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第32話 あの日の真実
ブリューノにエスコートされ、公爵邸へ入る。
隠れてしまいたいほど、従者からの視線が突き刺さる。
そりゃそうだ。
姿を消してから一年経ち、突然帰ってきたかと思いきやクライン公爵子息が付き添っているではないか。何事かと思うのも無理はない。
「もっと堂々としてもいいのでは?」
「逃げ出したいくらいなんです」
今にも心臓が止まってしまいそうなほど、生きた心地がしない。
顔から血の気が引いていくのを感じている。
もしもゴーティエから出ていけなんて言われたら……そう思っただけで、胃がキリキリと痛んだ。
客間まで移動していると、奥の部屋のドアが勢いよく開いた。
「マリユスが来ているの?」
ブランディーヌの慌てふためいた声がする。どうやら従者が呼びに行ったらしい。
「ひっ」身を震え上がらせてブリューノの背後に隠れる。
宥めるブリューノの声は耳に入らなかった。
目の前から顔面蒼白で一直線に走り寄る。片手でドレスを踏まないように持ち上げ、出せる限りのスピードでマリユスの所まで来た。
手を振り翳し、力強く振り下ろす……僕は咄嗟に目をキツく閉じ、肩を竦ませた。
ブランディーヌは僕を力強く抱きしめ、そのまま固まってしまった。時間差で、嗚咽を出して泣き崩れた。
膝の力が抜け、二人揃って床に蹲る。
「あの……ブランディーヌ様……」
思いがけない出迎えに、なんと声をかけるのが正解なのか分からない。
「マリユス……一体、何処へ……」
ブランディーヌが肩を振るわせ、僕の存在を確かめるように背中を撫でる。
毅然とした立ち振る舞いで、どんな時だって余裕のある頼もしい女性だった。そのブランディーヌが喋れないほどの状態になったのを、初めて目の当たりにした。
———心配してくれていたんだ……。
目頭が熱くなる。所詮は奴隷だと、有無を言わさず隔離されたと思っていたが、実はそうではなかったのかもしれない。
「……すみません、勝手にいなくなって、申し訳ありません」
「探した……ずっと探していたのよ。誰にも何も知らせずに……あぁ、良かった。貴方が無事で……本当に、良かった……」
声を震わせ、流した涙も拭わず、ただ何度も何度も僕の顔や肩、腕に手を這わせ「あぁ、本当にマリユスなのね」綺麗に施された化粧も剥がれ落ちるほど感極まっていた。
客室へと移動し、ブリューノに支えられながら腰を下ろすと、時間差でゴーティエも駆けつけ、同じように涙し、無事であったことを喜んでくれた。
「クライン様が見つけてくださったのですか?」
「見つけただなんて……偶然の再会に声をかけたのです。するとラングロワ公爵邸から出てきたと言うものだから気になってしまい、半ば無理矢理話を訊いたというわけです」
ブリューノが手短に経緯を説明する。しかしゴーティエもブランディーヌも、僕がブリューノと再会を果たす場所が何処なのか、見当も付かない様子だった。
「一体、マリユスは何処で暮らしているの?」
「あの……学校でお世話になっていた先生がいて、今は先生のもとで仕事をさせてもらいながら、別邸で住ませてもらっています」
「僕は偶々、在学中の妹を迎えに行っていたんです。それで、見覚えのある姿を見つけて声をかけると、やはりマリユス君で」
「学校って……まさか、あなた学校まで歩いて行ったの?」
ブランディーヌとゴーティエが信じられないという顔を見合わせる。
「他に頼れる人がいなかったのです。それも一か八かの賭けでしたが、何もかもお世話をしてくれて今に至っています」
「この辺りを散々探しても見つからないわけね」
「そんな遠くまで、しかも発情期明けで行くなんて……」
僕が部屋にいないことに気付いたリリアンは、テーブルの置き手紙を読んできが動転してしまい、エリペールたちに気付かれないうちに探し出そうと、公爵邸の敷地内を全て一人で探したそうだ。
それでも見つからず、ようやくブランディーヌに報告したのは夜になってからだった。
エリペールは我を失い、屋敷から飛び出しそこら中を探し回った。
翌日からも捜索を続けたが、誰もマリユスの行きそうな場所など思いつかない。
常にエリペールと共に行動していたマリユスの交友関係など、エリペールでさえ知らなかった。
「学校は盲点だったわ」
ため息を吐きながらブランディーヌが漏らした。
「ラングロワ公爵様、マリユス君もこの家のためを思って行動したようですので、どうか責めないであげてください」
ブリューノが口を挟む。
「何故、マリユスがここから出てけば公爵家のためになるというのかしら?」
「話によると、エリペール君とマリユス君は同時にバース性を発症し、その流れで番う行為を行ったと」
「えぇ、エリペールからもそのように聞いているわ」
「しかしその後、ラングロワ公爵様に呼び出されたのはエリペール君だけで、マリユス君はその間に隔離部屋に移され、強制的に会えなくなったそうですね。マリユス君はそもそも、自分がエリペール君の身分には相応しくないという意識を強く持っていました。祝福されていないと悟ったマリユス君は、この先、エリペール君が築いていく家族を見るのが辛かったのだと言いました。なので、一人で生きて行こうとしたそうです」
気持ちは全てブリューノが伝えてくれた。
自分では到底説明しきれなかったから助かった。
ブランディーヌは僕の隣の席へ移る。膝の上で小刻みに震えている手にそっと重ねて握った。
「マリユス、貴方は私たちが思っている以上に繊細だったのね。いつも頑張っている姿しか見ていなかったから、しっかり育ってくれたと思い込んでいた。気付いてあげられなくて、御免なさいね」
ブランディーヌは片時も離れたくないと言わんばかりに肩を抱き寄せる。
続いてゴーティエが話し始めた。
「あの日、エリペールだけを呼び出したのは、君には聞かせたくない内容もあったからだ」
「と、言いますと?」
僕の代わりにブリューノが返事をしてくれる。
「リリアンからの報告を受け、いよいよこの時が来た……とは思った。エリペールは前々からマリユスとしか結婚する気はないと断言していたし、我々も二人が運命の番なのだとは理解していた。しかし……」
ゴーティエはそこで口を濁らせた。
やはり結婚するにあたり、身分差があまりにもあり過ぎる。
その問題を解決しなければならないと、エリペールを呼び出したのだと言った。
「マリユスが安心してエリペールとの結婚を受け入れられるように、こちらがしっかりと体制を整える必要がある。その為に、バース性が発症する少し前からマリユスの養子先を探していたのだ」
初耳だった。エリペールはそんなこと一言も話さなかった。
でも考えれば分かる。
状況は芳しくなかったのだろう。
ゴーティエはその予想通りを口にした。
「エリペールの結婚のため……そこまでは誰もが話を聞いてくれる。けれども平民ならまだしも最下級の奴隷は……と手当たり次第断られていた。向こうも戸籍に奴隷の名前を刻むのには抵抗があるのは仕方ない。こんな話をマリユスには聞かせたくなかったのだ。トラウマとして抱え込んでいるのを知っていたし、優しい子だから、気を使うだろうと思っていた。私たちはマリユスが何も心配せず、憚ることなくエリペールとの結婚を受け入れて欲しかったのだ」
「では……僕と番になるのを反対したわけでは……」
ゴーティエは軽く頭を左右に振ると、「私もブランディーヌも、マリユスしか考えていない」と言った。
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