いてくれた人と通じ合えた喜びを、手放しで噛み締めたかった。  エリペールも若いとはいえ、学生気分でもない。立派な公爵家を継いでいく者として、僕の言わんとすることは伝わっているようだった。 「君は私が思うよりも、ずっと頑固だな」 「捻くれていると、自覚しています」 「そうではない。もっと欲のまま受け入れてくれると侮っていた、私に落ち度があったのだ。もう、守られているだけのマリユスではないということだ」 「エリペール様をお慕いしているのは本当です。嘘なんかじゃありません」 「分かっている。君は好いた男以外に体を許す人ではない。私の腕の中で淫らになるマリユスは、この世で一番可愛らしい存在だ」  汗と精液とオメガの液でびしょ濡れになったまま抱き合い、キスをした。 「発情期が終われば、お父様たちを説得する。そのために、今まで婚約の話を断り続けてきたのだから。今更諦める選択肢はない」  エリペールも祝福されて一緒になりたいという価値観は一致しているようで安心した。  一緒にいれば怖いものなどなかった。  両親もエリペールには一目置いているほどだ。きっと彼から説得されば、喜ぶかどうかはさておき、断りはしないのではないかと若干の期待もあった。  しかし、それは見事に打ち砕かれる。  朝になり、部屋を訪ねてきたリリアンが、裸で絡み合い眠っている姿を目撃してしまう。 「ひっ」小さい悲鳴で先に目を覚ましたのはエリペールだった。  エリペールは至って冷静に「マリユスがオメガ性を発症した。私も、同時にアルファ性を発症した」隣で眠っている僕の髪を撫でながら、愛しむ眸を向ける。  しかしリリアンの表情は暗かった。 「もしかして……番になられたのでしょうか」 「私は昨晩そうなりたかったが、マリユスが既のところで止めた。しかしマリユスは、これから一週間発情期が続くだろう。お母様に話して、仕事を休ませねばならない」  エリペールは発情期に付き合う意向を伝え、リリアンに朝湯の準備を頼む。 「今日からはマリユスと一緒に入る。アルファは一切近付けないでくれ」  リリアンは一礼すると退室したが、困惑の色を隠せていなかった。  気配だけでそれが伝わってくる。 「マリユス、起きていたのだろう?」 「すみません……気まずくて……。後、身体中が痛くて起き上がれません」 「私が無理をさせてしまったからだ。浴室までは私が抱えて移動させるから、心配しなくていい」 「今日、お仕事は……」 「もともと休日だ。こんな時にまで私の仕事の心配をするなど、実に君らしい」  喘ぎすぎて喉が痛い。  全身の倦怠感が酷く重圧をかけてくる。  少し動こうとするだけで、筋肉がミシミシと悲鳴をあげる。  普段なら、エリペールに抱かれて移動するなど以ての外だが、今日ばかりは助けがないと何もできない。  しかもいつまたヒートに見舞われるか、誰にも、本人でさえも予想がつかないのだ。  素直に奉仕される僕に、エリペールは嬉々としている。  二人で湯浴みをするのは、公爵邸に来てから初めてのことだった。  並んで浴槽に浸かり、のんびり話をする時間はとても贅沢のように思えた。   「これからも抱き上げて移動するのはどうだろう」 「でも、今だけです。きっと直ぐに呼び出されますよ。ゴーティエ様の許へ行く時は、きちんと自分の足で歩きますので」    そんな風に話していたが、実際、ゴーティエに呼び出されたのはエリペールだけだった。

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